Shinya talk

     

 

2020/11/27(Fri)

藤原新也 podcast 放送中

     

 

2020/11/17(Tue)

ポッドキャスト・「新東京漂流」Vol.35「脳科学者・茂木健一郎とのダイアローグ」

     

 

2020/11/03(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.33「門司港サウターデ・伯翠庵物語・その2」

     

 

2020/10/31(Sat)

藤原新也 podcast 門司港編、放送中



藤原新也のpodcastが開局されて今現在vol.32回となるが、今、藤原は門司港帰郷の話をしている。
この話がなかなかスリリング。

CATWALK編集部


Podcast 藤原新也「新東京漂流」


     

 

2020/10/31(Sat)

藤原新也 podcast 放送中

     

 

2020/10/28(Wed)

「非接触時代の行方」の仮説は雛形としてすでに目の前の現実に現れつつあるのではないか。(Cat Walkより転載)

今日は私が最近気になっていることを話してみたい。
ここにひとつの現象がある。

スペイン、フランス、イタリアなど欧州各国のコロナウイルスが再燃し、ふたたびロックダウンに突入せざるを得ないというような状況に陥っているということだ。
私の姪の住むマドリッドでは感染者がうなぎ上りで長期に渡って夜間午後11時から朝8時までの外出禁令が出ている。
ご承知のようにスペインは夜の街であり、夕餉の宴は9〜10時ごろにはじまるわけだから、日本において午後5時以降の外出を禁止するに等しい。
かくもさようにヨーロッパは深刻な事態に直面している。

その状況に関連して私はふとあることを思い出した。



2月だったか3月だったか、つまり新型コロナウイルス騒ぎが持ち上がったころのことである。ある人からひとつの動画が送られてきた。
それはマスクや手洗いを否定するアメリカの若い医者の動画だった。
私はその頃N95マスクの効用や鼻うがいなどの効用をトークを盛んに書き始めたころであり、FOXというメディアが出典元でもありその動画を一笑に付して放置した。

アメリカのCNNがどちらかというとリベラルかつ民主党や、中国寄りなのに対して、FOXは共和党支持者や、アメリカの保守の人たち御用達の古き良きアメリカ的なメディアである。

どちらも大手だが、FOXは白人メディアと言うべきもの。
よく見ると、お医者さんのガタイもかなりいいし、髪型も、古き良きアメリカ的なスタイルだし、ある種のFOXが仕掛けたプロパガンダだと私はそう理解した。

私はその後、ご承知のように私は「非接触時代の行方」と題し、人々の非接触行動が何年も長引くことによって接触によって鍛錬されるはずの腸内細菌叢が弱体化し、日和見感染症に罹患しやすくなるのではないかという仮説を立てている。

そんなさなか、私は今日のヨーロッパの現状と見据えながら、近ごろ小さな戦慄に近いものを覚えつつある。

ひょっとするとその「非接触時代の行方」の仮説は早々と小さな雛形としてすでに現実化しはじめているのではないか。

そのような思いに打たれたのである。

私が3月に無視した動画は以下のものである。
画面が小さく読みにくいのと翻訳が大雑把なので以下に私が多少手を加えた動画のテキストも書き写した。

https://www.youtube.com/watch?v=FFnCUn9zUWU&feature=youtu.be

以下・動画訳。

我々は自分の身を守るために緊急用にはマスクをつけます。
しかし通常われわれはマスクをつけていません。
というのは微生物学、免疫学を理解しているからです。
そして、免疫システムを確保するためです。

我々の免疫システムは触れることによって構築されるのです。
つまりブドウ球菌、連鎖球菌、バクテリア、ウィルスと握手するのです。
これより毎日免疫反応を育てることが可能です。
私からブドウ球菌、連鎖球菌、バクテリア、ウィルスとり省くと、私の免疫システムは下がりさがります。

つまり家に閉じこもると、免疫が下がります。
数ヶ月も閉じこもると、もっと下がります。私たちは家に帰ると派手に手やカウンターを洗いますね(それによって免疫力は低下します)。

われわれは我々が生きるのに必要なものを排除していることを心配しているのです。
免疫不全でもなく、年寄りでもないなら、手袋とマスクなしで外に出るべきです。
あなた方はそういうものなんです。
家に閉じこもったり、マスクや手袋をつけますね。
全員にマスクと手袋が必要とは思いません。それが細菌叢を減らすからです。
これによって社会との接触ができなくなるわけではありません。細菌叢やウィルスは友人なんです。
他の病気から守ってるんです。追い払っているんです。
でなければ、より日和見感染しやすくなります。
我々が全員家に閉じこもり、免疫システムを低下させ、ウィルスやバクテリアを交換し出すとどうなりますか。
病気が急上昇です。重ねて言いますが、ワレワレの免疫システムの構成要素はウィルスとバクテリアです。




ご承知のように今、新型コロナウイルスの再燃現象に見舞われている欧州諸国はこの日本とは異なり早々と外出禁止令を発令し、ロックダウンの完全非接触政策を実行した。

本来ならそれだけ極端な非接触行動を国民に強いたとするなら、その結果、コロナウイルスの活動は収束に向かうはずである。
いやそれを目指したがゆえのロックダウンだった。

だが、奇妙なことにロックダウンを挙行した国において新型コロナウイルスは再燃現象を呈している。

私はその不可解な現象を見ながら、ふと私がお蔵に入れた、あの疑わしい白人メディアの動画のことを思い出し、少なからぬ戦慄を覚えたわけだ。
そこにも一理はあるのではないかと。

「ひょっとするとあの完全非接触・ロックダウンは逆に人々が日々更新しなければならない免疫力を低下させたのではないか?」

それによって人々が解放されてのち、さらに新型コロナウイルスに罹患しやすい体になったのではないか。

そのようなことに思いを馳せながら、私の脳裏に走ったのは当然のことながらあの新型コロナウイルスに対して一切の対策を取らなず放置したスエーデンの現状のことである。
ひょっとするとこの国では新型コロナウイルスの再燃はないのではないか。
調べてみて少なからぬショックを覚える。
スエーデンではやや上昇はみられるものの問題のレベルではなく、いわゆる再燃現象は起きていないのだ。



「非接触時代の行方」は新型コロナウイルス禍による非接触が長期化した場合の仮説だったわけだが、私たちが日々細菌やウイルスに接触することによって自転車操業のごとく日常的に抵抗力の更新をしているという件の動画と、そしてヨーロッパの現状に鑑み、その現象は大団円に移る前の雛形としてすでに現実化しているのではないかと密かに思う。

思うにバクテリアやウイルスというものは日々私たちが体力を養うために食べている食物のようなものと考えると分かりやすいのかも知れない。

それが事実であるとするなら、私たちが今履行しているコロナウイルス対策も修正、もしくは根本的に見直す必要があるわけだ。

     

 

2020/09/03(Thu)

意外と思うかも知れないが。(CATWALKより転載)

令和餓鬼草子、国民そっちのけ派閥によるお手盛り総裁抗争をそのように表現した。

またドブさらいの底から掬い取られた菅というもの言いをした。

だがこれは政局のことを言っているのであり、人物評価ではない。



私たちは近い将来良くも悪くも一人の国民としてそういった腐敗臭匂う政局によって生まれた首相を迎えざるを得ない立場となるわけであり、そういった条件下で人物の好き嫌いを越え、敢えて今回の総裁候補菅、岸田、石破、三者への期待度を表すとするなら意外に思うかも知れないが船長個人は菅現官房長官に1票を入れる。



というのは彼はこの国難時に為政を行う上において他の二候補にはない有利な条件を得ているからだ。



菅は安倍政権7年8ヶ月の間、官房長官として安倍を支えたわけだが、その「支える」の意味は彼が政治家としての信念や方向を指し示したということではなく、あくまで役割としての官房長官を務めたのであり、安倍のいかなる不祥事もそれをフォローする立場を押し通したということである。

彼は最側近として安倍の所業をじっくりと見ており、その成否、善悪も飲み込んだということだ。

彼の強みはその安倍の7年8ヶ月を客観的に眺める立場にあり、当然自分が首相であるならこうする、こうはしないという批評眼を持って安倍の為政をあの冷たい目で見ていたはずだ。

コロナウイルス問題を含め、首相最側近として実践的に問題点を感じていたとするなら、それは彼が首相となって為政をする上における他の二候補にはない強みであり、仮にその経験の上に立って真っ当な為政をしたとするなら化ける可能性があると言うことだ。







彼が首相になって最初にやるべきことは一例として彼の持論であるケータイ企業の暴利構造に手を突っ込むことだ。

これは決して小さいことではなく、まるで税金のごとく老若男女に”課金”される携帯料金がいかに国民を蝕んでいるか。



特に持たないと言う選択肢のない貧困な若者への学割や未成年割引もない法外なスマホやwi-fi課金は改めなければならない。

このコロナウイルス禍であらゆる業種が割りを食っている中、ケータイ企業だけが前期同様の収益を上げているのは理不尽でもある。



だがこう言った巨大企業の収支に手を突っ込むのはよほどの手腕を必要とするわけで、この一点においても首相としての彼の腕が試される。





     

 

2020/09/01(Tue)

令和餓鬼草子。(CATWALKより転載)

安倍政権下8年の腐臭ただよう派閥の排泄物を狙う談合。

菅をドブ浚(さら)いのごとく泥土の底から掬い上げる。

さらにまたぞろ健全与党演出、ガス抜き仕込みお家芸、体制内体制批判若手や小泉の小さな反乱。

これから少なくとも1年間、国民はあのどろんと淀んだ餓鬼草子眼光にさらされることになる。

幸か不幸かこいつらの胸の悪くなるような腐臭をコロナウイルス同時ブロックすべく総マスク装着時代が救いと言うもの。

CATWALKのやるべきひとつは令和餓鬼草子時代の腐臭の浄化と心得る。

200901.jpg

鎌倉飢餓時代の餓鬼草子。
餓死に直面した飢え人にあってはウンコもまた立派な最後の食糧である。
食い物足りた人のウンコを狙って餓鬼が集う。
おそらくこれは実録。
インドにおいては人間の屋外排泄に犬どもが集う。

     

 

2020/07/24(Fri)

Podcast藤原新也「新東京漂流」の開局。

藤原新也はこの3月からJ-WAVEのPodcast「新東京漂流」を開局している。

毎週火曜日に10〜20分ほどのしゃべりを行う個人ラジオのようなものである。

時事放談あり、独り言あり、インタビューあり、ルポあり、なんでもありだ。



Podcastは無料で新コンテンツも過去のコンテンツもすべて自分の時間に合わせて聴くことができる、コマーシャルもないので極めて自由度の高いメディアだ。


昨今のメディアが様々な縛りの中で自由度を失いつつある今、こういった個人的なメディアは不自由社会の突破口としてすでにアメリカでは人気を博しつつある。


キャットメロンに入ってこられる方々も楽しまれると良い。


藤原新也





Podcast 藤原新也「新東京漂流」







     

 

2020/07/03(Fri)

世の中に蔓延しはじめている「怒りの罹患(りかん)」(CATWALKより)


東京で感染者が百人を越したということでメディアは大騒ぎをしている。



コロナウイルス問題が純粋に国内問題となったのは対岸の火事であったダイヤモンドプリンセス号の乗客が下船した3月1日以降。

したがって約4ヶ月となる。



問題が濃密なだけに、すでに人々の間には1年くらいこの問題に苛まれているとう感覚の錯誤が生じているように思うが、まだ4ヶ月なのである。



しかしながらそのわずかな期間に(この日本では少ないと言えるものの)感染者と死者が続出し、街では倒産した店が閉められ、失業者が続出していることも確かだ。

また健常者においてもこのコロナウイルス禍の「自粛という抑圧」の中において、真正の病には至らぬものの、ある共通した精神的外傷の前駆症状が生じはじめていると感じている。











例えば今日のテレビでは昨日の西村経済再生相の記者会見の模様の一部が切り取って流され、その強いものの言い方がけしからんと出演者が口角泡を飛ばすかのように一斉攻撃している。



確かにそこだけを切り取ってみると西村は何か国民に対し強い口調でいわれなき苦情を述べているかのように聞こえる。

だが会見の模様を通しで視聴してみると、その話の流れからこれ以上感染が広がらないよう自粛を訴えている切実感がが伝わり、私個人はむしろ好感を抱いた(船長が官邸関連を褒めるのは珍しい・笑)。



https://www.youtube.com/watch?v=KPI9_3YQQvo





さしたる勇み足でもなく、むしろ真摯に受け止めるべき内容に対してさえ皆が怒りの集中砲火を浴びせるこの光景は船長がここのところ感じているコロナ罹患なら軽度の国民病となりつつある「怒りの罹患」(自粛警察がこの典型だが)を典型的に表すものとして銘記するとともに、ひるがえって自からの日常の合わせ鏡としたい。





今のところは「怒りっぽい」「癇癪を起こす」程度の日常的異変で収まっていはいるがこの「怒りの罹患」なるものがマッス(塊)となった時、辻村君の投稿にある「参事便乗資本主義」ならぬ、その感情のマッスを利用する不穏な便乗(国民の欧米への怒りのマッスをマスコミと軍部が仕立て上げ、戦争へと突入した戦前がまさにこれだった)が生じないとも限らない。






     

 

2020/05/08(Fri)

お隣の韓国がどのようにコロナウイルス問題に立ち向かったかのひとつの好例。(CATWALKより転載)



先日来、韓国での私の本の編集をやってくれたカン君に韓国事情を聞いているのだが、うらやましいことに今は平時のように繁華街は賑わっているそうだ。



政府は完全に手綱を緩めたわけではなく、慎重を期している部分もあるらしいが、成功という言葉は早計かも知れぬが、新型コロナウイルスを世界でいち早く攻略したと言えるわけであり、安倍政権は学ぶことは多いと思う。

だが嫌韓の彼はジェラシーを感じこそすれ韓国方式に学ぶことはないだろう。



カン君の話によると韓国でのコロナウイルス対策で有効だったのはこれは台湾にも当てはまることだがネットを有効に使ったとのことが大きいとのことだ。



つまりどこどかで感染者が出た場合、個人情報は一切伏せた形でその番号を振った感染者が何日の何時にどのような経路をたどって何をしたかという詳細情報がホストコンピューターに蓄積され、そこにアクセスすることによって自分の行動経路と照らし合わせることができる仕組みになっている。



そして感染者と自分の行動経路が重なる部分があれば直ちにPCR検査に向かうということを国民がこぞって行ったらしい。

このPCR検査も申し込めば直ちにやってくれるそうだ。

日本では37,5度以上の熱が4日以上続いてやっと保健所が申請に動く(実際には40度近い熱が4日続いても検査を受けられなかった例もある)。まるでアフリカの後進国並みだ。



韓国では国民のそのような動きが自らの感染リスク回避であるとともに集団の感染リスク回避にもなったわけだ。

韓国はアマゾンも入り込む余地がないほど早くからネットが発達し、このネットリテラシーを最大限に利用したことが今回のコロナウイルス攻略の鍵となったということである。



この日本ではどこどこの地区に何パーセントの人出があったということを携帯情報から集めているとのことだが、それくらい個人所有の携帯の位置が把握できるわけだから韓国方式を取り入れることは可能だったのではないか。

だがコロナウイルス問題にネットを駆使したというようなことはついぞ聞かない。

毎日膨大なコロナ情報を流しているマスコミもまたお隣韓国のコロナウイルス対策がそのように取られていたということを報道されたのを私の知る限り聞いたことがない。

政府のみならずメディアもまた韓国に触れることに無意識にバイアスがかかっているのではないか。



カン君はもと早稲田の学生として日本に留学しており、最初に電話をかけた時、コロナウイルスでの韓国の人々の心情を尋ねたところ以下のメールが返ってきた。

個人的なやりとりであり、日本語で表現するのにハンディがあっただろうが快諾してくれたので以下に掲載する。











藤原新也様

今日は久しぶりに通話できまして、嬉しかったです。

電話してくださって、ありがとうございます。

僕は日ごろネット経由で、日本の新聞記事やニュースには耳を向けていますが、最近のようにがっかりしたことはありませんでした。

阿部政権でやっていることはよそ者の僕が見てもひどいことばかりで、日本の国民は本当におとなしいな、と思うだけです。

もし韓国だったらほとんどの人が政権に立ち向かうのでしょうね。

僕が早稲田にいた頃の日本社会は今よりもずっと寛容と教養があったような気がします。いち早く日本が僕が知っている社会に戻ってほしいと願っています。

さて、今回のコロナウイルスは韓国社会、韓国人にどういう影響を与えたのか、という話ですが、

韓国でもコロナ事態が終わったわけではありませんから、今後も様子を見てみないといけませんが、韓国人の思考と生活に大きなショックを与えたに違いありません。



思い付きで書いてみます。



私は以前国あるいは政府は何なのか、その存在に疑問を抱いていましたが、こういう非常状態になると政府はの大変重要な役割を果たす機関だな、ということで、その存在理由を認めざるを得なくなりました。

私の周りには税金を納めている理由が初めて分かった、と言っている人もいます。

それは政府のやり方に国民が納得した、ということですね。

わかりやすい政策方針を決め、國民を優先する速やかな対処すすめ、透明に情報を公開するといった常識がリーダーシップの源泉であるということか、と思います。韓国人はもう少し自負心が高くなったのではないでしょいうか。



だといっても一般国民の生活はかなりダメージを受けています。

特に社会の弱者と言われてきた人には大きな影響を与えています。

厭世主義的な考え方も流行っています。

階層間の葛藤も見えます。

その中でも、当分は家賃を半分にします、という大家さんが出てきて、話題になりました。



会社中心の考え方は間違っている、と多くが人々が気付きました。

経営合理化を理由に非正規雇用を認めてきたのは間違いだったとわかったのでしょう。



また、家族の大事さを改めて悟った、という傾向もあるようです。

会社人間がいきなり家族人間に変貌するパターンですね。

韓国では封鎖はなかったですが、それでも飲み会がなくなり、家族と過ごす時間は増えたのは確かです。



それ以外にもいろいろなことがありそうな気がします。

周りの人とも意見を交換してみます。

今日は眠いので、これで失礼します。



すみません、また、改めて、ご連絡申し上げます。



かん





注・カン君はいつも体制批判的なところがあり、今回のように政府を褒めたのには私自身驚いた。

それくらい韓国政府は今回のコロナウイルス問題にうまく立ち向かったということだろう。



追記

英BBC(電子版)は4月30日、PCR検査について「日本の検査数の少なさは疑問だ」と題する記事を掲載。日本の感染者数は28万〜70万人におよぶという試算を紹介しながら「日本は検査数を増やさないと、パンデミックの終結はかなり困難」という専門家の厳しい見方を取り上げた。

https://news.livedoor.com/article/detail/18227955/





     

 

2020/05/07(Thu)

この迷走船はいったい何処に向かって針路を取ろうとしているのか。(CATWALKより転載)



「迷走」という言葉がある。



これは道のある陸上の言葉ではなく、例えば「第七管区海上保安本部若松海上保安部などが取り組んでいる迷走船対策」と言うように道というもののない海洋における船舶の航行、あるいは空の飛行機の飛行の様を表す言葉だ。



私も海洋の航行時にたまに迷走船に出くわすことがある。

その多くは海が荒れた時のことで、波間に見え隠れする遠くの船の針路が定まらず、フラフラして一体どこに行こうとしているのかわからない。



こっちかな、いやこっちかなと、慌ただしく針路を変える。



つまり慌てているのだ。











この日本丸と言う船の舵を握っている安倍首相はさしずめ荒れた海の中のあわてた船長のように見える。



そのおかげでいわば今日本は海上保安庁の言うところの「迷走船」そのものとなっている。



自分一人で遭難するなら構わないが、この船には一億二千万もの乗客がいるのだ。



投稿の中で安倍のマスク云々とこだわるのはどうかと思うと言うのがあったが、私は以下のようにそう言った細部にすでに彼が針路定まらぬふらつき船長であることが現れていると指摘している。










466億円もの大金を使い、全家庭に2枚の布マスクを配るという信じがたい駄策を発表するやいなや、各方面から布マスクは不織布マスクに比べ使い物にならないと指摘されると、慌てて彼は通常の不織布マスクに付け替えた。

だが今度は、では国民に配った布マスクを安倍首相はなぜ装着しないのかという批判が飛び出た。そうすると安倍首相はまた不織布マスクをやめ、再びあの布マスクを再装着しはじめた。

私がすでに終息しているマスク問題にこだわるのはこれは単にマスクにとどまる問題ではなく、そう言った細部にこの緊急時に政権の「ふらつき」というものが如実に見て取れるということに他ならない。











その後、このマスクのふらつきの一件は案の定、その直後に特定世帯30万給付と一旦正式発表したものを引っ込め、国民一人当たり10万に切り替えると言う針路定まらぬふらつきに如実に現れる。



この舵取りのふらつきはさらに続き、4月7日に7都府県緊急事態宣言を発令したものの、都府県から他県への人々の移動を見て慌てて16日に緊急事態宣言を全都道府県に拡大。



その4月16日の緊急事態宣言は連休明けの5月6日までとしていたが、全面的ロックダウンのできないこの日本において連休明けに解除に至る状況になるとは国民の誰もが思っていなかったはずだ。



そして今日さらに1ヶ月延長。

この荒海の中、三度にもわたる針路の変更は国民の神経と忍耐に疲弊をもたらす。



一体この船はどこに行こうとしているのか、ふらふらと針路を変える日本丸に乗っている乗客はたまったものではない。











かと言って荒海の海洋の中の迷走船の針路を誘導する海上保安庁船のような役割をする、つまりこれは他国と言うことになるのだが、助け船を出す国はないのかと言うと決してない訳ではない。



先日私の本の韓国版の仲介をしているカンさんに電話をしたことろ、韓国ではPCR検査のキッドの提供など日本に何度も協力の打診をしているそうだ(こうした報道はなぜかない)。

しかも韓国におけるPCR検査の精度は日本の40パーセントに比べ80パーセントと高いらしい。

日韓関係の悪い中、韓国に助け船を求めるのは政権のプライドに傷をつけることになるわけだが、そんなプライドはかなぐり捨て、救済一途に邁進する。

つまり命を賭けるような迫力がない。



その点、今回の新型コロナウイルス戦争において、ニュージーランドのジャシーダ・アーダーン首相、台湾総統のサイ・エイブン、ドイツのメルケル首相と揺らぎのない船の操縦を見せた国主が女性であったことは特筆すべきことだろう。



一般的にというか、いやほとんど全てと言ってよいが、船の船長というものはおしなべて男性だ。

そう言う意味ではトランプやプーチンや安倍と言った男性の舵取りがふらつき、女性がヨーイング(左右のふらつき)をしっかりと制御する舵取りを見せていることには驚きを禁じ得ないが、それはひょっとすると驚くべきことではないのではないかも知れない。

それは女性国主のそれぞれが愛の言葉をもって国民に接したということだ。

台湾における部下の大臣は武漢から帰国した国民の一人が感染者だったことにさえ涙した。

それによって国民はその「人間の言葉」に自ら進んで従い、合わせてその心に潤いすら与えられたと思える。



官僚の作文をクールに棒読みするような国主の国においてはいかに医学的能力が高かろうがおそらくこの闘いには勝てない。

というのもこれは生物対生物の闘いであり、武器と最も遠い人間の心というものが皮肉にも最も性能の良い武器だということである。







     

 

2020/04/23(Thu)

真実や事実は、時に妄想より生まれることもある。(Cat Walkより転載)

いつのトークだったか忘れたが、コロナウイルス問題が立ち上がった早い段階から対策として一気に外出禁止令を出し、短期勝負に出ることを提案していた。



短期であるならあらゆる分野で収入が途絶えたとしてもなんとか持ちこたえることは可能だろうし、余力を温存できるからだ。



日本の場合は法制上諸外国が取るようなドラスティックなやり方は難しいというのが評論家などの口癖だが、安倍政権はこれまで東京高検検事長の定年延長など都合の良い時には超法規措置を弄してしてきたわけであり、こういった強権的な超法規措置をこのコロナウイルス問題にこそ取ってもらいたかったのである。



だがいわば戦争と言えるような命がけの局面ではこの国はオロオロと態度が定まらず、今やこの日本のコロナウイルス問題は何やら”生殺し”の様相を呈しはじめている。











だがこの生殺し状態は、それが意識的でないとしても、何やらあの中国メソッド(方策)に似か寄りはじめているのではないかとの思いを最近もちはじめている。



これはあくまで個人のひとつの妄想と受け取ってもらっても構わないが、私は4月8日に武漢の都市封鎖が解除され、新たな感染者をゼロと発表し、あの一列に並ぶ看護婦が満面の笑顔で次々にマスクを取る中国式コマーシャルを見たとき、あるマスコミ関係の人間に「いよいよ中国も腹を括ったな」と冗談まぎれに言った。



その腹を括ったと言うのは一定数の犠牲者(死者)が出ることを容認し、集団免疫方策に切り替えたのではないかと言うことである。



つまり新型コロナウイルスによる死者は中国全体の人口からするときわめて微々たるものに過ぎない、



ご承知のように中国では人口抑制を目指し79年より2015年まで一人っ子政策をとり、4億人の人口が抑制された。

だがこの人口抑制によって逆に社会の高齢化問題が生じた。

この日本でもそうだが、高齢者というのは一般的には生産性に寄与せず、医療保険や年金授受など、国家財政の負担になるわけだ。

そのようなことを勘案しながらつまり船長の妄想するところのものは生産性に寄与しない老いの世代の犠牲の上に立った「適者生存」の道を中国は選択したのではないかと言うことである。











この適者生存は地球上の生物の歴史におけるいわゆる自然淘汰という名の間引きであるわけだが、人間は適者生存の勝者として地球に君臨した。



だが他の動物の領域を収奪し、あるいは飼育化したことによって人間と動物の閾値が狭まり、他の動物生存内に幽閉されていた未知のウイルスに人類が感染しはじめたというのが疫病というものの歴史である。

これは私の住む房総の例でもよくわかることで、30年前からは猿と人間社会の距離が縮まり、猿害(これは人間側の言い方だが)が状態化し、ここ6〜7年のスパンで猪、鹿という種目が人間と急激に近接状態になり、先日も夜大きな鹿が車の前をよぎり左ヘッドライトを破損させたというように、すでに多くの動物と人間との閾値はゼロベースと言っても過言ではない。



今回の新型コロナウイルスはコウモリの媒介と言われているが、ご承知のように何やら結果的には人間が生み出したと言えるこの新しい疫病をもたらすウイルスは人間と同じくどんどん巧妙になっている。

例えばエボラ出血熱のエボラウイルスの場合、頭が良いとは言えず、感染するやすぐに人を殺し、心中するがごとく自らも絶えたわけだが、この新型コロナウイルスの場合は自分が生き延び、繁殖するために無症状の感染者を宿主として世間を徘徊させるという作戦に出ているわけだ。











私が「中国は腹を括ったのではないか」と言ったのはこの健康な若年者が軽傷、無症状のままやがては免疫を獲得し、老年、特に基礎疾患のある老年代が亡くなるという得意な特質を持つ新型コロナウイルスと極めて冷酷に、そして巧妙に中国共産党は手を結んだのではないかということである。



いわば「適者生存」による社会の再編成、あるいは人工淘汰である。



あの折「とうとう腹を括ったな」と冗談めいて私は電話口でそう言ったわけだが、実は自分でそう言いながらも半信半疑なところがないわけだはなかった。



だがそれから数日後に私の妄想の海に真実の水滴が垂らされるかのような報道が何かと中国の嘘を暴く香港メディアによってもたらされる。

香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストがまだ武漢には無症状の感染者が4万3千人以上いながら公表していなかった」との告発記事を出したのである。



私は自分の妄想が真実味を帯びてきたことにゾッとした。











ひるがえって、いまだにPCR検査をせず(あるいはできない)正確な感染者数すら把握できないこの日本にあって”放置策”でこの難局を乗り切ろうとする無意識の力学が働いているとするなら、それは冷徹な試算の上に成り立った中国メソッドとその場しのぎの無計画で事態を野放しにしているこの日本とが異なりながらも似る結果をもたらしつつあるということかも知れない。



そんな中、今日ある大学病院において興味深いデータが発表された。

今月、慶応大学病院は新型コロナウイルス以外の患者67人に対して、新型コロナウイルス感染の検査を行ったところ、およそ6%の人が陽性だったことがわかったと発表したのだ。

当然このサンプリングは話題になりNHKのニュース9でも司会者が専門家会議の尾身茂副座長に質問をしたが、その答えは口ごもって何を言っているのかさっぱりわからなかたた。



仮に慶応大学のサンプリングを一つの尺度とするなら東京の人口1300万の6パーセントとすると70万人が感染していることになるわけだ。

仮にその試算がオーバーであるとしたとして、その半分でも35万人となり、オリンピックが延期されたにもかかわらず昨今ずっと都が発表してきている毎日百数十人台の感染者という今や誰も信用していないこの数字との乖離が激しい。



この乖離が無能無策のゆえに結果的には巧妙な中国共産党と同じ適者生存の道を無意識に選んでいる一つの現れとするなら別の意味で怖い話となるわけだ。



     

 

2020/04/20(Mon)

「一灯照隅・万灯照国」それに尽きる。(CATWALKより転載)



このコロナウイルス禍の時勢において前後左右さまざまな問題が私たちを取り囲んでいるが、その細部は置くとして大きく分けると以下のようになる。





@感染、そして感染爆発(アウトブレイク)をいかに防ぐか。



A医療崩壊をいかに防ぐか。



B対社会(国家や他者)に対する意識をどのように維持すべきか。



C日常長期化する禁断(自制)生活への対処(医療崩壊と同時に懸念される家庭崩壊)。











今日は@に関して述べるなら、定期的に情報を提供していただいている医療関係のN.Y.君の後記の投稿にもあるように早急の問題は指数関数的に上昇する感染者数が感染爆発(アウトブレイク)に至ることをいかに食い止めるかということにある。



そんな中、何か神のようなものの降臨を頼むというような他力を期待することは禁物で、私たち個人個人がその鍵を握っているという自覚を持って出来ることは、ことわざの「一灯照隅・万灯照国」的行動をすることに尽きる。



つまり自身の足元を照らすに過ぎない小さなともし火も、それも万集まれば国をも照らす力となりうると言うことである。

今ほどこの言葉が実践的側面を持って迫っている時はない。



専門知識の持たない私たち個人個人にできることは当初からこのトークでも述べているように単純に「うつさない・うつらない」を日常の中で各々が努力することに尽きるわけだ。











私個人のことで言うなら人との接触を完全に100%にシャットアウトできないものの、たとえば本当に残念だが、この5月に予定していたPhoto Award授賞式の会場をキャンセルし、Parisの写真展のクローズに合意し、また近々行われる新聞のインタビューを電話インタビューに切り替えてもらい、いま現在進行中のラジオに関しても番組の軸と考えていた他者との対面のインタビューはこのコロナウイルス問題が収束するまで一旦据え置き、人との接触のないそれに変わる新しい企画を考えたりとさまざまな方策を練っている。



ラジオではこの22日に私が東京を歩いて実況をすると言う企画を立てていたが、それもとりやめてもらった。

屋外でもあるし、確かにそのことによって即他者にうつしたりうつされたりと言う状況は生まれない可能性の方が高いが、それ以上にこういったメディアというものが特別な存在で、市井の人々と異なった行動を取っても許されると考えるのは思い上がりで間違いだからである。

というよりむしろメディアこそ、逆に人々の範を示さなければならないと私は考えており、相手側そのことを伝え、納得してもらったわけだ。



仮にラジオの場合、私のモノローグ(語り)のみの場合であってもスタジオに赴いて人の接触が生じるわけであり、その接触機会を軽減するべく、自分単独でレコーディング出来るようにミニスタジオ的なレコーディングシステムの構築をはじめている。











N.Y.君から提供していただいた世界の政治、経済、人口、などさまざまな分野をリアルタイムで数値化する「Worldometer」では世界の国々と比べ、感染者の指数関数的伸長率が、特に同質のウイルスに感染していると見られるアジア諸国と比してこの日本が”置き去り”に近い状況であることが知れる。



安倍政権下で、特に311以降完全に内向きになったメディアや国民意識は、今こそ世界の側から自分を見つめる視点を持たねばならないことがWorldometerのデータであからさまになるわけだ。



当初からPCR検査を徹底的に行った韓国はすでに感染者数1日あたり1桁台となり、街は元どおりの賑わいを見せ、頭脳的作戦を講じた台湾に至っては新型コロナウイルスの封じ込めに成功し、すでに感染者数ゼロを達成している。



この結果は韓国や台湾の場合はサーズ時の教訓が生きているという決まり文句の言い訳は通らず、日本の新型コロナウイルス対策(対策をして来なかったこと)があきらかに失敗であったことが浮き彫りとなっていることを示している。



この分だと隣の国々では市民が焼肉店や中華店で開襟し、ワイワイと宴会をやっている最中、ニューヨークやマドリッドなどに続いて遅れた感染爆発(アウトブレイク)がこの日本を襲い、世界の注視を一身に浴びないとも限らないわけだ。



そして政府と国民がそれくらいの危機感を持っているかどうかだが、この政府にしてこの国民ありというべきか、巣鴨のとげ抜き地蔵通りや普段より人通りの多い戸越銀座のにぎわいを見ると言葉は悪いがバカがぞろぞろ闊歩して家族や国を滅ぼそうとしているという以外の何か適当な言葉が見つからず、実際に国が滅びてしまった戦前の街を闊歩する提灯行列を彷彿とさせる。











そういう意味でせめてこのCATWALK船内だけは自覚を持っていただくために世界で2千5百万回以上ものアクセスがあった、アメリカのミシガン州の一人の家庭医が「家庭でも応用してもらいたい」とアップした「医療の現場で行われている物による感染防止方法」の動画を以下に貼り付ける。


https://www.youtube.com/watch?v=sjDuwc9KBps&feature=youtu.be



私もこのトーク内で宅急便などの箱や内容物の熱消毒を提唱したが、動画を見ながらここまでやるか、との思いが生じないでもない。



だがすでに新型コロナウイルスが蔓延している以上、医療の現場で行われているモノからの感染防止方法を取り入れなければならないような現実に私たちが直面しているということである。



どこやらのテレビで若い小ぎれいな医療関係のゲストが司会者が「物からの感染はないのか」との質問に対し、諸外国ではそういった報告はないからその心配はない、と妙に流暢に自信を持って答えていたが、ドアノブやエレベーターのプッシュボタンからの感染は早くから言われているところのものであり、そういった専門職風の人間でさえつい無自覚なウソをついてしまうような日本のご時世への警鐘としてもこの動画は機能しているとも言える。






     

 

2020/04/17(Fri)

太平洋戦争時の大本営のあの読みの甘さが蘇る今日(CATWALKより転載)

ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に着岸したのが2月3日。

乗客が全員下船したのが3月1日。

ほぼ1ヶ月間、新型コロナウイルスの汚染問題は陸から切り離された対岸の火事として私たちはそれを眺めていた。



だが今や海洋に浮かぶ島国この日本国そのものがダイヤモンドプリンセス号と化し、以降今日までめまぐるしい日々が続くが、今日やっと首相は緊急事態宣言を全国区に広げた。



東京に緊急事態宣言が発令されたのは7日だから10日後ということになる。

政治というものが事態の予期予測の上に立って政策が履行されるものであるとき、これは政治と呼ぶ代物ではない。











房総の私が住む周辺の人々にもマスクが欠品していて、朝早くから薬局に並ぶのだが、いまだに手に入らないというような近隣の人の話を聞き、今月に入って私は自分のルートで通常のマスクが手に入るたびに現地に赴き、とくに人と接する職業の人に配っているわけだが、東京に緊急事態宣言が発令されてのち、それまでガラガラで時には見渡す限り前を走る車が見当たらないという閑散状態の続く房総方面の高速道路が、東京に緊急事態宣言が発令された途端、通常状態より車が増え、ああこれは武漢やニューヨークに緊急事態宣言が出された時の光景そっくりだなと思った。



武漢の場合、都市封鎖がなされるということで、その前に膨大な数の離郷者が武漢以外の土地に逃げ出し、それがまた感染クラスターを生むという現象が起きたわけだが、この東京でも緊急事態宣言が発令されたとき、そこに”ミニ武漢”が展開されていたわけである。











今回政府が緊急事態宣言を全国区に広げたひとつの大きな要因が、緊急事態宣言の出された東京や大阪などの大都市から人々が地方に流入し、そこで感染が広がる現象が起きたことにあるわけだが、政治というものが事態の予期予測の上に立って政策を立てる事業である時、このように起こったありさまを見て、慌てて後追いで政策を変更するようなやり方は政治と呼べる代物ではなく、私はこの政府にこの世紀の緊急事態を任せて大丈夫かとの思いを強くするわけだが、私の知る限りそのような当然あるべき批判論調が出てこないところを見ると、その緊急事態を受ける側、報道する側も俯瞰的視点で今回の一件を眺めていないということだろう。



まったく前例のないことならともかく、武漢にしてもニューヨークにしてもケーススタディとしての前例があったがゆえになおさらこの思いが強くなるわけだ。



武漢のことが念頭にあれば東京に緊急事態宣言が出されてのち、それに続いて直ちに人々の動静を把握するということをやっておれば、それから10日間(急速に事態が進展するコロナウイルス問題に関する限り10日間はあまりにも長い)もうすらぼんやりとはできなかったはずだ。



そんなことは例えば東京から各地方に向かう高速道路の料金所やインターチェンジでの交通量の変化をウォッチし記録すれば簡単にわかることである。

私ですら気づいていたそんな簡単なことをおそらくやっていなかった公算が大きい。



あるひとは今回のコロナウイルス問題を戦争になぞらえるが、これが戦争であるとするなら、あの太平洋戦争時に方々で起きた稚拙な作戦のゆえに兵士が見殺しにされた事例が既視感のように蘇る。



というより大本営の総指揮官の読みの甘さとそれを取り繕う虚偽が事態を悪化させたわけだが、何やらあれと瓜二つでなければ良いがとの思いを強く抱かせる今日の出来事ではあった。



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