Shinya talk

     

 

2018/05/26(Sat)

冗談でなく自由にモノが言えなくなるわけだから関係大ありなのだ。



A記者は現在、大阪放送局の報道部の副部長だが、来月8日付で記者職を離れ、番組チェックなどを行う「考査室」へ異動する内々示が出されたという。(日刊ゲンダイ)




上記の記事の日付より相当早く、NHK大阪放送局のA記者が昨日の午後「考査室」に異動させられた。


この異動が「官邸忖度人事」かどうかという点に関しては目下取材中であり、この件に関しては今月中にはアップできるかと思う。


時間を要するはこういった問題に関しては噂や憶測をもとに書くべきではなく、正確な事実を把握した上で稿を起すべきと考えるからだ。


ちなみに前回のブログに対し、藤原新也はこういう問題には関係ないだろ、というネトウヨらしき御人のtweetがあるが、私はこれまでNCナインのインタビュー、原作ドラマ、ノンフィクション番組、など数多くのNHK番組に関係しており、今現在も長尺インタビュー番組のオファーがある。


言論封鎖などの抽象的なことではなく、冗談でなく自由にモノが言えなくなるわけだから関係大ありなのだ。


実際に出演したりしているのだからこういった問題を書くのはリスクが伴うのは当然だが、それは致し方ないだろう。

     

 

2018/05/24(Thu)

日大アメフト問題の陰で由々しき問題が進行している。(CatWalkより転載)

日大アメフト問題が炎上するその陰で、あるいはそれ以上に深刻な問題がひそかに進行している。

発端は5月17日付「日刊ゲンダイ」紙上の以下の記事である。

180524.jpg

要するに森友問題のスクープを出し、さらにこの問題に現在進行形で関わっているNHK記者のとつぜんの考査室への左遷。
これには何らかの大きな力が働いているのではないかとの憶測をもとに書かれた記事である。

もしこの記事に書かれていることが事実であるとするなら、言論統制事案とも考えられ、マスメディアのみならず私のように言葉を編む人間にとっても深刻な問題であり、さらに言えばメディアの言葉を享受している一般市民にとって、ある意味で日大アメフト問題以上に大きな問題であると言える。

そしてこの「日刊ゲンダイ」の記事はネットで拡散し、岩上安身氏、望月衣塑子氏、金子勝氏など著名なジャーナリストや学者などがフォローし、大きな問題に発展するかに見えた。
だが件の日大アメフト問題が恰好のスピンコントロールの役割を果たし、一連の動きに水を注す恰好となった。

ただし私個人は手放しで「日刊ゲンダイ」の記事に追随するのはいささか早計ではないかとの思いもなくはなかった。

というのは「日刊ゲンダイ」の記事は刺激的内容であるには違いないが、この記事の中の事実(ファクト)は「森友問題に関わっていたA記者が考査室に左遷される」のみであり、それが阿倍政権に対する忖度人事であるかのごとく書かれているのはあくまで憶測の領域を出ないからである。

そんな中、「日刊ゲンダイ」の記事が出て5日後の5月22日、この問題に関し、ニュートラルな視点で書かれた以下の元NHK記者の論考がYahoo!ニュースに出稿された。


「拡散される森友問題スクープ記者を“左遷” NHK「官邸忖度人事」の衝撃」は本当か?」
https://news.yahoo.co.jp/byline/tateiwayoichiro/20180522-00085498/




昨今このネット社会では右か左かの二者択一風景が広がっており、中庸を保つことが非常に難しい時代となっている。
そういう意味ではこの立岩陽一郎氏の書いた記事はニュートラルな視点で書かれているように見え、なかばテーマとの齟齬生じることなく読み進めることが出来たわけである。

だが記事を二度ほど読み直して、この記事に徐々に違和感を覚え始める。
というより大きな欠陥、あるいはごまかしがあることに気づいたと言った方がよいだろう。

彼は論考の中で以下のようになんらかの記事を書くにあたってファクトチェックがもっとも大事であるということを述べている。

「ファクト・チェックという取り組みがある。これは米国を中心に世界に広がっているもので、公職にある人間の発言や報道された事実について事実関係を検証する取り組みだ。このファクト・チェックのルールを適用してこの「日刊ゲンダイ」の記事を判断するなら、残念ながら、「事実の提示が不十分で、読者をミスリードする内容」としかならない」

正論である。

昨今ネット社会では極端な例ではコピペでそれなりの体裁の整った記事を書くことが可能であることと、紙媒体のように取材費が出ないため「現場に行く」「人に会う」と言ったファクト・チェックの基本をおろそかにする言説が跋扈し、言葉というものに信頼感がなくなってきている。

そういう意味では「日刊ゲンダイ」の記事にはファクト・チェックがなされておらず、またそれを受けての前記のジャーナリストや学者の言葉にもファクト・チェックがなされていないと彼が述べているのは客観的に間違いとは言えない。

だが今回の問題に関して私個人が掴んでいる事実確認(ファクト・チェック)に照らし合わせるなら立岩陽一郎氏の論考にはあきらかな欠陥があることが透けて見える。

以下がそれである。

この記事を読んだ人は、この記者を40代或いは30代の中堅記者だと思うだろう。「定年間際の社員が行く」部署に異動させられたのがおかしいというのが記事の肝だからだ。
これについてA記者が所属するNHK大阪放送局報道部員に確認した。
「A記者は50代の半ばです。50代半ばより、少し上かと思います」


私は二度読み直して彼の書く記事に違和感を感じたと言ったのは「これについてA記者が所属するNHK大阪放送局報道部員に確認した」のくだりをてっきり「A記者本人に確認した」という風に誤読していたのである。

そしてこのくだりを違和感以上の「ごまかし」と感じるのは彼が記事を書くにあたって最大の取材源である本人A記者に直接取材せず周辺取材でお茶を濁していることだ。

私が個人的に掴んでいる事実(ファクト)を言うなら立岩陽一郎氏はA記者の4期下であり、かつて個人的にも親交があり、お互いの携帯番号も交換している。とうぜん年齢の把握など周辺取材をするまでもなく熟知しているはずである。

にもかかわらずA記者に一面識もない第三者のように装い、事案の本人にコンタクトをすることもなく、周辺取材でA記者の情報を得ている。
この立ち居振る舞いは自らの立場をニュートラルに見せるための”操作”と見えても致し方ないだろう。

この時点においてこの立岩陽一郎氏の記事は信憑性に疑問符を打たざるを得ないわけである。
私は立岩陽一郎氏の記事が政権に忖度していると言っているのではない。
疑問符が付くと言っているのである。

彼は論考の最後に「大事なのは政治的立ち位置ではない。事実だ」

というまっとうな言葉で結んでいるわけだが、本来取材というものの基本である「本丸に当たる」をおろそかにしているこの記事は、おのずとその「(大切なのは)事実だ」を放棄しているわけである。

そこで立岩陽一郎氏に問いたい。
なぜ携帯番号を知っていながら本人への取材をしなかったのか。
納得の出来る説明をしていただきたいと思う。

というのはこの事案は政治問題以上に、崖っぷちに立たされた人ひとりの人生がかかっている問題でもある。
私個人は政治問題より他人様の人生を左右する論考を書きながらも、そこに”人間(他者)”に対する思いが感じられないことに、なかば怒りを覚えるものである。




注・また、当A記者が森友問題スクープ以降、どのような処遇を受けていたかというファクトチェックが出来たあかつきには、新たな稿を起こすつもりだ。


     

 

2018/05/15(Tue)

新潟女児殺害容疑者の映像に見る人間性と時代様式。(Cat Walkより転載)

新潟女児殺害事件は停滞する為政の膿(この膿はひとえに安倍首相の体内に溜まる膿だが)が蔓延する世の中においてさらにストレスを増大する事案だったが、犯人逮捕に至り、まずは良かったと思う。
このような世の中でこの事案が迷宮入りした場合のストレスは計り知れないものがある。

さて犯人逮捕にまつわる映像に関してだが、この小林遼(23)という青年、外見は一見どこにも居そうな好青年である。
というより色白で目鼻立ちは整い、どちらかと言うと爽やかなイケメンの部類に属するだろう。
服装も白い半袖のシャツにブルーのベストとこちらも爽やか。

だが護送する車内の中の顔に一瞬(1〜2秒間の出来事だが)彼の本性が垣間見え、これほど外面と本性の落差の大きい人間も珍しい。

以下は小林が護送する車内の中で見せた3様の映像である。

小林遼1
@

小林遼2
A

小林遼3
B

この@とAとBの小林容疑者の変貌ぶりがすざまじい。
テレビは動画なので一瞬浮かべた表情だが、この顔にストップモーションをかけ、コメントを吐くような局はなかった。

これは科学的根拠のあることだが、人間の顔の右半分と左半分は異なった性格を擁している。
それは論理的な左脳と感情的右脳の違いが身体的特徴として現れるからだ。
ご承知のように左脳は逆交叉して右半分の身体を支配し、右脳は左半分の身体を支配している。

眼も同じである。
右目は左脳に直結しているため、論理的で数値的なデータ処理を行う、つまり建前の世界である。
外に向かう外交的な視線を持つわけだ。

そして左目は感情を司る右脳と直結するため、怒り、恐怖、驚き、悲しみ、嫌悪、軽蔑などの内向的感情が現れるいわば本音の世界である。

私は写真を撮る時、その人の左眼と右眼を一瞬見ることがある。
これは民族によっても違うが、だいたいその表情は違う場合が多い。
だが韓国の女性というのは左右対称がよくあり、分かりにくい(左右対称だから感情の見えない冷たい印象を与える)。

今回の小林遼容疑者の様に、いわばジキルとハイドのごとくその左右の異相がきわめてはっきり確認できる例はなかなか珍しい。
Aの伏し目がちな彼の顔はどちらかと言うと気の弱い青年だが、Bにおいてはとつぜんその左眼は一見怒りすら孕んで獲物を狙うような眼になっている。
おそらく女児に狙いをつけるとき、彼はこのような眼をしていたのではなかろうか。

ただし、Aの写真にも犯罪を犯す性格的要素が見えないわけではない。
この弱々しい表情は一見”優しい”と誤解されがちだが、この弱々しさはセルフディレクション(自己統治力)が軟弱とも見てとれるわけだ。
つまり左眼に現れる内面の情動を自己統治力によってコントロールが出来ないということである。

そういう意味では今回の護送車内において容疑者がみせたふたつの表情はなかなか興味深い。

とともに子供に自己統治力を与える者が主に父親の役目であるとするなら、小林の家族における父親というのはどのような存在だったのかということが個人的には気にかかるところのものだ。

父性欠損がひとつの今日的時代様式である時、この事件もまたその様式に抵触するものかどうかということは見極めたい。


     

 

2018/05/11(Fri)

イランとの核合意破棄が示すもの。(Cat Walkより転載)

トランプとキムジョンウンの会談場所がシンガポールに決まるまで、水面下で双方の間で行われた熾烈な争いや綱引きはブラックボックスの中の出来事であり、誰もが推測でものを言うしかないわけである。

この耳にタコができるほどの推測の論調は、それはあくまで推測であるわけだから聞くたびに逆にストレスが溜まると言うことになる。

しかしこの事は私の知る限りあまり誰もが言及していないことのように思うが、この水面下の交渉においてトランプがどのように北朝鮮にプレッシャーをかけたかという事は、ある出来事によって既に答えが出ているように思うのである。

それはトランプの突然の地球温暖化国際会議離脱に似た、これまた突然のイランとの核合意破棄である。
この一件は北朝鮮から遠く離れた中近東での出来事だから、それとこれとを結びつけて考える思考が働かなかったとも言えるが、私はこのイランと欧米諸国の間で交わされた核合意からのアメリカの離脱宣言は、アンダーテーブルにおけるアメリカと北朝鮮の綱引きと密接に関係があると思っている。

ご承知のように欧米諸国とイランとの間に交わされた核合意は、経済制裁の段階的解除と引き換えに、今現在、核爆弾を作るのに1年は要するイランの核施設を段階的に閉鎖するというものである。
それまで欧州と足並みを揃えこのイランの核施設の段階的閉鎖に合意していたアメリカが唐突に離脱したと言う事は、北朝鮮とアメリカが水面下においてどのようなやりとりがなされていたかを知る上の重要なヒントになると言えるだろう。

つまりトランプは北朝鮮に対し全面降伏、つまり核弾頭及び核施設の即時破棄を求めたのではないか。
これはあのトランプの強引な自分ファースト的性格からしても容易に想像できることだ。

仮にトランプとキムジョンウンがシンガポールにおいて角突き合わせ、熾烈な交渉に入った場合、全く同じケーススタディーであるイランの核問題を北朝鮮側が俎上に載せる事は容易に想像できることである。

つまりイランとアメリカの間では各施設の段階的閉鎖と経済制裁の解除が等価交換されているにもかかわらず、アメリカと北朝鮮でそれができないのは矛盾しているとのツッコミが必ずや出てくるはずなのである。

夫の不倫を理由に離婚調停に持ち込んだ妻の不倫が夫からツッコミを入れられ、調停不成立に終わる事はよくあることらしいが、それと同じことである。
アメリカは会談の前に交渉が不利になるこの根本的矛盾を払拭しておく必要があったわけだ。
トランプが北朝鮮との交渉の最中、突然アサッテの方向向いてイランに向けて弾を撃った一件は、唐突のように見えそれなりの確固とした理由があったと言うことだろう。
付け加えるならこのトランプの行動はイランに対し即時核施設の閉鎖を求めるイスラエルの意思にもかなっており、トランプの大嫌いなオバマの政策の全面否定と言うお土産もついているわけである。