Shinya talk

     

 

2021/03/16(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.52


コロナ問題が起きる前の一昨年の12月、私は南インドカレーを食いにマドライ(旧マドラス)に行きたいと思っていた。

だがこんな状況である。


今世界の旅は閉ざされている。

まさかこのような時代がやってこようとは誰が想像しただろう。



今回のpodcastはその旅の話だ。



というより、昨今若者の旅をしない若者の話である。


若者が旅をしなくなったのはなぜなのか。

そのことを自分なりに考えてみたことを話した。




Podcast 藤原新也「新東京漂流」



     

 

2021/03/09(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.51「スエーデンからの便り、その3」



今回のスエーデン便り、思わぬ展開で私自身も、なるほどと唸るところがあった。



つまり私が若かりし頃のインドに向かう1969年のヨーロッパの旅の中において長年「あれはなぜだろう?」と思ってその謎のまま忘れていたことが今のようによみがえり、はたと手を打ったわけだ。



それが何かは聴いてのお楽しみだな。



Podcast 藤原新也「新東京漂流」








     

 

2021/03/02(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.50「スエーデンからの便り、その2」

スエーデンは今回のコロナ禍に対し唯一放置政策をとった国であり、その結果は失敗に終わったが、今回のインタビューでは注目すべき政策がある。

それは失敗後も先進国で唯一「学級閉鎖」を取らなかったということである。

これは日本では義務となっている教育を当国では児童の権利とする真逆の発想によるものであり。その得意な政策に関してはほぼ成功した。

これは注目すべき話であり、聞き手私もそのことに最も着目している。




Podcast 藤原新也「新東京漂流」



     

 

2021/02/24(Wed)

人間のDNAの中に居残るウィルスパニック障害という視点。


今日アップしたPodcastはスエーデン在住の久山葉子さんの談話に私のコメントを付したものだが、久山さんは翻訳家でもあり、今ベストセラーとなっている「スマホ脳」も翻訳されている。

今回久山さんの話を受けて、ヒトのDNAの中に居残っている可能性のあるウィルスに対するパニック障害に言及している。

コロナに対するこういった視点はおそらくはじめてのことだと思われ、そういう意味で興味深いコメントとなっているのでお聴き願いたい。



藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.49「スエーデンからの便りその1」



Podcast 藤原新也「新東京漂流」




     

 

2021/02/16(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.48「イナゴの群とコロナウイルス」

     

 

2021/02/12(Fri)

私たちは予測不能な情動が巻き起こる時代の真っ只中に生きている(CATWALKより転載)


森元首相は、台湾の国父、日本にも親交があった台湾の李登輝元総統が心臓の病を患い、日本の高度な治療を受けたいとの申し出を(外務省のチャイナスクールや当時の外務大臣河野洋平などが阻止しょうとしたが)「そうではないだろう。私人が病気治療で来たい、と言っているのに、ビザを出さなかったら人権問題だ」と真っ当な考えで反対を押し切って李登輝を日本に招き入れているというような一面を持ち合わせている。

当時、河野洋平などは李登輝を危険人物などととんでもないことを言っていたと記憶する。

台湾の国父を日本に招き入れることは台湾を国家として認めることであり当然中国は猛反発した。

そしてその後、森は昨年8月の李登輝追悼式にも病を押して出席している。

森は根回し上手と言われるが、恩を受けた者にはいかなる反対があろうと返すという、そう言った人間としての基本姿勢も持っている男だ。

だから根回しも効くということだろう。


昨日のトークで「妖怪から妖怪へ」などと揶揄しがが、私個人はあの李登輝と台湾に対し、歴代首相の誰もできなかったことを実行した森元首相の浪花節的体質においては評価している。

その人情に篤い森の「女性は話が長い」との発言を見ると人格面でアンバランスなところがある。

当然、このひとことは女性を上から目線で見下す蔑視的発言であり、さらには世界のme toムーブメントにいかにも鈍感すぎ、この世界標準に鈍感というその一点においてそれは老害と言え、世界標準を遵守しなければならない日本オリンピック委員会の会長を辞して当然とすべきだろう。









だが思うにこのコロナ時代は一面、恐ろしくもある。

一年余続くコロナ禍によって日本のみならず全ての国の人々が被害者意識と不安と多大なストレスを抱えつつある。

そんな中、オリンピックという大きな事業、そして大きな体、大きな態度、つまり格好の”大きなターゲット”である森は恐ろしいほどの怒りの艦砲射撃を受け撃沈したと言えるだろう。

まさかあの委員会の講演の中で「女性は話が長い」と人の言葉を引用した冗談まぎれの一言が日本のみならず世界に怒りの竜巻を巻き起こすと、その場に居合わせた誰が想像しただろう。

おそらく船長の私がその現場に居合わせたとしても、その言葉に不快を感じ、これまでもあったように一部のマスコミで問題視されるされるかもしれないとの思いを抱いたかも知れないが、その後に世界規模の怒りの竜巻が巻き起こるとは想像できなかったはずだ。

現在の自民政権には特に安倍元首相においてだが醜悪な成功体験というものがある。


森加計問題に始まり、桜を見る会まで、彼は枚挙に遑がないがないほど不正を働いて来たのだが、マスコミや世間の批判が巻き起ころうと、それを燃えるに任せておけばいつか事態は鎮静化するということであり、森とその関係者もそのように流れを予測していつものように居座るつもりだったのではないか。


だが今回の問題が国内問題にとどまらなかったことは予想外だった。

というのは問題を起こした場所が国内行事の場ではなく国際行事に関連する場だったからだ。


それは海外に飛び火し、ついには有力スポンサーまで森の首に縄をかける動きまで出てきた。

おそらくこの決定打がなければ現政権の誰もがやって来たように森は嵐の過ぎ去るのを待っていた可能性があるだろう。

オリンピックはご承知のように巨大な利権行事でもある。

教襟や道徳でもなく、金の力が森を動かしたという意味において森の退任はただ後味が悪い。

コロナ禍で溜まった熱した心のマグマと、そう言った諸条件が重なったがゆえにこの日本に蔓延る「居座り”文化”」と呼べるものが粉砕されたわけだ。

つまり私たちは今ある意味でそのような予測不能な情動が巻き起こる時代の真っ只中に生きているということである。




     

 

2021/02/09(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.46 ロンドンからの便り2。

     

 

2021/02/02(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.46「ロンドンからの便り」


藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.46からはイギリスのロンドン、スエーデン、ニューヨーク、北京、に在住の主にジャーナリストの方へのインタビューである。


今回その四元コンタクトは通常のインタビューと方式を変え、リモートでのやり取りの際、問う側の声はカットし、答える側の話を通しで流し、藤原がそれに対してきちんとモノローグでコメントを出すというこれまでにはない方式を編み出した。


というのは電話やリモートでのやり取りというのは聴く側も他人の会話を聴いているように雰囲気だけが右から左へと通過してしまい、あとに問題点が残らないということを私個人は感じていたからだ。

そこで編集ディレクターと相談をして、まず前振りで藤原のコメント、先方の話を編集し通しで流す。その後に先方の話の中でそこが要点だということを藤原が掴み、その要点に対し藤原がじっくり自分の考えを述べる、というインタビューとしてはおそらくこれまでにはない方式を作ったわけだ。


このような試みはおそらく本邦初めてのことで基本的には聴く側に評価を預けるわけだが、私自身は成功したと考えている。

こうした方式をとったのはネットではなく、紙媒体における活字化した対談とその後書きの記憶があったからだ。

とかくネットでは人の言葉は軽くなり、さらにはリモートや電話対談のようなものになると言葉というものが活字のように定着しない。

そういう意味では今回のPodcastはネット言語の活字化の試みであるとも言える。



今回インタビューさせていただいたのはロンドンに20年ほどお住まいのジャーナリストの森園ユウさんである。

この方は編集サイドの方から探してコンタクトをしたのだが、奇遇というべきか私と過去に縁があった方というのが以下のようにわかった。












ロンドンの森園ユウさんは、20代の頃、J-WAVEで番組制作の仕事に携わっていました。

そして、彼女がロンドンに移住する前の数年間にやっていた番組が、(僕の友人である)ロバート・ハリスがパーソナリティを務める夜の番組で、藤原さんが一度、その番組のゲストとして出演されたのですが、そのときに、藤原さんにご連絡し、番組出演をお願いしたのが、森園さんなんです。

今回も、僕のインタビューに応える前に、彼女は藤原さんのPODCASTをほとんど全部聴いていて、その彼女が僕に、「藤原さんは、誰かにインタビューしても、もちろん面白いけれど、でも、ひとりで喋っているのが、一番面白いし、きっと聴いている人たちの多くは、藤原さんの独り語りが聴きたいんじゃないか」
と僕に言っていました。

編集ディレクター今井談




Podcast 藤原新也「新東京漂流」









     

 

2021/01/26(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.45「ニュースが伝えることと事実のギャップ」

     

 

2021/01/19(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.44「2021年の始まりに思う日本・世界」

     

 

2021/01/12(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.43関野吉晴さんとのダイアローグ・その4

     

 

2021/01/06(Wed)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.42「冒険家関野吉晴さんとのダイアローグ3」

     

 

2020/12/31(Thu)

Podcast 「新東京漂流」Vol.41関野吉晴とのダイアローグ。

     

 

2020/12/22(Tue)

Podcast 「新東京漂流」Vol.40 冒険家関野吉晴さんとのダイアローグ。


関野さんはご存知の様に冒険家だが、お医者さんでもある。



今回、関野さんと対談したいと思ったのは私と同じ様に実戦で世界に触れた彼が今回のコロナ問題をどの様に考えているかを知りたいためである。



第3回目あたりから、その思いが語られるが、思うにコロナ問題に関し、学者の机上の論に偏って聴いていた私たちの耳にはきっと新鮮だと思う。



このコロナ問題に関しては学者や政治家や医師の話のみでなく、あらゆる分野の人々が自分のフィールドならではの独自の見解を述べるべきだと感じた次第だ。




Podcast 藤原新也「新東京漂流」


     

 

2020/12/16(Wed)

要は危機管理の問題に尽きる。(CATWALKより転載)

先週の金曜に金曜爆弾を落としたばかりだが、また火薬庫から爆弾を取り出さなければならず、爆弾の品薄に頭を痛めるとともに、いったいこいつは爆弾を落とす価値のある輩なのかと一瞬手が止まる。


何を言おうとしているのかは先刻おわかりのことと思うが、そう、菅の銀座での8人会食”事件”である。
菅は記者連の囲みで会食等は4人以下とするようにとのアナウンスを行っているわけだが、その言葉根の乾かぬ一昨日、銀座の高級ステーキ点で8人の忘年会を行ったとある。


テレビでは赤ら顔でレストランから出てくる面々が映し出されるが、この平均年齢は78歳。

つまりご丁寧にもこぞってコロナ重症化閾値年齢。


耄碌しているからこんなご時世に自粛とはほど遠い宴会をのうのうとやっているのというのならレストランを出たその足でそのまま揃って介護付き老人ホームに直行していただきたいわけだが、そこに一国の総理が居るとなると冗談を言っている場合ではない。










銀座の有名な高級ステーキレストランと言えばすぐに銀座の「かわむら」と新橋演舞場の真ん前にある「銀座ひらやま」に思いが至るが探ってみるとどうやら船長も昔人に招待されて行ったことのある「ひらやま」らしい。

予約困難でディナーは3万円( 今は7〜8万くらいらしい)くらい。あの店内でコロナ対応の仕切り板が設置されているとは思えず、その意味においても不用心この上ない。


先週の金曜には例の「ガースー」”事件”で爆弾を落としたわけだが、船長がなぜ爆弾を落としたかというと、世間の非難論調となっているこんな緊急事態に冗談を飛ばして笑っている場合かというそんなことではない。


またこの「銀座ひらやま」”事件”においても国民には4人以上の会食を慎むように言っていながら自分たちは大勢の会食をしているという直裁な怒りを船長は表明しているのでもない。


船長の怒りは自己の危機管理が出来ていないということに尽きる。


つまりコロナ緊急事態がますます高まっているさなか、一国の長がエヘラヘラ笑いながらガースーですと言って公のメディアに登場した場合、国民やメディアに非難の嵐が巻き起こるのは当たり前のことであり、そのような当たり前のことも想像出来ない、つまり一国の首長としての、というより自分自身に対しての危機管理の甘さに怒りを覚えるわけだ。


この銀座ステーキ事件においてもまったく同様の事だ。

4人以上の会食を慎むようにと囲み会見で言ったその足で8人の宴会をやたら目立つあの銀座の高級ステーキ店でやったとするなら、ガースー”事件”を超えた”事件”なることは火を見るよりあきらかであり、そういう想像力の働かない一国の首長の存在に怒りを覚えるのである。


つまり今回のふたつのみっともない事件は何を表しているかと言うと、自己の危機管理すらまともに出来ない一国の首長が全国民の命を預かるべく危機管理なぞ到底できるものではないということを表しているわけであり、それでもなおかつ一国の首長の座に居座り続ける仕組みいなっている、そのことに怒りを覚えているということである。


ちなみにガースーとはネットでは蔑視用語として流通しているわけであり、ひょっとするとガースー発言は菅の自身の無能ぶりを、ネットで表明したのかも知れぬ。

そうであるとするなら結構自分のことを客観視出来ていると言うことだろう。








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