Shinya talk

     

 

2021/02/24(Wed)

人間のDNAの中に居残るウィルスパニック障害という視点。


今日アップしたPodcastはスエーデン在住の久山葉子さんの談話に私のコメントを付したものだが、久山さんは翻訳家でもあり、今ベストセラーとなっている「スマホ脳」も翻訳されている。

今回久山さんの話を受けて、ヒトのDNAの中に居残っている可能性のあるウィルスに対するパニック障害に言及している。

コロナに対するこういった視点はおそらくはじめてのことだと思われ、そういう意味で興味深いコメントとなっているのでお聴き願いたい。



藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.49「スエーデンからの便りその1」



Podcast 藤原新也「新東京漂流」




     

 

2021/02/16(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.48「イナゴの群とコロナウイルス」

     

 

2021/02/12(Fri)

私たちは予測不能な情動が巻き起こる時代の真っ只中に生きている(CATWALKより転載)


森元首相は、台湾の国父、日本にも親交があった台湾の李登輝元総統が心臓の病を患い、日本の高度な治療を受けたいとの申し出を(外務省のチャイナスクールや当時の外務大臣河野洋平などが阻止しょうとしたが)「そうではないだろう。私人が病気治療で来たい、と言っているのに、ビザを出さなかったら人権問題だ」と真っ当な考えで反対を押し切って李登輝を日本に招き入れているというような一面を持ち合わせている。

当時、河野洋平などは李登輝を危険人物などととんでもないことを言っていたと記憶する。

台湾の国父を日本に招き入れることは台湾を国家として認めることであり当然中国は猛反発した。

そしてその後、森は昨年8月の李登輝追悼式にも病を押して出席している。

森は根回し上手と言われるが、恩を受けた者にはいかなる反対があろうと返すという、そう言った人間としての基本姿勢も持っている男だ。

だから根回しも効くということだろう。


昨日のトークで「妖怪から妖怪へ」などと揶揄しがが、私個人はあの李登輝と台湾に対し、歴代首相の誰もできなかったことを実行した森元首相の浪花節的体質においては評価している。

その人情に篤い森の「女性は話が長い」との発言を見ると人格面でアンバランスなところがある。

当然、このひとことは女性を上から目線で見下す蔑視的発言であり、さらには世界のme toムーブメントにいかにも鈍感すぎ、この世界標準に鈍感というその一点においてそれは老害と言え、世界標準を遵守しなければならない日本オリンピック委員会の会長を辞して当然とすべきだろう。









だが思うにこのコロナ時代は一面、恐ろしくもある。

一年余続くコロナ禍によって日本のみならず全ての国の人々が被害者意識と不安と多大なストレスを抱えつつある。

そんな中、オリンピックという大きな事業、そして大きな体、大きな態度、つまり格好の”大きなターゲット”である森は恐ろしいほどの怒りの艦砲射撃を受け撃沈したと言えるだろう。

まさかあの委員会の講演の中で「女性は話が長い」と人の言葉を引用した冗談まぎれの一言が日本のみならず世界に怒りの竜巻を巻き起こすと、その場に居合わせた誰が想像しただろう。

おそらく船長の私がその現場に居合わせたとしても、その言葉に不快を感じ、これまでもあったように一部のマスコミで問題視されるされるかもしれないとの思いを抱いたかも知れないが、その後に世界規模の怒りの竜巻が巻き起こるとは想像できなかったはずだ。

現在の自民政権には特に安倍元首相においてだが醜悪な成功体験というものがある。


森加計問題に始まり、桜を見る会まで、彼は枚挙に遑がないがないほど不正を働いて来たのだが、マスコミや世間の批判が巻き起ころうと、それを燃えるに任せておけばいつか事態は鎮静化するということであり、森とその関係者もそのように流れを予測していつものように居座るつもりだったのではないか。


だが今回の問題が国内問題にとどまらなかったことは予想外だった。

というのは問題を起こした場所が国内行事の場ではなく国際行事に関連する場だったからだ。


それは海外に飛び火し、ついには有力スポンサーまで森の首に縄をかける動きまで出てきた。

おそらくこの決定打がなければ現政権の誰もがやって来たように森は嵐の過ぎ去るのを待っていた可能性があるだろう。

オリンピックはご承知のように巨大な利権行事でもある。

教襟や道徳でもなく、金の力が森を動かしたという意味において森の退任はただ後味が悪い。

コロナ禍で溜まった熱した心のマグマと、そう言った諸条件が重なったがゆえにこの日本に蔓延る「居座り”文化”」と呼べるものが粉砕されたわけだ。

つまり私たちは今ある意味でそのような予測不能な情動が巻き起こる時代の真っ只中に生きているということである。




     

 

2021/02/09(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.46 ロンドンからの便り2。

     

 

2021/02/02(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.46「ロンドンからの便り」


藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.46からはイギリスのロンドン、スエーデン、ニューヨーク、北京、に在住の主にジャーナリストの方へのインタビューである。


今回その四元コンタクトは通常のインタビューと方式を変え、リモートでのやり取りの際、問う側の声はカットし、答える側の話を通しで流し、藤原がそれに対してきちんとモノローグでコメントを出すというこれまでにはない方式を編み出した。


というのは電話やリモートでのやり取りというのは聴く側も他人の会話を聴いているように雰囲気だけが右から左へと通過してしまい、あとに問題点が残らないということを私個人は感じていたからだ。

そこで編集ディレクターと相談をして、まず前振りで藤原のコメント、先方の話を編集し通しで流す。その後に先方の話の中でそこが要点だということを藤原が掴み、その要点に対し藤原がじっくり自分の考えを述べる、というインタビューとしてはおそらくこれまでにはない方式を作ったわけだ。


このような試みはおそらく本邦初めてのことで基本的には聴く側に評価を預けるわけだが、私自身は成功したと考えている。

こうした方式をとったのはネットではなく、紙媒体における活字化した対談とその後書きの記憶があったからだ。

とかくネットでは人の言葉は軽くなり、さらにはリモートや電話対談のようなものになると言葉というものが活字のように定着しない。

そういう意味では今回のPodcastはネット言語の活字化の試みであるとも言える。



今回インタビューさせていただいたのはロンドンに20年ほどお住まいのジャーナリストの森園ユウさんである。

この方は編集サイドの方から探してコンタクトをしたのだが、奇遇というべきか私と過去に縁があった方というのが以下のようにわかった。












ロンドンの森園ユウさんは、20代の頃、J-WAVEで番組制作の仕事に携わっていました。

そして、彼女がロンドンに移住する前の数年間にやっていた番組が、(僕の友人である)ロバート・ハリスがパーソナリティを務める夜の番組で、藤原さんが一度、その番組のゲストとして出演されたのですが、そのときに、藤原さんにご連絡し、番組出演をお願いしたのが、森園さんなんです。

今回も、僕のインタビューに応える前に、彼女は藤原さんのPODCASTをほとんど全部聴いていて、その彼女が僕に、「藤原さんは、誰かにインタビューしても、もちろん面白いけれど、でも、ひとりで喋っているのが、一番面白いし、きっと聴いている人たちの多くは、藤原さんの独り語りが聴きたいんじゃないか」
と僕に言っていました。

編集ディレクター今井談




Podcast 藤原新也「新東京漂流」









     

 

2021/01/26(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.45「ニュースが伝えることと事実のギャップ」

     

 

2021/01/19(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.44「2021年の始まりに思う日本・世界」

     

 

2021/01/12(Tue)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.43関野吉晴さんとのダイアローグ・その4

     

 

2021/01/06(Wed)

藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.42「冒険家関野吉晴さんとのダイアローグ3」

     

 

2020/12/31(Thu)

Podcast 「新東京漂流」Vol.41関野吉晴とのダイアローグ。

     

 

2020/12/22(Tue)

Podcast 「新東京漂流」Vol.40 冒険家関野吉晴さんとのダイアローグ。


関野さんはご存知の様に冒険家だが、お医者さんでもある。



今回、関野さんと対談したいと思ったのは私と同じ様に実戦で世界に触れた彼が今回のコロナ問題をどの様に考えているかを知りたいためである。



第3回目あたりから、その思いが語られるが、思うにコロナ問題に関し、学者の机上の論に偏って聴いていた私たちの耳にはきっと新鮮だと思う。



このコロナ問題に関しては学者や政治家や医師の話のみでなく、あらゆる分野の人々が自分のフィールドならではの独自の見解を述べるべきだと感じた次第だ。




Podcast 藤原新也「新東京漂流」


     

 

2020/12/16(Wed)

要は危機管理の問題に尽きる。(CATWALKより転載)

先週の金曜に金曜爆弾を落としたばかりだが、また火薬庫から爆弾を取り出さなければならず、爆弾の品薄に頭を痛めるとともに、いったいこいつは爆弾を落とす価値のある輩なのかと一瞬手が止まる。


何を言おうとしているのかは先刻おわかりのことと思うが、そう、菅の銀座での8人会食”事件”である。
菅は記者連の囲みで会食等は4人以下とするようにとのアナウンスを行っているわけだが、その言葉根の乾かぬ一昨日、銀座の高級ステーキ点で8人の忘年会を行ったとある。


テレビでは赤ら顔でレストランから出てくる面々が映し出されるが、この平均年齢は78歳。

つまりご丁寧にもこぞってコロナ重症化閾値年齢。


耄碌しているからこんなご時世に自粛とはほど遠い宴会をのうのうとやっているのというのならレストランを出たその足でそのまま揃って介護付き老人ホームに直行していただきたいわけだが、そこに一国の総理が居るとなると冗談を言っている場合ではない。










銀座の有名な高級ステーキレストランと言えばすぐに銀座の「かわむら」と新橋演舞場の真ん前にある「銀座ひらやま」に思いが至るが探ってみるとどうやら船長も昔人に招待されて行ったことのある「ひらやま」らしい。

予約困難でディナーは3万円( 今は7〜8万くらいらしい)くらい。あの店内でコロナ対応の仕切り板が設置されているとは思えず、その意味においても不用心この上ない。


先週の金曜には例の「ガースー」”事件”で爆弾を落としたわけだが、船長がなぜ爆弾を落としたかというと、世間の非難論調となっているこんな緊急事態に冗談を飛ばして笑っている場合かというそんなことではない。


またこの「銀座ひらやま」”事件”においても国民には4人以上の会食を慎むように言っていながら自分たちは大勢の会食をしているという直裁な怒りを船長は表明しているのでもない。


船長の怒りは自己の危機管理が出来ていないということに尽きる。


つまりコロナ緊急事態がますます高まっているさなか、一国の長がエヘラヘラ笑いながらガースーですと言って公のメディアに登場した場合、国民やメディアに非難の嵐が巻き起こるのは当たり前のことであり、そのような当たり前のことも想像出来ない、つまり一国の首長としての、というより自分自身に対しての危機管理の甘さに怒りを覚えるわけだ。


この銀座ステーキ事件においてもまったく同様の事だ。

4人以上の会食を慎むようにと囲み会見で言ったその足で8人の宴会をやたら目立つあの銀座の高級ステーキ店でやったとするなら、ガースー”事件”を超えた”事件”なることは火を見るよりあきらかであり、そういう想像力の働かない一国の首長の存在に怒りを覚えるのである。


つまり今回のふたつのみっともない事件は何を表しているかと言うと、自己の危機管理すらまともに出来ない一国の首長が全国民の命を預かるべく危機管理なぞ到底できるものではないということを表しているわけであり、それでもなおかつ一国の首長の座に居座り続ける仕組みいなっている、そのことに怒りを覚えているということである。


ちなみにガースーとはネットでは蔑視用語として流通しているわけであり、ひょっとするとガースー発言は菅の自身の無能ぶりを、ネットで表明したのかも知れぬ。

そうであるとするなら結構自分のことを客観視出来ていると言うことだろう。








     

 

2020/12/15(Tue)

「門司港サウダーデ再び・伯翠庵最後の夜に」


コロナトークが続き、焦土の見える低空飛行だが、ここで伯翠庵の物語のシメと行きたい。

伯翠庵の物語は板長の作った懐石料理の一品一品に感想を述べるところで終わっているのだが、本来書籍で言えば後書きのようなものがついていたのである。

しかし気分が今ひとつで録音がうまく行かず、そのまま据え置いていたのだが先週の末に気持ちを立て直して一気に録音した。

それが今日アップした以下のPodcast「門司港サウダーデ再び・伯翠庵最後の夜に」である。

これで伯翠庵物語はしっかりした余韻を残し終わりとなる。





Podcast 藤原新也「新東京漂流」



     

 

2020/12/08(Tue)

Podcast 藤原新也「新東京漂流」


茂木さんとの対談は本日4回目で終了だが、4回目は茂木さんに乞われるかたちで主に人物を撮る時の写真論を展開している。

茂木さんの興味の在りどころが写真の琴線に触れるものであったため、なかなか興味深い展開となっている。

今回は写真を撮る者にとって決して聞き逃してはならない回である。



Podcast 藤原新也「新東京漂流」


     

 

2020/12/04(Fri)

竹中と高橋をつまみ出せ(CATWALKより転載)

今日は久々の金曜爆弾である。

ご承知のように元チンピラの船長はこのような局面では言葉が荒っぽくなるが、正論である。






菅政権の内閣官房参与(経済・財政政策担当)の高橋洋一が最近とんでもない案を打ち出し、茂木健一郎やジャーナリストの堀潤などが反発し、「#Eテレのために受信料払ってる」がツイッターのトレンド入りをしている。


内閣官房参与、経済・財政政策担当の初仕事ということなのか、彼はこともあろうにNHKのEテレを民間に売却し、その利潤で受信料を半額にするというとんでもない提案をしているのである。

視聴率競争を背景にメディアの画一化が進む昨今、BSもそうだが(日曜美術館など私も何度か出演している)Eテレのような視聴率にとらわれない独自の番組作りをする局はますます重要度を増している。


そんな情報環境の中、局を金のために民間に売却し、民放化するというのは国民から情報の選択肢を奪う行為であり、文化そのものを破壊する行為でもある。

文化音痴の似非経済学者が芸術や文化に口出しをするととんでもないことになるという見本のようなものだ。



以前にもこのトークで触れたがこの高橋洋一という男は豊島園の” 庭の湯”というレジャー施設の脱衣所の他人のロッカーから現金や腕時計など約30万円をコソ泥し、警視庁練馬警察署に窃盗容疑で書類送検された前科を持っている。


彼がコソ泥を働いたのは2009年3月のことであり、すでに犯罪としては時効となっているが、一般人であるなら、時効以降はその罪科に触れるべきではないが、国政というものに関与し、その挙動が国民の利益不利益につながるような立場である限り、時効はあってもその前科は問われ続けなければならない。

コソ泥を働いたような手癖の悪い不道徳な者がかりに内閣総理大臣になったとすればこれは茶番であり、高橋は内閣官房参与のような国政を預かる立場になってはならないのである。





ではなぜそのような前科者の彼が政権において内閣官房参与に抜擢されたかと言うと竹中平蔵のお友達だからだ。

竹中は小泉元首相と一緒になって郵政民営化を推進し、アメリカに日本を売った売国奴であり、さらには大手人材派遣会社パソナグループの取締役会長を務めながら一方で国政に預かり派遣の法の縛りを解除すという見え透いたマッチポンプをやって私腹を肥やした男だ。

文字通り竹中平蔵のその蔵には汚い金がぎっしり詰め込まれているのである。

首相はなにゆえか、あるいは裏で利害関係にあるのかこの悪魔のような男にぞっこんであり、組閣後、いち早く彼を成長戦略会議の長に据えている。

そんな竹中が東洋大学時代で同じ教鞭を取っていた親しいお間柄の高橋洋一を菅内閣のブレーンに推薦するというようなことがなければ前科者が国政にあずかるというような恥も外聞も無視した人事などありようもないだろう。

ちなみにこの置き引き犯罪は本人もそれを自白しており、そして社会的立場がありながらなぜ書類送検という軽微な罪状で終わったのは彼が元財務官僚で小泉元首相と親交があったからと当時は憶測されたものだ。

つまりかくもズブズブのこの日本固有の政治風土と人脈の中で生きながらえているコソ泥の高橋のような者が門外漢である文化に口出しをし、竹中同様、新自由主義(つまり金が中心の弱肉強食)の投網を国民の頭上に投げようとしているのがEテレ売却論の本質に他ならない。




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