Shinya talk

     

 

2020/04/09(Thu)

オードリー・タンIT担当大臣の電気釜と安倍首相の高価な給食マスク間に横たわる知能を分け隔てる深い川。(CatWalkより転載)

7日の緊急事態宣言の視聴率は70パーセントというから国民の大部分が固唾を飲んで成り行きに注視していたわけだ。

だが蓋を開けてみれば何一つ方策と呼べるような案もなく、ただ政権の自信喪失とふらつきばかりが目立ち、さらに国民の不安を増幅させてしまった

この自信のないふらつきは安倍首相が装着している布マスクに象徴される。





466億円もの大金を使い、全家庭に2枚の布マスク(これは戦後給食おばさんが唾を飛ばさないよう口元につけた布マスクに同じ)を配るという信じがたい堕策を発表するやいなや、各方面から非難の嵐にさらされ、さらに布マスクは不識布マスクに比べ使い物にならず、首相の装着しているマスクの小ささを指摘されると、慌てて彼は通常の不識布マスクに付け替えたところ、今度は、では国民に配った布マスクを安倍首相はなぜ装着しないのかという真っ当な批判が飛び出た。

そうすると安倍首相はまた不識布マスクを辞め、再びあの隙間だらけのちょんちょこりんな布マスクを再装着しはじめた。

今現在彼がテレビ画面に出てくるときはいつも案外安倍にお似合いの給食おばさんになっているのだが、ここで注目したいのは奇妙なことに背後に居並ぶ厚労省の役人もまた一律給食マスクに切り替えていることである。

マスク評論家としての私は議員や役人がどういうマスクをしているのかよく見ているから知っているのだが、以前は厚労省の役人は思い思いの不識布マスクを装着していた。

だが会見で前面に立つ安倍一人が給食マスクで背後の役人が不識布マスクでは格好がつかず、どうやら役人にもテレビに映るときは自分と同じ布マスクをしてくれと要請したことがその画面からアリアリと読み取れるわけだ。





一国の首相でありながら、一国の国難時に自分の立場を擁護すべくこまごまと小細工をするこの人間の器の小ささがそこに見て取れるわけだが、私がすでに終息しているマスク問題にこだわるのはこれは単にマスクにとどまる問題ではなく、そう言った細部にこの緊急時に政権の「ふらつき」というものが如実に見て取れるということに他ならない。

ちなみにこの天下の愚策に使った金が4百66億円とあるから試算してみると、困窮に陥る1万軒の何らかの店舗に一店舗あたり466万円、10万軒の店舗ではそれぞれ一店舗あたり46万6千円もの救済金を配ることのできる大変な額である。

そう言った大変な資金をみすみすドブに捨てたということだ。

さらに付け加えるなら緊急事態宣言で何一つ緊急に対策を打たなかったにも関わらず、この天下の愚策の無駄使いだけは超スピードで挙行しているところをみると安倍のこれまでやってきた過去の仕業からするとそこに何らかの利権が絡んでいたのではないかとの疑いすら抱く。

そんな現自民党は過去の民主党の為政を「悪夢」と揶揄したが、すでに現政権もまたすでに自らの悪夢にうなされていると言って良いだろう。





ただし、ここまで政権の底が割れたことは逆に私たちに一定の覚悟を与えたという意味でよかったことかも知れない。

この緊急事態宣言前、そして後に私たちとって変わるべきことがより明確化したからだ。

それは単純に自分の身は自分で守るということである、

「うつさない、うつらない」に日常の行動を収斂させるということだ。

そのことがよりはっきりしたわけだ。

その「守る」の中の最も重要なアイテムの一つがマスクということである。

そんな中、台湾のデジタルミニスターことオードリー・タンIT担当大臣がなかなかハッピーな動画をアップした

200109.jpg

品薄のマスクの使い回しとして船長はどこの家庭にもあるドライヤー消毒を推奨したが、タンさんは電気釜を推奨しているのである(8〜10分間空の電気釜にマスクを入れ熱で殺す)。

一本取られた感がなくもないが、60度で死滅するコロナウイルスを熱で殺すという案は同じなので彼と船長は兄弟とみなしてもよいだろう。

予算ほぼ0円、国民の誰もが等しくその恩恵を受ける。

これこそ政治というものである。

クルーのみんなもさっそく明日からやってみると良い。

このCATWALK号ではもう安倍は相手する意味はないと思っている。

これまでもクルーの中から身を守る方策がいくつか飛び出しているが、荒海航海に向けて、このオードリー・タン君のように色々な案を出してもらいたいと思う次第だ。

追記

全家庭に布マスクを配った厚労省は以下のようにとうとう白旗を上げ、N95マスクの再利用についての情報をかき集めているようだ。

https://www.mhlw.go.jp/content/000619969.pdf?fbclid=IwAR1SGtFBXqd5Pw_vvxyItA6elvp22f4QnRBeXS_jsp4c-6U34ieJdiVf4NI

IQ180のオードリー・タン君に聞け。


     

 

2020/04/02(Thu)

金曜爆弾、1日前倒しで木曜爆弾!!。(CatWalkより転載)

今日は終日外出していたので自宅に帰って知ったのだが、政府は一世帯に二枚のマスクを配るという案(決定?)を出しているという。

気は確かかと唖然とした。

こう言った大口の予算を使うに当たっては当然首相が決定しているのだろうが、この準戦争時にまるで小学生がママゴトをやっているかのような思いつきを国民に押し付ける総理を持つ「愚鈍」というものの空恐ろしさをつくづく感じる。

マスク不足が言われる中、こういう挙に出ると国民は拍手喝采するのではないか、といういかにも受け狙いであり、これは政策と呼ぶべき代物ではなく単なる寝起きの思いつきである。





私は3月27日の段階でいち早く首都を封鎖すべきと提言している。

フランスのようにいち早く封鎖し(強権発動をすることは救済のための莫大な予算を計上するということでもある)就労者や店舗や中小企業への金銭的保証をすべきなのである。

以下極論(それくらいの覚悟が必要ということ)。

どこから出すか。

借金すればよい。

日本政府は今1,100兆円の借金がある。

この借金を1,200兆円にして、100兆円を困窮する中小企業や個人に充て、まず労働力と日本の生産性を温存しなければならない。

医療崩壊のみが叫ばれているがこのままでは「就労崩壊」「店舗運営崩壊」そして日本の生産性を下支えする「中小企業崩壊」が起きかねない。

労働環境の崩壊を食い止めれば、コロナウイルス問題が過ぎ去ってのち恩返しとして国民こぞって勤労に励み、国家に寄与する。

大企業には補助は無用だ。

こういう時のために莫大な内部留保を確保しているわけだから、それで食いつなげばよい。

それくらいの思い切った荒技はひょっとしたら田中角栄あたりはやったかも知れない。

それが何だ、マスクを一世帯2枚だと。

ケチバカドジにもほどがある。

私はこれまでことあるごとに安倍を批判してきたが、さすがにここまで真性のバカだとは思わなかった。

私はコロナウイルス問題ではメンタル不調とは無縁だが、国家の頂上にこんな愚鈍な人間が鎮座していることに対し、少なからぬメンタル不調を感じるものである。





私はすでに3月27日の段階で以下のように述べている。

あくまで私個人の見解だが、感染者の実数が日に40人レベルで勇気ある為政者が責任を取って、なるべく速やかに都市封鎖(ロックダウン)を発令すべきだと考える。

この荒治療は当然多大な犠牲を伴うわけだが、ダラダラと長引く曖昧な擬似ロックダウンはやがてコントロールも収集もつかない局面を私たちに突きつけかねない。

抗生物質をダラダラと曖昧な飲み方をして、菌に耐性が出来、ついには治療不能に陥るのと同じだ。

例えば店に例を取るなら半年持ち堪えればなんとか復活できるものが、ダラダラと今のまま生殺し状態が1年2年と続くと本当に息の根をとめることになる。

手術は早いに越したことはない。

そんな中、ノーベル賞科学者の山中伸弥教授も同様の見解に立って昨日「山中伸弥教授による新型コロナウイルスに関する5つの提言」を発表し「ウイルスの特性や世界の状況を調べれば調べるほど、新型ウイルスが日本にだけ優しくしてくれる理由を見つけることが出来ません。検査数が世界の中でも特異的に少ないことを考えると、感染者の急増はすでに始まっていると考えるべきです。対策は先手必勝です。中国は都市封鎖をはじめとする強硬な対策をとりましたが、第1波の収束に2か月を要しました。アメリカの予想では、厳密な自宅待機、一斉休校、非必須の経済活動停止、厳格な旅行出張制限を続けたとして、第1波の収束に3か月かかると予測しています。わが国でも、特に東京や大阪など大都市では、強力な対策を今すぐに始めるべきです。」と今すぐ強力な対策を開始することを訴えている。

https://www.awaji-doctor.com/2020/04/02/山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信/

この一学者が正鵠を得た政治的発言をするその様を見ていると、このような人物が国を牽引する総理に成り代わるべきである。

国会では急に議員がマスクをつけ始めている。

今回配るマスクが布製マスクというのも馬鹿げている。

布マスクは織目穴が大きく、喉の湿け保護以外スカスカで何の役にも立たない。

サージカルマスクに代表される不織布という近年発明された技術は大したもので0、1マイクロメートルのコロナウイルスに対しても多少の効果は認められる。

安倍首相が国会演説で布マスクをしているのを見ると、やはり世代だなぁと思う。

何度も洗えるあの懐かしい布マスクがエコでいいというこの感覚こそが時代遅れなのだ。

北海道知事はその点若い世代でサージカルマスクをしておりこの世代感覚の差が歴然と出ている。

議員の中にもサージカルマスクをしているものも見かけるが、私が見るところ多くの議員が付け方を知らず、裏表反対につけている。

折り山の隙間が下向きに来るようにつけるというこういう初歩的なことも知らないのだ。

このようにマスクに無知な連中がマスクを国民に配ると言ってもリアリティがないのである。

それに莫大な送料。

そして気の遠くなるような膨大な手作業。

この金と労働力はクラスター追跡の人海戦術など別の形で使うべきなのだが、そう言った地味な努力は国民の目には見えなず、マスク配布の方が点数を取れるというポピュリズム感覚が今回のマスク配布に出ているように思う。


     

 

2020/03/16(Mon)

面舵(右進行)でも取舵(左進行)でもない、荒海の中の第三の中庸方位。(Cat Walk3/12の投稿より転載)

これは何度かトークで触れたことだと思うが、このCATWALKというのはひとつの町あるいは市というものを形成しており、このコミュニティの中にはさまざまな職能を持った方たちが暮らしていらっしゃる。

携帯の約款に関するトークを書いた時には携帯ショップの店長さんが、あるいはスタップ細胞に触れた折は実際に理研にお勤めになっていたクルーの方が、あるいはオリンピック競技場の話が出た時には建築関係の方が投稿を寄せ、その都度専門職の話をお聞きしながら逆に学ばせていただくという局面もある。

今回のコロナウイルス問題に関しても3名の専門職の方から意見が寄せられている。

今世の中はコロナウイルスに関しても専門から素人まで百家争鳴、喧々諤々とさまざまな意見が飛び交っているが、それではCATWALK内の専門職の意見もまた百家争鳴、喧々諤々に与しているかというとどうもそうではない。

ひとつの世間から距離をとったCATWALKという孤島においての個人的な見解であり、それは何よりも”人の言葉”として耳に伝わるということだ。
そこが大事なのではないかと思う。

そういう意味ではこのCATWALKというのはきわめて得意なコミュニティであると、今回のことも含めそのことを再確認した思いがある。




さてコロナウイルスの動きに関してその人の言葉としての見解を理解した上で、ここでひとつ言っておきたいことがある。

今世の中であのいかがわしい人相のWHO事務局長が中国のコロナウイルス沈静化とともにパンデミック宣言をし、世の中の意見は楽観的な層と悲観的な層に二分されつつあるように思う。

いつの世もあらゆる問題においてこの楽観層(抑え込めると言っているトランプ)と悲観層(国民の5千800万人が感染すると言うメルケル)が現れるのは人間にはその二つの性向がその身体に刻み込まれていることによると思っている。

つまりそれは右的人間と左的人間ということになる。
この右か左か、というのはつむじにも右巻きと左巻きがあるようにひとつの「宿命」である。

この右の渦と左の渦は決して同調せず、ぶつかり合う。
例えば仏教徒やヒンドゥ教徒やラマ教徒は仏舎利などの宗教シンボルを回る時には右回りであり、逆にイスラム教徒は左回りであり、ヒンドゥ教徒とイスラム教徒が何においても相容れずぶつかり合うのは身体性(及び思考)が逆だからだ。


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カーバ神殿を回るイスラム教徒。

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仏舎利塔を回るネパール仏教徒。

この右思考左思考は当然この日本にも存在し、それが政治分野においては右派、左派、となりそれが極端化したものが右翼、左翼となる。そしてどちらかと言うと右は楽観的であり、左は悲観的だ。



この悲観思考、楽観思考は先の原発時に私たちはいやというほど経験し、このコロナウイルス問題においてもいま同じことが繰り返されている。

そんな中、原発時の対処に鑑み、私は取るべき方法はひとつと単純に理解している。
いかなる専門家も百パーセント確定的なエビデンス(証拠、証明)を持ちえない(原発問題がそうだった)場合、楽観思考より悲観思考の方を選ぶべきだということである。

いや悲観という言葉は使わない方がよいかもしれない。
この悲観というのはセンチメントな感情を言うのであり、それはストレス用語だからだ。

つまりものごとを甘く見ず、万全に慎重を期す。

それに尽きる。

私がわざわざライカギャラリーで無様なマスク姿をさらしている写真を選んでいるのはここにある。

ちなみに船長の場合は左でも右でもない。
身体性は右、思考は左。
それが人間の中庸だと心得る。



海が荒れ気味になった時にローリング、ピッチング、ヨーイング、と言う船の揺れ方がある。

ローリング(左右揺れ)ピッチング(上下揺れ)はご存知だと思うが、荒海ではこのヨーイングが最も厄介だ。

つまり船首の左右の振れである。
荒海でなくとも切っ先の鋭利な船首は不確定な波や海流の圧力を受け、常に左右に振れている。
だから常に舵を微妙に左右にコントロールする必要がある。

海が荒れた場合、このヨーイングは激しくなり、力技が必要となる。
さらには船の後方からの追い波が激しく船尾を押しはじめた場合、船はブローチング状態(左右の大きなふれ)になり、航行不能となる場合もある。

つまり航行とはヨーイングコントロールのことなのだ。
それは進行方向を中庸に保つと言うことに他ならない。
このコロナウイルスの荒れる海において、海を甘く見ることなく、慎重に万全を期し、右振れ左振れを抑える。

要(かなめ)はそこにあるように思う。


     

 

2020/03/10(Tue)

正しく恐れることが人類の悟りに繋がると言うのならそれもひとつの生き方死に方ということになる。(CATWALKより転載)

今回の投稿欄でN Y君は正常性バイアスという言葉を使っているが、この正常性バイアスに関しては先の東日本震災時にこのトークでも取り上げている。



人には何らかの災難に直面した時、目の前で起きていることに現実感が持てず、何かの間違いではないか、あるいはこの事態は異常ではなくまだ正常という心理が働き、異常事態発生という緊急スイッチが入らないことがある。



つまりこの異常をも正常の範囲内として捉えてしまう「正常性バイアス」という心理は自分の生命を守るために起こる錯誤もしくは楽観と言えるわけだ。

この正常性バイアスが同調圧力つまり「多数派同調バイアス」と結びつくと集団全体が危機回避能力を失い、大量死に至ることは先の東日本大震災の現場で多く見られた事例である。



さらには農耕民族においてはその生産様式はお天道様まかせ、お天道様の法則に従っていれば生きていける、と言う言わばカルト的正常性バイアスが身体に組み込まれいると私は考えており、この正常性バイアスと多数派同調バイアスとカルト的正常性バイアスが結合すると「鉄壁の正常性バイアス」となるわけだ。











今回この日本がコロナウイルス対策に失敗したのも、あの震災時、目の前に津波が襲って来ているにも関わらず、どこか別の世界の出来事のようにぼんやりと眺めていて津波に巻き込まれたという多くの事例に似た正常性バイアスどこかに生息していたのではないかと感じている。



現実逃避的性格や危機がやって来た時にフリーズが起こる「凍りつき症候群」も広義の意味の正常性バイアスということになるが、先般の安倍首相の逃げ腰記者会見を見ていると、これは世の中の2代目、3代目によくある性格だが彼には辛い局面はなるべく回避しょうとする「逃避型」「退避型」であることが如実に現れていた。

そう言う意味では今回のような国難とも言える危機に際して日本国民は不幸にも最も不適格な宰相をいただいていたということになる。



さらには加藤厚労大臣の根拠のない含み笑いが表情筋そのものとなって固着しているあの人相も正常性バイアス的性格を表しているように感じる。

つまりそのどこか雲の上を浮遊しているかのような現実感のない担当相が逃避型の宰相と同調バイアスを起こしたことは国民にとって不幸以外のなにものでもなかったと言う結論に至る。



先のトークでは危機を回避するためにいつかの心の置き方を記したが、あくまでそれはストレスの軽減策であり、それが正常性バイアスと結びついて現実逃避になってしまったとしたら本末転倒ということになるるわけだから、やはり現実を正しく直視することが基本である。



その意味において今回の新型コロナウイルス問題は最悪の事態として以下のことを念頭に置く必要もあるのではないかと私は個人的に考えているのだが、専門職であるクルーのN Y、都築両君の見解を伺いたい。











@発症前(潜伏期)の感染。


エボラ出血熱、SARS、HIVをはじめ感染症は、基本的に感染しても発症前ならば他者に感染しないとされている。

新型コロナウイルスが問題なのは、何処においてもその現象が見られるように感染者がそれと知らず出歩くと広まるため、隔離以外流行を阻止する方法がない。だが感染すら確実に計量できないとなると、流行は止める手立てがない。

この全く身体症状として発症しないままに他に感染してしまうウイルスというのはなんらかの人為的操作を施さないと生成しないと聞き及んでおり、これは空気のように広がって行くため絶対に操作してはならないと言われる。





A 再燃の現象。



これが何が問題かといえば、再燃しても、もし症状がなければ、その者の移動によりまた感染がひろまるため、感染拡大にきりがないということになる。

今回武漢ではすでにこの大量の再燃現象が現れており、日本でもある患者に再燃現象が見られてている。この再燃現象はあまり取り上げられることはないが意外に深刻な問題ではないのか。











以上の二点は、自然界ではきわめて稀な現象のため、新型コロナが人工的に作られたのではないかと憶測される理由となっているわけだ。



台湾などではDNAの操作によってSARS とHIV の遺伝子を合成したのではないかとも言われているが、それだけでも十分危機的だが、もし万一、新型コロナウイルスを遅発性の病気、たとえば発ガンの遺伝子を組み込んでいたとするなら、それは何ヵ月か何年後になるかわからないが、一度完治した人にその症例が出てくることになる。

そのような意味でも新型だとするなら人類はま違いなくアウトということになりこれは悪魔の仕業としか言いようがない。



人類がアウトというのは自業自得であり、自分の罪を自分でかぶるわけだから致し方ないにしてもこの地球上の生物量の0、01パーセントに過ぎない人類の仕業が99、99パーセントの全生物を滅ぼすことは何としても避けねばならない。



ちなみに先のトークでこのコロナウイルスは人以外の他の動物にも感染するかどうかの検証をすべきと書いたその翌日、香港で犬がコロナウイルスに感染したという事例が報告されているが、それは本当のことなのか香港在住の知り合いに確かめるつもりだ。



このような最悪の事態を想定することは、新たなストレスを生むことにもなるが、サバイバルには最悪の事態を想定するところから入るという基本があり、災害時の72時間生存率もその発想に基づいている。

それは生きるためのひとつ方法でもあり、過剰に恐れることなく淡々と現実を直視して行きたいと考える。



このような最悪の事態を想定することは、新たなストレスを生むことにもなるが、サバイバルには最悪の事態を想定するところから入るという基本があり、災害時の72時間生存率もその発想に基づいている。

それは生きるためのひとつ方法でもあり、過剰に恐れることなく淡々と現実を直視して行きたいと考える。











なお船長のところには今現在N95マスクが30組ほどあり、少ない量だがこの中の20組をまず医療関係の人にお配りしたいと考える。

必要な方は住所氏名電話番号を記し、申請していただきたい。

医療関係でなくとも是非必要という方はその理由を書いて投稿していただく。



また使ったマスクの再利用だが、船長は外出から帰って来ると洗うとへたるのでマスクをハンガーに吊るし、ドライヤーで熱風をかけ簡単に熱殺菌をしている。

また市販の殺菌用の紫外線ボックスも所有しており、これはスマホのみならずマスクも殺菌(ウイルス)対策になるので使用している。

ちなみにスマホもまた汚染源となる。



https://www.amazon.co.jp/gp/product/B0859KCWMB/ref=ppx_yo_dt_b_asin_title_o01_s00?ie=UTF8&psc=1








     

 

2020/02/29(Sat)

アリリバイ作りだけに費やされた無意味な時間。(CATWALKより転載)


今終わった安倍総理の記者会見。



遅きに失した感があるがそれでもやっと表に出てきたと評価するところは評価すべきだろうと期待していたが、ただただ後味の悪いものだった。



配慮しているのか、申し合わせなのか各局、左右に設置されたプロンプターが写り込まない写角で映像を流していたが、それでもチラリチラリとプロンプターの端が見える。

それですぐさま官僚の作文を読み上げるのだなと言うことがわかる。

ただ時事通信社だけがカメラマンが意識しているのかあからさまにプロンプターごと撮影していた。



プロンプターとはアメリカの発明品で、床部に投射装置があり上部の透明板に画像や文字を映し出す装置だが、話者の側からは文字などは見えるが聴衆側には見えないと言うなかなかの優れものだ。

長い話の場合は読み上げる箇所だけが色付きになり移動するのでそれを目で追って話すということもできる。



首相は左右に設置したプロンプターに映し出される文章をあたかも自分の言葉のように長々と読み上げる。

言わばカンニングである。

学校の試験ではこうしたカンニングは罰則が与えられるが政治家にそういった罰則はない。

ひとつでも事足りるのだが、左右にプロンプターが置かれているのは演説などは左右の聴衆に顔を向けながら話すと言う演説の基本があるからだ。

だが広く聴衆の顔を見ながらはジェスチャーだけで左右のプロンプターに視線を移すだけなのでまるで首ふり人形のようである。

韓国の大統領や台湾の総統が記者会見のおり、カンニングではなく自分の言葉で話していたのとは対照的だ。



一瞬このプロンプターが故障し、カンニング文が出てこなくなったらとうとうとしゃべっている彼は相当うろたえ、支離滅裂になるのではないかと思った。



質問に入ると左右のプロンプターは下げられ、質問ではあらかじめ根回しをした5名の記者をあたかもアトランダムに選んだかのような演技で指名し、今度は卓上に置かれたモニターに流れる用意された原稿を読み上げる。


あまりに長い前段の話と比べ、質問時間は極めて短く、割り当ての5名の記者に定形質問だけをさせて時間が来た、と揚げ足を取られる前にサッと引き上げる。

全体に費やされ時間は質問を含めてたったの36分。

こんな国難会見で「時間がまいりましたので」の時間とは一体何なのか。

この国難より重要な案件がその後に控えているとは考えにくい。

あるいは6時半を過ぎているので食事に入るということなのか。



本当はこの会見は3時間4時間と時間を費やしても足りないくらいだ。

この間定形質問に当てた時間は10分程度、回答(カンニング)にあてた時間はわずかその半分の5分程度。

ふざけた会見である。



予定された質問ではなく、国民が聞きたいことに全部耳を傾け、余すところなく答えるというのが記者会見のあるべき姿だが、長々と自己弁護をしてさっさと引き上げ、国民と向かい合ったというアリバイだけを作る。



卑怯である。



首相はプロンプターを見て、政治記者連中もただ黙々とパソコンに向かい合っているだけ、というこの日本独特の薄気味悪い予定調和会見に異議を唱えるかのように遠くの女性記者が「まだ質問があります」の声を上げ、まだ他の記者も手を上げているが、予定調和以外の質問を避けるかのように側近が「時間がまいりましたので」とアナウンスし、件の女性が「質問にちゃんと答えないんですね」と言うと首相はチラリと声の方を見ただけで、サッサと降段。



国民への想いより自己保身だけが透けて見える後味悪い時間だった。



そしてこれも官僚が作った文言だが、彼は締めの言葉に大変な間違いをおかしている。



最後に、と言って述べた「ダイヤモンドプリンセス号の中で粉骨砕身で働いていただいた方々に心から敬意を申し上げたい「という趣旨の文言だが、ここは



「最後にダイヤモンドプリンセス号でお亡くなりになられた諸外国のそしてわが国の方々に心よりご冥福を申し上げたい」



とすべきところである。



こう言った場面ではまず最大の犠牲者となった死者を弔うと言う定石すらわかっていない。



これは文書を作った官僚の失策だが、そのまま読んだ首相の失策でもある。



ここまで来たら笑える。



流石に吉本興業の舞台に立ったことのある人だなとここだけは評価した。



     

 

2020/02/11(Tue)

見習うべき中国の荒技。(CATWALKより転載)

法規で規制できないからという理由で武漢からの帰国者を自宅に返してしまったり、今回のダイヤモンドプリンセスにおける爆発的な感染拡大を見るにつけ、このトークでも触れたカルロス・ゴーンの制限住居に見られる驚くべき管理の甘さに思いが及ぶ。

カルロス・ゴーンの日本からの逃亡のおりは日本は世界の笑い者になったが、今世界の目は中国のみでなく日本がこの事態にどう対処するか注視している(すでに日本からの入国を拒否する国まで現れている)が再び失態を繰り返していると言える。

仮に室内隔離状態でここまで次々に感染が起こるとすれば空調システムが各室つながっている以外に考えられないわけだが、大型船の空調システムに詳しい者に尋ねると外気は取り入れるが各部屋とダクトが繋がっていることはないそうだ。

ということはここ数日次々に空気感染が起こっていると言うことではなく、初動ミスによるものと見るのが順当だろう。

つまり香港人の確定患者が当船に乗船していたことが判明してのちも政府は隔離指示を取らず船内でのイベントや食事会を全く規制せず濃厚接触を許していた、その失態だ。

その初動ミスの結果、今になって次々と感染者が出ているとしか考えられない。

この重大な初動ミスをマスコミが指摘しないのは不思議である。







福島第一原発災害のおり、当時の政権であった民主党の対応の失敗と甘さを現政権は何かにつけ槍玉にあげ、国民も現在の野党には政権は任されないとの思いを持つのはそういった過去の汚点も影響しているわけだが、今このダイヤモンドプリンセスの緊急事態にどう対処するかということをあの原発災害時と同じように現政権は試されているわけだが、すでに失敗しているとしか言いようがないわけだ。

思うに武漢において感染が拡大する中、私たちはこの中国という国の恐るべき機動力を見た。

6000人の作業員と1000台もの大型機械や車輌投入され、5万平方メートルもの広大に荒地に、突貫工事で総建築面積3万3千平方メートルもの仮設隔離病院を当初の予定10日を上回る数日で完成させるという荒技を中国当局は見せている。

この日本では中国での感染拡大と死者の数のみが喧伝するように報道されるが、日本政府のチンタラした今回の対応と一気呵成に攻めに入った中国政府の凄みを比較するメディアはない。







ダイヤモンドプリンセスの乗客および乗員の中から感染者のみでなく、体調不良を訴える人々が多く出ているが、まず政府がやることは中国がやったように、乗員乗客を地上に誘導すべく施設を作るということである。

というのはいかなる大型船舶も船というものは停泊時には常にゆっくりと揺動しており、逆にこの人が気づかないくらい波長が大きな揺動のほど、知らぬ間に体に負担が生じる。

むしろ走行時の方が体に負担がかからないのである。

それは例えば地震によって微妙に傾いた家に住む人が体調を崩すことに似ている。

この2週間もの間、波長の長い揺動に晒されるというのは普通ではありえないことであり、メディアでは個室という閉鎖空間に置かれたことによるストレスのみ取りあげているが現在体調を崩す人が続出するのは船長はむしろ船の揺動によって身体の恒常性が維持出来なくなったことによるものと見ている。

その意味においても政府は中国政府がとった荒技を即座に選ぶべきだった。

強権発動お得意の安倍首相も、本当はこういう時にこそ強権発動を発揮すべきなのである。


     

 

2020/01/29(Wed)

入り乱れるコロナウイルス情報の中で、私たちが依拠すべきは、ブッダの「毒矢のたとえ」ということになる。(CATWALKより転載)




地球上にあるもので食わないものは四つ足では机や椅子、2本足で食わないものは両親、と中国人を揶揄するジョークは清朝の時代からあるが、ゲテモノぐいの宝庫である中国は上海でもっとも眉をひそめたものは小ネズミの踊り食いだった。

日本にもシラスの踊り食いなどがあるが、中国にもこの手の踊り食いの店があり、今はあるかどうかは知らないが、70年代には驚くべき店があった。

円卓を囲んだ家族の前に針か何かで神経を鈍らせて走って逃げないようにしたピクピク動く尻尾も毛もある小ネズミが大皿の上に盛られて出される。

それを箸で取り、隣の小皿のマスタードオイルのようなものにひたひたと浸し、そのまま口に放り込み、もぐもぐと食べるのである。

隣に座る幼児はネズミの骨を口で砕くことが出来ないから、深皿の中を泳いでいるオタマジャクシをお母さんがスプーンで掬い口に入れてやる。






今回武漢の市場で発生したコロナウイルスのことで思い出した昔の中国の一コマである。

今回のコロナウイルスは動物由来と言われ、コウモリなどがその発生元という情報もあるが、その情報に合わせたようにコウモリの羽を持ち上げて食す少女の写真がネットに出回ったが、これはどうもヤラセくさい。

ただし仮にそう言った食材として武漢の市場に売られていた動物がコロナウイルスの発生源だとすれば、ではそのウイルスはなぜその個体に発生したのかということが謎である。

火のないところに煙は立たないようにその火(コロナウイルス)を普通の個体が発生させたとしたら奇妙なことである。

ということでこのコロナウイルス、生物兵器の事故ではないかとの憶測が流れ、例によって一部のアンダーグラウンドネット情報が騒がしい。

そんな中、26日このウイルスは武漢の生物兵器研究機関から漏れたのではないかとの記事がアメリカのワシントンタイムスに掲載されたがこのワシントンタイムスというのはワシントンポストのような一流新聞とは異なり、日本で言えば夕刊フジとか日刊ゲンダイのようなゴシップ好みのタブロイド紙だからこれも一概には信用は出来ない。

記事を寄稿した人物が中国の生物兵器を研究している元イスラエル軍事教官と聞いて大きな括りからすると中国とは敵対関係になりうるイスラエルのアメリカロビーのフェイク情報とも受け取れる。

だがこの生物兵器研究機関発生説を全否定する証拠もない。






思うに37各国で774人が死亡した17年前の2003年のサーズも発生源は同じく中国でありこの時も生物兵器事故説が流れ、それは都市伝説として片づけられた。

しかしその後サーズウイルスは北京の生物兵器研究機関から漏れたものと、あの権威あるイギリスのネーチャー誌に論文が載ったがサーズ騒ぎから時を経ていたために話題にならなかった。

まさかネーチャー誌までアメリカ陣営に組みしているとは思えないから、そういった過去の例を勘案するならこのワシントンタイムスに載った記事をただのフェイク情報として一笑に伏すことも出来ない。






いわゆるこういったエマージェンシー時には様々なフェイク情報や雑音が入り乱れるわけだが、その発生源が何処の何かということは重要な問題ではなく、こういった状況の中において私たちがなすべきは自己防衛以外にない。

ブッダのたとえの中に「毒矢のたとえ」というのがあるのをご存知だろう。

ある時、頭の良い青年が毒矢(ウイルス)に射られた。

その射られた青年は駆けつけた医者に「この矢を射た者は誰か? 弓はどのようなものか? 弦(つる)は何で出来ているか? 矢羽はどんな羽で出来ているか?」と真実と事実を知ろうとする。

がその真実を知る前にその青年は死ぬはずだ。

ここで教えているのは、やるべきことは事実や真実を知る前にその毒矢を抜いてまず手当をする、という即時行動ということである。






その毒矢のたとえに習うなら、私たちに今できる最低限のことは自からがウイルスに汚染されず、また汚染源となって他に被害をもたらさないことだろう。

巷間言われているように外出時にはマスク(できれば3Mクラスか活性炭フィルター入り)を常用し、帰宅時にはうがい、手洗い、は基本だろう。

つまり露出部分の洗浄ということになるわけだが、ひとつだけメディアで言われないのは顔面も露出しているということである。

セシウムなどはウイルスと似て目に見えないから私は放射能汚染地区を取材してホテルに帰った後はうがい、手洗いは当然のことだが、洗顔と洗眼もしていた。その洗顔と洗眼はゴシゴシ擦るのではなく、顔を下に向け、濃度の低い塩水をヒタヒタと顔面と眼にかけ、付着物を洗い落とすということである。

もうひとつ露出している部分は鼻腔であり、これに関しては鼻うがいをする必要がある。

私はこの鼻うがいはモスク礼拝で五穴洗浄をするイスラム圏で習ったが、慣れれば簡単に誰でもできる。

体液と同じくらい濃度の低い塩水をコップ(手のひらでもよい)に満たし、コップの縁を鼻腔につけ、わずかに顔を上むきにそらすようにして鼻から空気を吸うようにすると、ブクブクと塩水がおのずと鼻腔の奥に流れる。

この際注意すべきは、強く吸わないことである。

鼻で飲む、という要領だ。

そうすると鼻腔に流れ込んだ塩水は口とつながる中咽頭あたりからなだれ落ちて来るから、それを飲まず口から吐く。

コップ7部目くらい塩水を使ったことろで、残りの塩水でうがいをする。

私はこの鼻うがいは習慣になっており、といっても毎日やるわけはなく外出から帰ってきて何となく鼻がムズムズするというような時には必ずやる。

非常にすっきりとする。

ただし鼻腔には粘膜があり、この粘膜も生理的には大切なものだから、あまり洗い過ぎないことが大事だ。毎日やるのも良くない。

ウイルスの防御で個人でできるのはこれくらいだろうが、これはあくまでエマージェンシー時の時のことであり、あまり神経質になるのもよろしくない。

なお鼻うがいに関しては練習することである。

練習するとすごく上手になるが、こういったものがプロ並みに上手になったと言ってあまり格好の良いものではないから自慢げに人前でやらぬように。



     

 

2019/12/26(Thu)

みなさんよいお年を。(CatWalkより転載)

せっかくクリスマスソング「スマイル」で2019年のさまざまな汚濁を洗い流したところだが、この年末はやはり最後の汚濁の締めくくりと言うべきものが再発生しているようだ。


例の秋元司自民党衆議院議員の収賄容疑の逮捕のことである。
この案件は一見カジノ誘致に絡む単純な収賄事件のように見える。
だがこの安倍政権の極めて高度な政治手法と言うべきか、と言うよりこの案件は安倍政権お得意の保身のための極めて込み入ったひとつの政治詐術のように船長の目には映るのだ。


というのは11月末あたりから小泉進次郎にまつわる大きなスキャンダルが出るぞ出るぞという噂がメディアの水面下でささやかれていたのが船長の耳に入っていたが、そのスキャンダルが今週の週刊文春のトップ記事、つまり政党交付金による政治資金を知り合いの訳もわからぬ幽霊会社に4千300万円もの発注をかけ、その大半をキックバックさせたと言う税金収奪スキャンダル、と言うより犯罪と言うべき案件だったわけだ。


だがこの週刊文春の記事が出る直前に秋元議員がまさに超特急と言えるべき速さで東京地検によって逮捕された。
船長にはこの両者の関係がタコが自分の足を敵に差し出して自分の身を守ると言うタコサバイバルと言うふうに見えてしまうのである。


つまり秋元議員の逮捕は確実に小泉進次郎の事件を打ち消すべきスピンコントロールとして機能しているわけであり、週刊文春の記事が出た直後の今日のテレビのワイドショーは秋元議員逮捕一色である。


ではなぜ小泉進次郎のスピンコントロール役として人身御供のごとく自分の党の議員の首を差し出したのか。


そこには桜を見る会のみならず自民党のさまざまな不祥事に対して地検が一切動かないと言う世間の批判によって地検は大きなストレスを抱え込んでいるという背景がある。
つまり地検は自民党の本丸へさえ手を突っ込んだのだと言う、この実績を与え、ガス抜きをすることが必要と判断されても決しておかしくはない時期に来ているのだ。


船長の憶測が当たっているとするならこの人身御供となった秋元議員は小物であり、彼の逮捕は自民党本体に大きなダメージを負わせるものではない。
つまり差し当たって生きるには必要ではないタコの足なのである。


だがその能力はあるか無いかは別として次期総裁候補として名前の上がっている小泉進次郎の政治生命を奪うやもしれないスキャンダルは、自民本体に大きなダメージを与えてしまうわけだ。


この自民党と言う政党は懐が深いと言うべきか、自身の身を切り落とすタコのサバイバルもどきの行動さえ手法のひとつとして消化する巧みを弄する。


そんなことを考えていると今の今、秋元議員のカジノ疑獄を仕掛けたのは安倍側近という記事がネットに出た。


船長、ちょっとニヤリとしたがどうもほろ苦いニヤリではある。


     

 

2019/12/03(Tue)

「事件」としての桜を見る会(CATWALKより転載)

私の知り合いに事件事故などの死体を処理するTという葬儀屋が居る。

警察などが実況検分を行った後に死体を処理するそういう職業があるということを人はあまり知らない。


彼は15年ほど前、房総において物置となる借家を世話してくれた不動産屋だったが、倒産し、家族を養うためにそういった仕事についた。

その彼が面白いことを言った。


腐臭を発する数々の死体を処理する過程で最初は耐えられなかった腐臭に徐々に慣れ、死体を見ただけで嗅覚が麻痺したようになり、強い腐臭にさいなまれる苦痛がなくなったというのである。


腐臭慣れ、ということであろうが人間の脳というのはそういう防御にも働くのかと驚いたものだ。







今日その話をなぜ思い出したかというと、情報操作によって国民を騙し続けたことにより戦後在任最長の総理大臣となった安倍首相がここのところに来てさらに腐臭を発しているからである。


ご承知のようにこの「桜を見る会」に首相枠で招待されたジャパンライフ(山口元会長)は主に老人を巻き込んだマルチ商法詐欺によって幾度も消費者庁から行政指導を受けている。

札付きのワルだが、官邸は足がつかぬよう招待名簿は速攻破棄した。

だが悪いことに山口は「桜を見る会」に出席せず(招待状を渡すと手元になくなるからだ)その招待状を詐欺行為の勧誘宣伝として使ったために、戦後最大とも言えるマルチ商法のジャパンライフと安倍首相との関係が明らかになった。








思うに今「桜を見る会」の招待名簿が速攻シュレッダーにかけられたことを野党が問題視し、追求しているが、船長個人の観測としてはこの速攻シュレッダーはジャパンライフ隠しではなかったかと思われる。


この案件はそれほど表に出てはいけない大物だった(おそらく名簿が復元されてもジャパンライフ以上の大物は出てこないのではないか)。


要はなぜ安倍首相がジャパンライフの山口を招待名簿のトップに上げているかということだが、テレビ新聞では証拠を持たないが故に(あるいは忖度)このことは伏されているが、2千億もの利益を上げ(消費者庁からの天下りが功を奏して)逃げ切った山口はおそらく各方面に巨額の献金を施しているはずである。


ということは老人から金を巻き上げているオレオレ詐欺など足元にも及ばない莫大な金を老人らから騙し、取った金の一部を一国の国を運勢する政治家が受け取っているとすれば、これはれっきとした「事件」なのである。


安倍首相は何が何でもこの案件をうやむやにしなければならない。

要するにまたぞろ森友・加計に続く、というよりそれをはるかに凌駕する腐臭を安倍首相は発しているのだが、ここで前段のエピソードに戻ることになる。







この長期政権の中、安倍首相は折々に腐臭を撒き続けてきた。

だがそれがまさに政策であるかのごとく、国民に件の死体処理業Tと同じように”腐臭慣れ”という嗅覚麻痺を起こさせていると言える。


さらに由々しいことにこの事件発覚の最中安倍首相は各マスコミ官邸キャップと会食し懐柔策を弄し、毎日以外のマスコミはノコノコと会食に出かける始末。


さらにはことほど重要な事件であるにも関わらず、自民の息のかかったコメンテーターや識者はこれは一国を左右する問題ではなく他にもっとやるべきことがあると火消し役に回っている。
その代表格が元NHKキャスターの木村太郎だろう。







私は生え抜きの彼がアメリカ支局の局長を経てNHKのニュースキャスターをしていた頃はその冷静で硬派な印象に好感を抱いていた。

そして彼とは過去に一度会っているが、その折の彼の言動には興醒めした覚えがある。


私が「アメリカ」を上梓した折のことである。
彼がホストをつとめる民放のラジオ番組から出演のオファーがあり、アメリカ滞在の長い彼とアメリカの話ができるのは面白いと二つ返事で出演を快諾した。


だが収録の当日のスタジオでの彼の第一声には???となった。


「あー、とうとういらしてくれたんですね。なかなかこういうところに出てくれない方でスタッフも度重なる交渉の末、やっと出演の快諾をいただきました」


私がその時感じたのは彼がオーバーな表現で自分の番組を盛り上げる、いかにも民放的なスタンスになったのだなということだった。


そんな彼は最近歳を取るとともに自制心を失い、オーバーアクションが過剰になりネットニュースでは木村が野党が「桜を見る会」に拘泥することに”激怒”とある。


批判批評ではなく、この”激怒”はジャーナリストの持つべきスタンスではない。
いや怒りの感情を持つことは悪いことではないが、その感情に溺れて表に垂れ流すことは慎むべきものである。


木村はジャーナリストでありながらどうも事件としての桜を見る会を見失っているのか、何らかの忖度があるのかは釈然としないが、この”激怒”というスタンスには独特のエリート(特権)意識が老いによって歯止めがかからなくなった老残の一風景という風に私には見える。


老境に入る者は反面教師とすべきだろう。








     

 

2019/11/17(Sun)

桜を見る会、窮地!!緊急レスキュー隊「官邸+NHK+警察庁」三位一体出動、トップ女優沢尻エリカ超緊急逮捕。これでニュース、ワイドショーは向こう5日間”桜”散り、エリカネタに塗り替えられる。(CatWalkより転載)


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今日は日曜だが共有すべき事柄があるので簡単に記しておきたい。

これは10年くらい前の話だが、警視庁には内閣調査室と連動して芸能人逮捕予備のリストが用意されているとあるマスコミ関係の人物が語っていた。

つまりそれは芸能人の麻薬事案のストックにほかならないわけだが、そのことを示すように2016年、甘利明の現金授受問題が炎上しつつあるその最中、元プロ野球選手の清原が緊急逮捕され、メディアは大騒ぎをして、甘利問題とTPP問題はその喧騒の中でかき消された。

これは明らかに官邸主導のスピンコントロールだと感じたのだが、こう言った事案は証拠をあげることが困難である。

近くでは2019年2月に沖縄県民投票で圧倒的多数の辺野古新基地反対の情報が燃え上がろうとする中、ピエール瀧が麻薬所持容疑で緊急逮捕されている。

さらに大物感のあるチャゲ&飛鳥のASKAの覚せい剤使用逮捕は安倍政権が強行採決した年金カット法や高齢者の医療費負担増加、日露首脳会談の失敗などの報道と見事に連動している。

また安倍首相の意向を忖度した法務省が、技能実習生の失踪調査で、改ざんした調査結果を国会に提出していた矢先にネイムバリューが芸能人並みに高い日産自動車のカルロス・ゴーン会長が金融商品取引法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕されている。

今回「桜を見る会」で安倍首相が窮地に追い込まれつつあるそのさなか、あまりにもグッドタイミングでとつぜん女優の沢尻エリカが合成麻薬MDMAの緊急逮捕は警視庁は持ち駒の序列の中で大物のカードを切って来たとの感は否めない。

ご丁寧にも逮捕当日の18時、NHK7時のニュースに間に合うように警視庁は緊急会見をしているが、「桜を見る会」炎上打ち消し総動員の感がある。

そして案の定、警視庁の緊急会見にお墨付きを得たかのようにNHKの7時のニュースでは沢尻エリカの緊急逮捕をトップニュースとして報道している。そして「桜を見る会」報道を一切ないばかりか、半年前から準備して来た「安倍政権、長期政権」安倍礼賛報道をする始末である。

今は警視庁関係の人間がいるかどうかは(おそらくいるだろう)不明だが清原逮捕時には警視庁出身の杉田官房副長官が在籍していたことを見ると警視庁OBが官邸とつながっていることは確かだろう。

この芸能人の人気にあやかった政治利用は「桜を見る会」でも毎年行われていることだが、一方スピンコントロールのための逮捕予備リストとしてまたこの芸能人の人気が有効利用されていることはほぼ確実であり、ついに今日に至っては「官邸+NHK+警察庁」と三位一体となった情報操作が行われつつあるという北朝鮮まがいのことが起こりつつあるわけだ。

つまり今回NHKのニュースで特集を組んだ「安倍政権、長期政権」はひとつには今回のような長年にわたる情報操作によって愚民を騙し続けたひとつの成果ということだろう。


     

 

2019/10/18(Fri)

どいつもこいつも、どいつもこいつも this is ニッポン。(CatWalkより転載)

過去のトークを見てもわかるように都知事選に立候補した小池百合子ブームが起きた最中も私はこの女性が食わせ者であることを述べ、その後の築地移転問題の手のひら返しを見ると彼女は築地問題を選挙に利用していたに過ぎず、彼女が食わせ者であるという観測は当たっていたわけだ。


そんな小池でさえ今回の青天の霹靂と言えるマラソンと競歩の開催地の変更に関しては彼女の怒りには同調せざるを得ない。


オリンピック組織委員会会長の森喜朗は早くから安倍首相と会って今回の開催地の変更を画策しており、安倍は北海道出身の橋本聖子五輪担当相に花を持たせるという形でそれを許諾する、というまさにオリンピックの私物化極の極みがこの開催地変更に象徴されている。


ニュースをただ薄らぼんやりと見ている国民はこの突然の開催地の変更はバッハ会長の強権の強引な発案という風に思いがちだが、日本のオリンピック組織委員会がドーハでの灼熱問題を理由付けに突然進言し、慌てて北海道の何たるやも知らないバッハがそれを容認したに過ぎない。


オリンピック東京開催が決まった折の森喜朗と小池百合子の陰鬱なバトルは記憶に新しいが、その後その怨念は立ち消え、お互い仲良くやっているのかと思いきや、森は小池の背中からバッサリと後ろから怪刀を振り下ろした格好の今回の出来事を見ると、国民不在の陰湿なイジメ行為が白昼堂々お国のトップで行われているという見たくもない風景が目の前に広がる。


今回の一件を見るにイジメ問題は子供の世界にとどまらず、教師の世界にもはびこっていたという神戸の教師によるイジメ問題に行き当たり、この国は下は小学校、上は国会議員までイジメのはびこる陰湿国家と言わざるをえない。

     

 

2019/09/13(Fri)

テレビ情報の陰に隠れた東電問題(CATWALKより転載)

今日は所用があり、一昨日の房総現場の情報を得て、昨日スタッフが物資を買い込み、今日の朝、車で現地に赴いた。

今回の房総半島を中心とするインフラ崩壊は徐々にボディブローのように効いており、こう行った時期に組閣ではしゃいでいる場合ではない。



内閣組閣直後、環境大臣になった小泉進次郎は喜び勇んで凱旋訪問のように福島に行ったが、今は福島に行っている場合ではなく、房総だろう。

彼が福島に入れ込んでいるということはわかるが若いにしては即応性、柔軟性に欠ける。











また今回も311時と同じ東電の事故だが、311時において嘘をつきまくった東電はこの房総でも嘘をついており、その嘘に誰も気づいていない。



つまり電力の復旧が遅れているのは倒木によって道路などが遮断されており作業に支障をきたしているというアレである。



現場を見たところ倒木はあるにはあるがそれはもともと体力の衰えた老木であり、山間部であっても道路を遮断するほどの巨木がいたるところに倒れているかのような東電のコメントには無理があり、映像にもそのようなものは出ていない。



というより現場で道路を遮断している本当の障害物は東電の建てた電信柱なのである。

電信柱なら至るところに倒れており、こう行ったインフラは道路ぎわにあるから倒れると完全に道路をふさぐ。

通りによってはまるで将棋倒しのように倒れており、一つを処分してもさらにその先にあるという状況だ。



船長も房総に住み、倒木で道路をふさがれたことがあるが、仮に長さ10メートルでひと抱えくらいの倒木であってもプロが使う50cc以上のチエンソーがあれば人が抱えることのできる50センチ幅で切り刻み、ものの15分で処理できるし自分でもやったことがある。



つまり倒木によって作業が遅れているのではなく、おそらくいたるところで倒壊した電柱によって作業が遅れているということではないか。



この電柱処理は倒木の100倍も厄介だ。

中に数十本もの鉄筋が入っており、切断が容易ではない。

切断ができない以上、クレーン車で移動させるしかないのだが、場所によってはその作業もできない。



日本は電線が埋設されていない唯一の先進国であり、この電柱の倒壊が復興の妨げになっているということは311時のみならずこれまであらゆる災害現場で経験しているわけだが、今回もまた同じことが起きており、それを東電は倒木のせいにしているわけである。



特に東電では都会部や町では電柱は広告塔の役割を担わせており、その別会社を建てるほど広告収入は莫大なものであり、この厄介な障害物で東電は儲けている。

電柱の倒壊によって電力の復旧作業が遅れているとは口が裂けても言えないわけだ。



こう行った災害時には時に別の視点で物事を観測するなら思わぬことが浮かび上がってくるものだ。

テレビだけの情報を鵜呑みにしてはいけない。



     

 

2019/08/14(Wed)

無責任な憶測の飛び交う「愛知トリエンナーレ」における実情。(Catwalkより転載)

愛知トリエンナーレの問題は表現者としての私にとっても簡単にスルーできない問題であり、お盆休みではあるが、近々に収集した情報を元にまず外部に出ていない内部事情を掲載する。





今回の愛知トリエンナーレ「表現の不自由」展の開催中止に関し、芸術監督を務めた津田大介に対する非難は大きくわけて二つに仕分けができるだろう。



ひとつは従軍慰安婦像の展示に対する非難と攻撃であり、今日のこじれた日韓関係と長引く従軍慰安婦問題と徴用工の問題を考えれば非難攻撃は当初から予想されることであり、当然主催者側も津田大介もそれは織り込み済みでの開催と私は考える。



その意味でこの件に関しては展覧会の中止に追い込まれる問題ではない。



問題は今回の展覧会開催中止の局面にあって、中止すべきでないとの立場を取る有識者の発言が中止を決めた芸術監督である津田大介に対して欠席裁判の様相を呈していることである。

特に私にとって気分が悪いのは右派が左派的なものを攻撃対象とすることは普通のことだが今回は左派的なものが左派的なものを非難攻撃するという左派政治集団によくありがちなタコが自分の足を食っているような状況を呈していることだ。



その代表的な発言のひとつが8月10日の朝日新聞の宮台真司のインタビュー記事だろう。

彼は芸術監督を務めた津田大介およびトリエンナーレ実行委員会を“未熟”すぎると以下のように一刀両断している。



「今回の中止は脅迫による困難が理由で言語道断です。毅然とした態度を貫かないと脅かしたもの勝ちとなる。フランスのシャルリー・エブド紙襲撃事件では、マスコミも政治家も識者も「テロに屈するな」と叫んだはずです。警察と連携、別会場でボデイチェックなど対処法を編み出すべきなのに、それをせず三日間で中止したトリエンナーレ実行委員会や津田大介芸術監督は未熟すぎます」



正論である。



問題はこの種のまっとうな正論がフランス市民革命によって自由の権利を勝ち取ったフランスではなく、未だにアメリカの植民地国家として己の主体性を失っているこの日本において通用するかということである。



というより宮台真司は他者を未熟と名指しする前に主催者側及び津田大介が今回のテロ脅しに関してどのように対処したかという事実関係を把握した上で発言をすべきであり、そうでなければ欠席裁判の様相を呈してしまい、これは昨今ネットにありがちな相手側の情報を収集することなく一方的に他者を攻撃する様に似て怖いことだ。







私の調べによると実行委員会及び芸術監督である津田大介はテロ予告に関し、手をこまねいていたわけではなく、むしろ敏速に動いている。



つまりガソリンテロ予告FAXが届いたその日に警察と接触し捜査依頼をしているのである。



だがここで信じがたいことが起こる。



所轄の警官が来るには来たが、FAXのヘッダーの部分の発信者番号が5桁しかなかったため「これじゃ発信元わからないから犯人わからないね」というぞんざいな対応を示し、そのまま帰ってしまったのである。

所轄はそのまま知事には「FAXの発信元が匿名化されていてわからない」という報告をしたようだ。



所轄の「発信元がわからない」から犯人は特定できないというコメントを聞いた津田はこのFAXは海外のワンタイムFAX送信サービスでも使ったのかと思ったらしい。


だが、実際にFAXを見たところ、海外のワンタイムFAXではなく、特定ができるのではないかと思い、この種の情報特定が得意な知り合いの記者と、外部の専門家に解析させた。

その結果件のFAXはコンビニのFAX送信サービスを利用したものであるということが判明し、さらに5桁の番号が店番号だということも判明。

そして一宮市にあるファミリーマートから送信されたものだということを突き止める。



私はそのこみ入った経緯を知って大変驚いた。



これって警察がやるべき仕事だろ。



つまり津田は警察がやるべきことを目出度く“代行”していたというわけだ。



コンビニの所在までわかれば監視映像も保存されているわけであり、その後津田らは犯人逮捕に向け、解析した情報を事務局経由で警察に上げた。

そうすると、それまで「発信元がわからない」といって被害届を受け取らなかった警察は一転、事務局に「被害届を出してくれ」という要請がとつぜん来た。

そして被害届けを出してのち当然のことながら速やかに犯人が逮捕されることとなる。



これが犯人逮捕に至る正確な経緯である。



つまり津田が警察まがいの捜査をして、店舗まで特定して警察まで上げなければ警察は動かなかったということだ。

この事実を聞き,一体この国は法治国家なのかとの疑いを禁じ得ない。





これは模倣犯だと思われるがコンビニ経由でのテロ予告以降、断続的に県内各所へのガソリンテロ予告メールが送られて来ているらしい。

こちらは手の込んだやり方をしていて、ある宗教団体のメールフォームを悪用して(メールフォームを送ると、その写しが自分の入力したメールアドレスまで戻ってくる)、脅迫を続けており、こちらについても対応してくれと警察に願いしているが、いまだ被害届すら出させてもらえていない状況らしい。

知事に話してようやく被害届を出させてもらう状況に至っているらしいが、こちらについても警察は「発信元わからないね」と件のコンビニFAX脅迫時と同じ対応とのことである。





ただ所轄によっては正常な動きをしているようだ。

件のコンビニFAX捜査は刑事課の担当で、トリエンナーレ関連のイベントの現場警備は警備課が担当しており、警備課は協力的で、津田が出演するイベントなどでは、必ず私服警官を出してくれるようになったという。



津田は覚悟が決まっており、自身は刺されてもいいと思っているらしいが、お客さんの安全を預かる立場でもあるので、警備の配備には安堵しているとのことである。



先のトークで宮台真司の言う「テロ予告があれば警察と連係」というもの言いを”お花畑”と書いたのは、それは忠告するまでもなく当たり前のことであり、津田らはテロ予告以前の企画の全体像が見えた2カ月前からずっと警察とは「連携」している。



だが実際にテロ予告が来てからの警察の対応が違ったということだ。

FAXという物的証拠がありながら、その発信元を特定する努力を怠った上に被害届すら出させてもらえない異様な状況が展開されたのだ。

つまりこの状況こそ問題視するべきなのである。





つまり津田は宮台の言うように未熟なのではなく、ネットリテラシーに長けた能力を生かし、警察のできないことまでやっているのである。

逆に言えば宮台が津田の立場に立った時、津田がやったようなことが出来たかどうか、それは興味深いことである。


だが今回の最大の問題はなぜ警察の動きがかくも鈍いのか、ということに尽きる。

それが単なる地方警察の能力不足なら、まあそんなものかと思うわけだが、今回の犯人「放置」が、官邸あたりから何らかのサボタージュ指示が出ているとすればこれは言論の自由問題としてきわめて深刻な事態ということになる。


余談だが個人的には津田はまだトリエンナーレ再開に向け諦めていないとの感触を抱いている。

だがそれには警察の協力は不可欠であり、前後の経緯からするなら難しい局面に立たされていると言えるだろう。




なお、この論考はあくまで事実に即した展覧会の運営上の内部事情を記述したのであり、展覧会そのものの評価をしたものではないことをお断りしておく。



     

 

2019/08/12(Mon)

法治国家でない限り、表現の自由は成り立たないという基本が守られぬ三流国家としての日本。(CatWalkより転載)

Y.T
タイトル:小泉劇場

原爆の日の間隙をぬっての小泉劇場。首相官邸を使った小泉劇場に、なんともやりきれない思いなのは私だけでしょうか?
幸い?東京新聞は、翌日か翌翌日の紙上で劇場報道を批判していましたが。
ワイドショーの時間を狙い、将来の首相候補をよいしょする安倍政権。
ここまできたか!という感じです。
でも、批判の声は聞こえてこない世の中。
いやはやです。



Catwalkは今日から18日(日)までお盆休みに入る。


休みにあたって先日催されたトーク&ライブ「旅の音色」を表紙展開としたので休み中に楽しんでいただきたい。


また近々の話題で2点ほど船長の見解を簡単に述べておきたい。


ひとつは投稿にもある官邸を使った小泉進次郎の婚約会見だが、私は当日Catwalk会員の遺骨を船に乗せ、海を回遊していたため、この話題はあとから知ったのだが、官邸とは税金で運営している公共施設であり、また安倍首相の所有物でもなく、そのようなところでテレビを呼んで婚約の記者会見をするというのは公共施設の私物化もはなはだしい。


安倍首相の官邸、そして国会議員ということで何でも自由になるという昨今の自民党の奢りがこのような場面にも出ており、こういった勘違いをロートル政治家ならまだしも若手の議員が平気で行っているのは感覚の狂いを感じる。


進次郎は親の七光りで次期首相などと持て囃されているが、演説の内容などを聞くと大した思想があるわけでもなく小泉純一郎同様小頭の働く小細工師にすぎない。


これは俳優になっている兄の小泉孝太郎も同様で、彼が純一郎の子供でなければ写真家の私から見ればルックスもまったく魅力なく、演技も実に下手くそで、本来ならうだつの上がらない大部屋のただの売れない芋役者に過ぎなかったはずであり、こういったものが世間に持て囃されるというのはいかにも日本的である。



愛知トリエンナーレの「表現の不自由展」にひとこと。


私はこれまで数々の展覧会の審査などを行っているが、表現の自由とは何でも許されるということではなく、私自身も応募作品を却下したことがある。ある大きな展覧会の審査委員長をやっていたおり、コマーシャル系の写真家の応募で次のようなものがあった。


組み写真の@は業務用のミキサーの中で100匹の小さな金魚が泳いでいる。


Aではミキサーの羽がまわりはじめ、金魚がズタズタに切り裂かれ、黒い目玉なども攪拌されている。


Bではミキサーの中で完全にジュース化されたピンク糸の液体が完成されている。


作者は人間はこのように生きものを殺して生きているということを訴えたかったのだろうが、表現のために100匹の金魚を殺すというのは表現の自由の勘違いも甚だしい。


今回の「表現の不自由展」に関しては監修を行った津田大介に避難の矛先が向けられている(この件に関し私は津田大介にひとつの質問メールを送っているが、センシティブな状況でもありいまだ返事はない)。


私が一点聞きたかったのは慰安婦像の展示に対し、ガソリン携行缶でのテロ予告がFAXであったとき、県警は動いたかということである。


のちの調べによると当初どうも県警は動いた形跡がない。


ご承知のように北海道において安倍首相の選挙演説にヤジを飛ばした一般人を道警が連行するというような官警癒着の構造が見られる昨今、こういった日本を非難するような展示に対しての脅しを県警が見て見ぬふりをするということは考えられることであり、実際に県警が動いてテロ予告者を確保したのは県警に対する非難がおきはじめたことによるものであり(コンビニからFAXをするような間抜けな犯人を確保するのは簡単なことなのだが)おそらくテロ予告を放置していたというのが実情だろう。


朝日新聞では宮台真司が「テロ予告があれば警察と連係」などとお花畑的解決策を書いているが、今回の展示では県警は敏速に動かなかったという経緯が濃厚であり、であれば法治国家としての体を成していないということになる。


かりにそうであれば主催者側および監修者は無法国家で展を開催せざるを得ないということであり、開催の中止はやむを得ないというのが私の見解である。


表現の自由を盾に当事者を非難中傷することは簡単だが、ことこの日本に関してはさきのフランスのシャルリー・エブド襲撃事件のようにメディア警察一体となった表現の自由に対する毅然とした態度のようなものは望むべくもなく、今回の一件はこの日本が三流国家であることをはからずも証明する結果となったと言える。






     

 

2019/06/14(Fri)

川崎通り魔殺人事件に関する雑感。(CatWalkより転載)

3月4日の誕生日を過ぎてひとつ試みていることがある。
昨今の社会では人々は情報をスマホ、テレビ、新聞、雑誌などのメディアによって取得する率が大きくなっている。
電車の中で時にはほとんどの乗客が下を向いてスマホを操作していたり画面に見入っていたりする光景がこのことをよく表している。車窓では彼らが何年も通っている日常風景が流れているわけだが、ひょっとすると人によってはそれは見知らぬ風景であるのかも知れない。


こういったメディアによる情報の取得率が拡大するにつけ、日常や現実にブラインドが降りてしまうという本来人間の身体が求めている現実との風通しが閉ざされる傾向はスマホ世代でなくとも私たちにおいても同様のことだ。


そこで私が時折やるのは「メディア洗浄」である。
つまりある一定期間自分の身の回りのメディアを断つということだ。メディアの断捨離と言ってもよいだろう。
あるいはメディア飽食の時代における断食と言ってもよいのかも知れない。
しかしながら私たちにとってメディアは空気のようなものであり、完全にメディアを断つことは社会との縁を切るということだから復帰可能な状態にしておく必要がある。


私はこの情報のプチ断食をだいたい誕生日を境にすることにしている。
期間としては3ヶ月というところか。
時と場合によってまちまちである。
だがここで大切なことは見ざる言わざる聞かざるというように一切情報から耳を塞ぐという頑ななものではなく、日常生活の流れの中で人からの話で耳に入ってきたり見えたりした情報はそのまま受け入れる。



今回の川崎における殺傷事件はちょうどそのメディア断捨離の中で起こった。
つまりリアルタイムでは知らず、数日後に人の口から聞き、ちょうどメディア断食明けに近づいたということもあり、ネットなどの拾い読みをした。


そしてひとつ言えることはこの数ヶ月間私がメディアから日常現実にその受信アンテナの方向を転換したように、情報取得様式がかりに旧社会の様式であった場合、今回の川崎事件のようなことは起こらなかった可能性があるということだ。



メディア断食あけに川崎事件のことを知り、ネットを探っていたところ川崎事件がらみで藤原新也の名前が数件上がっていた。


そのいずれもが私の著作『東京漂流』に取り上げた川俣軍司による深川通り魔殺人事件に言及したものだった。
その論調は、こう言った通り魔事件を時代を象徴する事件として取り上げた藤原は、今回の川崎事件を予見していたというものだ。


だがその観測は当たらない。
1981年に起きた深川通り魔殺人事件と今回の川崎通り魔事件とは対極と言ってよいほどその事件の質は異なる。


茨城の辺境でシジミ取りを生業とし、その後トラックの運転手や寿司職人を転々とした生活を送ってきた川俣はその間の人間関係によるストレスの蓄積の上、それが怨みとなって行きずり殺人に走ることになる。つまり彼はその濃い身体で泥臭いほど現実に深く関わっているのだ。
また事件報道や情報の拡散も当時と今日とでは様相を異にする。


深川事件が起きたのは(ウインドウズが発売され)ネット社会がはじまる95年を遡ること14年前のことで、事件報道は新聞テレビ雑誌に限定され、今日のようにタレントから一般人までが情報の送り手となったリアルタイムのネット上の騒乱というものは当然皆無だった。
事件における濃い身体性、そして情報の送り手と受け手が棲み分けていた時代のそれは、旧社会におけるきわめて人間臭い事件なのである。


だが川崎における通り魔殺人容疑者である岩崎隆一は川俣軍司とは真逆にその身体は虚ろである。
いや虚ろというよりその存在があらかじめ“ない”。
このことは先のトークにも述べたように今日に至ってもその顔写真がない(おそらく犯罪者の顔が視認できないというのは前代未聞のこと)ことが、彼がこの世に“いない”存在であることを象徴している。


その意味において深川の事件は川崎の事件を予見しているとは言えず、むしろ旧社会と新社会の差異が浮き彫りとなった両事件と言える。



川崎事件に見るいわゆる“ヒキコモリ”という新社会における人間の存在(非存在)様式は海外においても見られるが、この日本においては農耕民族固有の同調圧力社会における弱者や異物の排除(いじめ)を発端とすることが多い。
この弱者や異物の排除は就学時固有のものではなく、年功序列終身雇用からアメリカ型の成果(能力)主義へ転換(カルロスゴーン氏の大量解雇による会社立て直しはこの象徴だろう)した雇用形態の中にも潜む。
つまり昨今の社会は就学年代、就職年代の全年代を通じて弱者を排除する社会構造となっている。ヒキコモリとはそう言った弱者排除社会によって抹殺され、ステルス化した新たな時代の身体様式という見方が出来るだろう。


私の近しい団塊の世代夫婦に今回川崎で事件を起こした岩崎隆一と同世代のヒキコモリ体現者Yがいる。
Yは小学校の頃私の房総の家に親子連れでたまに遊びに来ていたが、小学校上級生になっても挨拶もすることもなく、何度か親に叱られていたが、いじけたようなところがあった。
Yはその頃小学校でイジメに遭っていたということをのちに聞いた。
その後夫婦との交流はあまりなくなったが、それから30年、40代になろうとする彼は家の二階の一間に蟄居し続け、奥さんが作った食事を襖を開けそっと差し出す生活が続いている。
彼はいつも薄暗い部屋でパソコンの明かりに照らされており、いつぞやトイレのために階下に降りた隙に奥さんがパソコンを覗いたところ、攻撃的な書き込みが溢れており息子がネトウヨだったことを知ることとなる。
社会から消されステルス化した彼はそのような手段で必死で自分の存在認証を行なっていたわけだ。



川崎の無差別殺人容疑者である岩崎隆一がどのような人生の経路をたどったのか。
誰もが目の前の友人や知人の顔を撮るこのスマホ時代に顔写真一枚出てこないわけだからネットに流布する彼の生活環境を鵜呑みにすることはできないが、ネトウヨ化したYと岩崎隆一とは一つの共通項がある。
それは社会から排除されステルス化した自分を一方はネットの中において他者を傷つける言葉の暴力によって自己承認を得、岩崎隆一は現実の路上で他者を傷つけることで自己承認を得ているということである。


冒頭で私が情報取得様式がかりに旧社会の様式であった場合、今回の川崎事件のようなことは起こらなかった可能性があるという言葉を吐いたのはそのことに関連している。


深川通り魔殺人事件と川崎通り魔殺人事件の中間に起きた通り魔殺人事件として加藤智大による秋葉原通り魔殺人事件が挙げられるが、彼が犯罪を犯したのは就労環境によって彼が排除されたこととなっている。
だがそれは犯罪を犯すきっかけであり、むしろ彼が日常的に埋没していたネット環境の中で自分の存在感を示し、合わせて自己承認を得ることを動機としたと私は思っている。


つまり加藤智大、あるいは私の知人の息子のYと同様、岩崎隆一もまたネットに埋没し、ネットの中で“社会”を築いてていた可能性がないとは言えないだろう。
そのような想定をもとにこの事件を考えるなら、リアルタイムで自らの行動(犯行)が彼の所属する“社会”へ、そして実社会に喧伝され、透明な自己が一気に巨大な存在感を得る、この自己承認のあり方こそ彼が求めていたものかも知れない。


その意味において深川と川崎の間には時代の乖離があり、深川はその存在の重さゆえの犯罪であり、川崎はその存在の軽さゆえの犯罪ということができる。



さらに言えば川崎事件の岩崎隆一は現場で自死をしているという深川と川崎との間には大きな違いがあるのだが、私はこの自死を拘束の屈辱から逃れるためではないかと考えている。


当然罪の意識によるものでもない。
それは世間一般の人々の感覚の理解の範疇にはないことだが、自死もまた彼の自己承認の究極の姿だったのではないかと私には思えるのである。


実存の極みとしての死である。

誤解を恐れずに言えばひょっとすると彼はその現場で他者を殺し、さらに自分を殺すことにエクスタシィを感じていた可能性もあるということだ。



事後ネットやメディアでは「死ぬなら一人で死ね」論争が巻き起こった。
この感情的な攻撃の言葉が、ネット社会で他者叩きに血道をあげる有象無象の言葉ならありうることとしても、一定の社会的常識を持ったワイドショーのアナウンサーまで同じ言葉を吐いていることに驚きを禁じ得ない。


つまり彼らは一人の人間に対して“死ね”という言葉を吐いているのだ。

 


その排除の究極の言葉としての“死ね”は、いじめの現場における究極の他者排除の言葉であり、その排除の論理によって岩崎隆一は誕生し、その排除感覚こそが再び岩崎隆一を再生産することとなる。
そんな健常者すら常軌を逸するという狂った社会を俯瞰しながら私は悪夢に似た想像を膨らませてしまった。


この川崎事件は元農水次官がヒキコモリの息子を殺すという連鎖殺人を生んでいるが、この死ぬなら一人で“死ね”という負の言霊に撃たれたこの日本に100万人(内閣府の調査では61万人)いるとされるヒキコモリの中の何人かが、いやひょっとすると思わぬほど多数の人間が実際にその言葉の凶器によって自死をしている可能性もないとは言えないということである。


仮に人知れずそういうことが起こったとすれば、つまり一人の立派な教育を受けたアナウンサーは柳刃包丁ではなく、その言葉の凶器によって(間接的に)岩崎隆一と同じく殺人を犯したことになる。


最後にこの論考は岩崎隆一の犯した犯行を擁護するものではない。
この犯罪は悪質な蛮行であり、論考は事件の構造を述べたまでである。


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