Shinya talk

     

 

2015/09/19(Sat)

もう「傘がない」は歌うな。

”雨の試練”の中で安保法制は成立した。

2015年の安保法制をめぐる争議とは、思うに60年、70年安保闘争につづく”安保闘争”だったと言えるだろう。



だが60年安保闘争時の岸信介は吉田茂が結んだアメリカとの不平等条約を是正するためにアメリカに乗り込んだ上で新たな安保条約を目指したわけであり、アメリカの腹話術人形となってしまった孫の安倍首相とは異なることを認識しておきたい。

安倍は岸を越えてはいない。

そればかりか岸と敵対していたアメリカべったりの吉田茂の孫麻生太郎とタッグを組んでいるのだから岸の意に反しているわけだ。










今回の15年安保闘争は規模はその前の安保闘争とくらべ、規模は小さかったが取り決められたその内容は実質的な憲法九条改正であり、さらにアメリカの戦争に加担という意味からすれば60年、70年安保より重要な局面だったと思う。



そして雨の中、有り体に言えば闘争は60年、70年安保闘争と同じように敗北を喫した(というより勝負にならない闘いだったと言える)わけだが、私は今回運動に参加した若者と会ったおりにひとつだけ伝えたいことがある。



それは過去の二の舞を踏むなということである。



ご承知のように70年安保闘争が敗北に終わって世の中に蔓延した気分は「しらけ」だった。



そのしらけの気分と行動様式は以前にもこのトークで触れた井上陽水の歌「傘がない」(今日の政治問題より恋人に会うための傘がないことの方が問題と歌った)に象徴される。



さらには「私の人生暗かった。どうすりゃいいのよこの私」と歌った藤圭子の「夢は夜ひらく」。あるいは昭和枯れススキ。吉田拓郎の結婚しようよ。などなど、時代には厭世気分が横溢する。


安保闘争世代と言えば団塊の世代と重なるわけだが、この日本の政治的危機に際し、その世代を象徴する作家や表現者、村上春樹、沢木耕太郎、糸井重里など、反対であれ賛成であれ一切政治問題に触れないのは70年安保トラウマを引きずっているという見方も出来るだろう(団塊の世代にも15年安保闘争に参加した方はたくさんいらっしゃるが)。



この安保闘争世代の厭世としらけという時代気分は後年までトラウマのごとく日本人の無意識の中に浸透し、その時代気分はのちの世代の若者の政治問題への無関心にまで引き継がれたと私は見ている。



だが、秘密保護法、憲法改正、集団的自衛権のみならず、若者の過酷な雇用制度、年金への不安などによってマグマの貯まった若者の意識は45年ぶりに目覚めた。



その意味においてこの15年安保闘争の敗北に際し、過去の轍を踏むなと言いたいのだ。



もう「傘がない」は歌うな、と。



過去の二の舞を踏むことなく、自からのためにも後に続く世代のためにも、君たちは別の歌を歌わなければならない。



私はそのように言いたい。

     

 

2015/09/14(Mon)

今週の安保法制(集団的自衛権)成立に向けて視野に入れておくべきこと。(CatWalkより転載)

東日本大震災の折もそうだが、今回の鬼怒川水害においていつもながら献身的な活動をする自衛隊員の姿を見ながら、不穏な映像が頭を過ぎってしまう。

おそらく今週強行採決によって成立する集団的自衛権によってこれらの一途な青年たちが幾年か後にはアメリカの補填兵として戦争に加担させられ、犬死にする姿と二重写しに見えてしまうのである。

安倍政権というのは先の参議院選のおりにも「ねじれ国会」という造語を編み出したように、小手先の言葉の詐術に長けており、この集団的自衛権という言葉もまた詐術のひとつだった。

いかにも自分の国を守るための同盟と聞こえて来る集団的自衛権(積極的平和主義)という言葉も政権側が用意した洗脳用語であり、実情は「集団的進攻権」「集団的交戦権」あるいは「集団的共闘権」というべきものである。

そしてそういった用語変換をするまでもなく、ある意味で「集団的自衛権」という言葉の中にすでにアメリカとの共闘が含まれているとも言える。

私たちがこれまで使って来ている集団的自衛権という言葉は“日本を守る”が主語となったあくまで日本側からの視点であり、逆の視点が抜け落ちているのである。

つまりアメリカ側の主語として集団的自衛権という言葉を解釈するなら“アメリカを守る”ための協定となるわけであり、つまりアメリカの戦争に加担するという意味になるわけだ。

その他者側からの視点が抜け落ちているのがいかにも平和ボケ国家らしい。

そのようにアメリカにおいてもこれがアメリカを守る集団的自衛権であることをはっきりと指し示したのが4月29日のアメリカ議会における安倍演説ののち、5月13日に出たアメリカの右派新聞、星条旗新聞の記事だった。

安倍はオスプレイ購入3、600億のご褒美によってアメリカ議会演説を与えられ、得意満面で次のような背中がむずがゆくなるような結びの言葉を述べている。

「米国が世界に与える最良の資産、それは、昔も、今も、将来も、希望であった、希望である、希望でなくてはなりません。米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を“希望の同盟”と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかに良い場所にしていこうではありませんか。“希望の同盟!”。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。」

この言葉に隠れている本質は以下のようになる。

「米国が世界に与えた罪科、それは、昔も、今も、将来も、他国における戦争であった、戦争である、そして覇権でなくてはなりません。米国国民を代表する皆様。私たちの同盟を“戦争のための同盟”と呼びましょう。アメリカと日本、力を合わせ、世界をもっとはるかにアメリカ的なる場所にしていこうではありませんか。“戦争の同盟!”。一緒でなら、きっとできます。ありがとうございました。」

安倍演説から2週間後の5月13日、この協定がアメリカのものであることを証明するアメリカの右派新聞「星条旗新聞」においてあまりにも露骨な、というよりいかにもアメリカ人らしい他者を無視した無邪気な、本音論評が出た。

すでにアメリカでは来年度2016年の国防予算と兵士4万人の削減が日本の安保法制(集団的自衛権)成立を前提に組まれているとそこには書かれている。

戦費拡大に困窮したアメリカは軍の海外活動を縮小し、軍事力は海軍と空軍だけに集中。

縮小する陸軍は日本の自衛隊に肩代わりさせるという内容になっているのである。

一見難航しているように見える安保法制の審議についてもご丁寧に「野党がいかに激しく反発しても関係なく、与党は法案を可決するために十分な議席を持っています」という旨の記述まである。

http://www.stripes.com/news/pacific/us-defense-budget-already-counting-on-japan-self-defense-plan-1.346012

兵士4万人の削減(文官1万7000人も削減)というのは軍事面に明るい人に聞くと兵士の数は49万人から約45万人に減り、第2次世界大戦以降最低の水準になるということでこれは大変なことらしい。

安倍はアメリカ艦船に乗せられて海外から避難する日本家族などのイラストで“甘っちょろい”自衛論を展開したわけだが、このアメリカという国は非常に緻密かつ冷酷に日本の若者の徴用計画を着々と練っていたわけだ。

鬼怒川において奮闘する自衛隊の若者が幾年後かにアメリカの戦争によって犬死にする姿と二重写しに見えてしまう所以である。

辺野古問題もまた政府対沖縄の構図の中にあるのではなく、集団的自衛権同様アメリカの冷酷な計画図(というより集団的自衛権と同時進行)の中にあり日本はアメリカによって心臓をわしづかみにされているということだ。

日本は日本在住アメリカ米軍に78年から20兆円を投入し、加えてこの5年で24兆7000億円のアメリカ製兵器を購入しているとの試算がある。戦後70年間にアメリカに貢いだ総金は1000兆を超えるという。

皮肉にも日本の財政赤字1020兆円と重なり合う。

このようにことアメリカとの関係は理不尽という言葉に尽きるわけだが、ただしこの国防に関しては原発問題のように明確な答えが出るわけではなく、私個人は戦後もっとも戦争をしてきたアメリカの戦争に加担する集団的自衛権には反対だが、日本は自国を守るために個別的自衛権をきちんと確立することは必要だとの考えであり、単純な左派的思考に汲みしない。

このあたりは一部のCatwalk乗組員諸氏とは意見を異にするかも知れない。

しかしCatwalkという枠組みの中にあっても国防に関しては平場であり船長、乗組員の意見の違いはあってしかるべきだと考えている。

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