Shinya talk

     

 

2015/01/29(Thu)

ジャーナリストの命の値段について。(Catwalkより)

昨日のトーク「祈る」はこのCatwalkトークでときたま皆さんの注意を喚起するためにかけるブラフと受け取っていただいて結構であり、加えて感情論とも受け取られることを予測した言葉でもあり、そしてそういった文脈での少なからぬ同調の投稿があるが、今回は反論投稿を取り上げる。





                                    ◉





M.S.

タイトル:人質はムダ、と分らせる



国の借金1000兆円をどう減らす、という時にこの1人に使う金などあるはずがない、というかつまり緊急なお金の使い道:東北復興、社会福祉、今日にも壊れそうな橋を直す、認知症対策、原発関連、まあいろいろありますが、それらに比べて確実にプライオリティは低い。



これらの早急な対策はより多くの人命を救うものでしょう。

そこを削ってなぜ危険を承知で行った商売男を助けるか?



赤ペンキで、キケン!入るな!釣り禁止!と書かれた柵、塀を乗り越えて大物を釣ろうとして足を滑らせた釣り人を税金で助けて欲しくない。



このバランス感覚なしに、ただ無事で帰って来て欲しいというのは、まだウブな青少年や、もう天国間近で後の事はあまり、それほど、または、なんも気にしない高齢者とか、金銭感覚ゼロの博愛主義者とか、あとはとにかく税金がどう使われようが自分の生活には全く金銭的不安のない方々、でしょうか?



私も、無償なら、是非とも無事で帰って欲しいと思います。

人命は大切です。

ですが、それにとてつもない金銭的負担があるなら、可哀相だけど、それより多くの日本国民のために諦めて欲しい、と思うところです。



(後略)






                                   ◉







実は今回イスラム国が日本人人質の期限付き殺害を発表した直後(この項はクロースドサイトであるCatwalkのみで掲載)という書き出しで後藤さんの海外取材で一緒に仕事をされたという会員からの投稿を受け取っている。



この投稿は基本的には掲載しないという前提なので投稿者のアイデンティティに抵触しない部分抜粋になるが投稿の後藤評は最悪と言ってよかった。





(略・同上)






言葉を扱う者として、投稿のその言葉は虚偽的なものではないと私は個人的に判断し、ありがちなことだと感じるとともに、そういった人物評とともに今回の事件の経緯をフォローすることになるわけだが、それでもなおかつ私が一人のジャーナリストの救出を「祈る」のは、その祈りの中では後藤健二の固有名詞は消えているのだ。



あくまでひとりのジャーナリストの救出ということである。





さて私は先のトークの中で海外における日本人のカーストに触れているがフリーのジャーナリストはその最下位にあることを述べた。



そういう意味では投稿のM.S.さんの言葉「なぜ危険を承知で行った商売男を助けるか?赤ペンキで、キケン!入るな!釣り禁止!と書かれた柵、塀を乗り越えて大物を釣ろうとして足を滑らせた釣り人を税金で助けて欲しくない」「東北復興、社会福祉、今日にも壊れそうな橋を直す、認知症対策、原発関連、まあいろいろありますが、それらに比べて確実にプライオリティは低い」には海外における上位カースト者同様のフリーのジャーナリストに対する差別感情が見られる。





昔こういう難題を持ち出した人がいた。



農民は日々額に汗し畑を耕し、作物をつくり人々に提供している。

だがもの書きは机上で無形な言葉を編んでいるだけではないか。

私はそれに対し、作家も農民も同じこと、作家もまた日々額に汗し畑を耕し、言葉のポテトを収穫し、人々に提供しているのだ。と述べている。





いったいに無形のものを軽んじるという傾向はどこの世界もにあり、とくに危険な国に行って取材をするジャーナリストの自己責任を問う声は多い。



確かにそのジャーナリストも人間であり玉石混交、いかさまもいるだろうし、信念を持つ者もいるだろう。



そしてこの論考の俎上にはいかさま者を当然除外している。

その上において言うならジャーナリストの収穫するポテトとは事実と真実を実際の現場で見極め、広く報告することである。

そしてそれは人間が生きて行く上において必要な”食料”なのである。





このネット情報化社会である今の世の中は、その二次情報三次情報の多くは操作されたもの、あるいは根拠のない憶測から生まれたものとみなしてよいだろう。



今でなくともナチスの情報操作に踊らされたドイツ民族の所業とユダヤ人の末路というものを私たちは知っている。



そういう意味では情報化社会において人々が烏合の衆となりつつある今の世界の現状は危ういと私個人は感じている。



そんな状況の中においていかに事実を見極めるか、それを果たすには実際の現場に行き、一次情報に触れ、それを発信する方法はひとつの有効な手段であり、また必要不可欠なことである。



M.S.さんの意見は極端な例だが、同じような考えを持つ人がいればジャーナリストにはそういう役割があるということを知ってほしいのだ。



そして彼らも農民同様、額に汗し、時には自分の命を世界に曝し、知恵のポテトを耕し、それを売り、自からの生活費(けっして儲かる仕事ではない)としている。





私が先般香港のデモ騒乱に行って200点もの写真とコメントをこのCatwalkサイトで展開したのもまったく同じことだ。



あの現場に行って実際にこの肉眼で見たからこそ、百万の二次情報三次情報を越えたリアリティと事実を皆さんの前にお伝えすることが出来た。



そして今回の香港事象はたまたま他国事であり、日本における311の原発事故時の虚偽発表のように直接私たちの生活を左右するものではないが、おそらく今後この情報化社会において秘密保護法のもと事実を知らされぬがゆえに日本人が死線をさまようという局面もないとは決して言えない時代なのである。



私はM.S.さんの意見とは反対にひとりの(自からの命をかけ世界に真実と事実を知らせようとする)ジャーナリストの命に200億の金を払ってもいいと思っている。

そしてまたそのジャーナリストが似非(えせ)であったとしても、かりにそれが罪人であったとしても一人の人間の命を軽んじることは慎まなければならない。


     

 

2015/01/28(Wed)

祈る。



今帰宅したが、期限が近づいている。



(官房機密費からイスラム国の要求を満たす身代金が支払われるという真偽不確かな裏情報を得たが)どういう手段方法でもいい。



今は何とか後藤さんが生きて解放されることを祈るばかりである。



私たちはアメリカ人ではない。



国家の存立とメンツより、ひとりの人命を優先する。

     

 

2015/01/28(Wed)

アラジンの巨人と桃太郎。(Catwalkより)

そろそろこの暗澹たる人質問題に関するトークは終わりにし、もう少し明るい話題に切り替えたいのだが(積み残していたパリでのテロとデモに触れなければならない)、なかなか事態は収束しないようだ。



またこれは大変重要なことであり、日本人の国際感覚を喚起する意味で再三触れる必要があると思っているが、このトークでは安倍首相がイスラエルで人質問題に対するメッセージを発信した直後の20日の時点で「それはアカンやろう」いちと早くイスラエル国旗問題の深刻さに言及したが、それから2日後の22日、東京大学名誉教授の板垣雄三さんは岩上安身さんのインタビューにこたえ次のようなコメントを吐いている。



「ヨーロッパでイスラエルは孤立している。

欧米とイスラエルにすれば、日本がしゃしゃり出てきたのはもっけの幸いでしょう。

日章旗とイスラエルの旗が並んだその前で記者会見を行なうという、最悪の状況で『テロとの戦い』を宣言してしまった。

これははめられましたね。

安倍総理の決定的な政治的ミスです。

一般のマスメディアは、イスラムは親日的だから、欧米の人質と違って、特別扱いしてくれるのではないか、などと言っておりますが、大間違いです」



また、今日の朝の民放に出た同志社大学の国際政治学者内藤正典さんも安倍首相の大きな失点はイスラエル国旗の前で国際的なメッセージを発したことだと、はっきり述べている。



すでに公の場でこの国旗問題が言及されるに到り、YouTubeで数多くあったこの両国国旗並立掲揚の動画のほとんどは削除されいるが(海外メディアはイスラエル国旗が映らないよう配慮していた)確信犯でもない限り、おそらく政治のプロであるはずの安倍首相および側近さえうっかりと気がつかなかったこの国旗問題は、おそらく日本人一般市民も同様にその絵の深刻さには気がつかなかったはずだ。



つまりこの一件はいかに日本人の国際感覚が脆弱で、また平和ボケを来しているかという格好の見本のようなものであり、会員の中でパレスティナ取材の経験の長い佐藤知明君からも「さすがに、気づかれていましたね。ワタシは唖然としました。」との即座に投稿があったように、イスラム国のみならず中東のアラブ圏中近東のイスラム圏のほとんどの国においてこのイスラエル国旗というのは敵国のシンボルのようなものなのである。



これはサッカー会場で敵の応援席に坐って味方のサッカーチームを応援している(そんなヤツはいないが)以上のバカな図であり、演壇の端を見ると内閣官房副長官で安倍の宣伝相を自認する世 耕弘成さん(安倍首相より彼がその場のイスラエル側の演出に気がつくべきだった)が安穏と坐っており、ふたりが居並ぶとさすがにバカの図×2となり滑稽が倍加する。



その国旗問題で間抜けぶりを示した政府は今度はイスラム国との交渉術の中に引き込まれているわけだが、私の旅の経験では(旅はその半分が”敵”との交渉に費やされると言っても過言ではない)かりに一つの品物を買う交渉に入った場合、イスラム圏やアラブ圏というのは独特の世界観を持っていることを見落とすと狐につままれる思いをすることになる。



彼らとの交渉をする上において彼らの世界観を知るにはアラジンの魔法のランプはひとつのヒントになるだろう。

ご承知のようにそのてのひら大の魔法のランプから何が出てくるかというと雲を突く巨人である。



日本の昔話において、かぐや姫は竹と等身大、桃太郎は桃と等身大で生まれて来るのであり、かりにイスラム圏やアラブ圏で物事の交渉をする場合、こちらは等身大、ところが相手も等身大と思っていたところが突然空想の巨人になってしまうことがしばしばである。





つまりイスラム国が人質解放に200億円なにがしを要求してきたアレである。



あの200億に日本人はリアリティを感じていないが、この巨人はジューイッシュや華僑と同じくらい交渉術に長けていることを忘れてはならない。



200億は何も安倍首相のイスラム国対策金に合わせた非現実的な要求ではなく、彼らなりの本気(アラジンの魔法)であり詐術だと考えるべきである。

大男総身に知恵が回りかね、ではなくこの巨人結構知恵者なのである。



日本人はそこのところの彼我の感覚の異相を見誤っている。



その金額に当然リアリティを感じないとともに身代金を払うことはアメリカをはじめ有志連合国の国是にも反するわけだから日本は応じない。



イスラム国はそのことは折り込み済みだろう。



だから彼らはとつぜんあっけないほどすみやかにその200億という要求を下げて人質交換に場面を転換したわけだ。



だが彼らイスラム国は依然200億は彼らのリアリティでありそれを温存していることには変わりはない。



彼らがいったん提示した金の問題を交渉の俎上から下ろしたのはつまり国際通念上、公言した金は下りないからである。



今日その熾烈な経験によって金は隠密裏に行き来するものであることを世界の誰よりも心得ているのは彼らイスラム国なのである。



だから彼らはいったん金銭要求を引き下げたのだ。

後藤さんのメッセージの中で「あなたたちはお金を払う必要はない」という文言をわざわざ盛り込んだのは日本の苦悩に配慮して日本が金を払いやすい土壌を耕したということである。



つまり彼らの目算はおそらく人質交換+金だと睨む。



その金銭交渉の際、彼が最初に出して即座にひっこめた魔法のランプの巨人、200億は最初のジャブとして効いて来る。



ポーカーゲームのようにこのブラフ(こけおどし)はなぜかいつの間にか金銭交渉の際の基準になっており、ヨルダンに派遣された中山外相副大臣は「それでは2億円ではどうか」(本当はこの2億でも大きいのだが)とは言い出せないような空気が醸成されてしまっているのである。



鬼の征伐のために派遣された草食系の桃太郎、中山外相副大臣が果たしてこの肉食の巨人の詐術に立ち向かうことが出来るか、いささか心配がないでもない。

     

 

2015/01/26(Mon)

生け贄(いけにえ)の論理。

これは長期にわたって特に第三世界における旅をすればよくわかることだが、海外における日本人にはカースト制度が存在すると私は思っている。

この海外における“日本人カースト”の頂点に立つのは大使館や領事館に勤める外交官である。
次のカーストは企業などに勤める海外駐在員。
次のカーストは旅行業者によって斡旋された日本市民としての身元の明らかな旅行者。
そして最下位のカーストは日本人でありながらどこの馬の骨とも知れない単独旅行者ということになる。

この単独旅行者はフリーのジャーナリストも入る。
海外においてこのフリーのジャーナリスト(後藤さんのように小さな通信社に属する者も含めて)のアイデンティティというものは大変不確定で、名の知れたメディアからの記者証でもないかぎり、外交官や企業の海外駐在員など上位カースト者からほぼ得体の知れない日本人と見なされる。

そういう意味では今回イスラム国の人質となった後藤健二さんと湯川遙菜さんは海外日本人カースト制度の最下位に属すると言えるだろう。








日本政府が早くからこの二人がイスラム国によって拘束されていることを知りながら、放置していたのは彼らが海外日本人カースト制度の最下位に属する“得体の知れない日本人”だからと言ってもよいだろう。

かりにこれが大手の企業の一社員となるとそれは日本人アイデンティティに抵触することになり、日本政府は慌てて動くはずだ。
かつて三井物産の若王子信行さんがフィリピン新人民軍に誘拐拘束されたおり、官民一体となって当時のドルレートに換算して22億円が支払われた救出劇、あるいはアルジェリアにおける日揮社員拘束(のち殺害)時の日本政府の敏速な動き記憶に新しい。


だが今回の場合、湯川遙菜さんに関しては一年前からイスラム国に拘束されていることがわかっており、後藤健二さんに関してはイスラム国は昨年の11月から人質と引き代えの身代金を要求していたが政府はこれを完全に放置。

ところが今回安倍首相の中東訪問での演説直後にイスラム国による二人の人質の殺害予告がYouTubeで全世界に発信されるや、イスラエル国旗の前で安倍首相はとつぜん“強い怒りを覚え”日本人の命の重みに言及しはじめる。

「このように人命を盾にとって脅迫することは許しがたいテロ行為であり、強い憤りを覚えます。ふたりの日本人に危害を加えないよう、そしてただちに解放するよう強く要求します。政府全体として人命尊重の観点から対応に万全を期すよう指示したところです。」

いままでの二人の日本人の命の放置は一体何だったかと疑わせるほど「許しがたい」「強い憤りを覚える」「解放するよう強く要求する」「人命尊重」「万全を期す」と最大の形容句を使って日本人の人命に関与している姿勢を示しているわけだ。

こういった人命の二重基準はとりもなおさず、今回の二人が海外日本人カースト制度の最下位に属する者だからである。



そしてさらに今回問題にすべきは、こういった人命の二重基準を越えた官邸(安倍首相)冷酷性である。

安倍首相はこの殺害映像が出た直後、アメリカの大統領オバマとキャメロンと電話会談をし、彼らからの哀悼のメッセージを受けると同時にあわせてテロとの闘いの確認を仕合っている。
とうぜんこの電話の実際の様子を私たちは知ることは出来ないが、そこには互いにある種の屈折した高揚感があったのではないかと想像する。
つまりアメリカもイギリスもイスラム国によって同様の方法によって国民を殺害されている。
そして今まさにこの東洋の国日本もまた“テロとの戦いの元”(実際には戦っていないのだが)同様の人的損失を被った。
それを報告し、また報告される、この電話のやりとり、あるいは“伝令”には同情を越えた“共感”の感情交換がなされたはずである。
つまりこの一瞬、彼ら(アメリカ・イギリス)同様“犠牲者”を出した日本は「有志連合の一員」として認証されたということである。

つまり、であるとするなら、湯川遙菜さんは海外日本人カースト制度の最下位に属する者というより、その連合に加入するために有志連合の先駆者(胴元)の前に差し出された“生け贄(いけにえ)”あるいは“貢ぎ物(みつぎもの)”ということになる。

それも自らの手を汚すことなく、他の人間(イスラム国)の手を汚すことよって差し出された生け贄である。

つまり彼(湯川遙菜)の死は犬死にではなく誰よりも日本政府に貢献したのだ。
どこの馬の骨とも知れぬ最下位カースト日本人は生け贄となったことによって国際政治力学の中においてその身体は一定の価値を生み出したのである。

その価値がいかほどのものか。
つまりこの“有志連合加入金”はひょっとするとイスラム国が彼の身体につけた200億をはるかに越えるはずである。







昭和45年。
あの赤軍派のハイジャック事件の時、福田赳夫は「人間の命は地球より重い」というを吐き、犯人の要求を飲み、人質を解放した。

人間存在の原理からするなら福田の言葉はすいぶんのどかな迷言だったと個人的には思う。

だが、あのなつかしい昭和の当時、日本人を西洋人に生け贄として差し出す平成時代の冷血と卑屈とは一線を画し、日本国首長たる者、日本国民を愛する、人の血の通った時代があったということでもある。










     

 

2015/01/21(Wed)

安倍首相の拙速の責任を問う。(CatWalkより転載)


これまでイスラム国によって処刑されたのはアメリカ人、イギリス人であり、彼らは処刑時に赤色の服を着せられている。


この服の色に関して、中東情勢に詳しい者の口からもそれが何を意味するものかというコメントが寄せられないのが不思議だが、私個人はこれは敵対するキリスト教を意味するのではないかと思っている。


一般的にはこの赤い服は人質に、キューバのグアンタナモ米軍基地に収容されたアフガニスタンやイラクの過激派と同じオレンジ色の囚人服を着せたとされるが、私はもうひとつの意味があるのではないかと思っている。


今回処刑執行者のメッセージには「十字軍」という言葉が出てくるが、かつての私は旅の中でエルサレムクロスのネックレスを見ている。


十字軍のシンボルとして使用されたそのエルサレムクロスは赤が基調となる。


エルサレムクロス



また十字軍の十字とはキリスト教の十字でもあり、また赤十字の十字でもある。


イスラム諸国ではこのもともとキリスト教の布教活動の一環として機能した赤十字社の赤い十字マークが十字軍を連想させるとして、白地に赤色の新月を識別マークとしており、すなわち彼らにとって「赤」とはキリスト教の認識色なのである。



イスラム国における赤十字の認識旗「赤新月」。



そのキリスト教、あるいは十字軍の認識色をこのたびアメリカ人、イギリス人に続き、彼(処刑者)が言うところの彼らの国から8000キロ離れた東洋の一国、日本の国民が着せられたということである。



歴史的に中東を搾取して来た西欧十字軍諸国に加え、中東に対する搾取とはいかなる関係もない歴史を持った日本と日本人が十字軍の仲間と見なされたのである。


これは深刻なことと言わざるをえない。


この深刻な事態を招いたのは日本国首相安倍晋三の拙速だと言える。


17日に韓国から帰国後、その日に行われた安倍首相のカイロでの演説を聴いた時、危ういものを感じていた。


それは即今回のような事態を想定したということではなく、日本が一線を越え、このグズグズの泥沼状態の中東情勢に足を踏み入れ、果たして大丈夫だろうか、と思ったのである。


かねてより平和憲法を持つ日本はなんらかの国際紛争の解決に関与するのに格好の国ではないかと言われていたが、それは平和ボケしたこの国固有の青臭い願望であり、現実というものはそんなに生易しいものではない。


だが今回安倍首相は”火中に栗を拾う”そのままに、イスラエル、パレスティナ問題のフィクサー役を気取るとともに、カイロで大々的に中東情勢に関与する演説をぶった。


その演説の様子を見て、たかだか国内選挙に再び勝った自信過剰と、もともと生まれ育ちからこの首相に色濃く備わる全能感とが妙に一体化した高揚感を感じた。


十字軍の仲間と見なされたこの日本で今後幾年にもわたって何が起きるか予断をゆるさない年月を日本国民は生きなければならない。


安倍首相の拙速の責任を問う。



12月1日にアップしたトーク「下手でもいい、自分らしい、その人の生き方の見える言葉や字(書)を書く人が早く出て来ないと日本は本当に危ない」が現実になったと言える。





なお、日本で報道されたカイロの安倍首相のスピーチと外務省が公式に訳した外国向けスピーチに大きな隔たりがあることにも着目したい。


「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。」

http://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me1/eg/page24_000392.html

"We are going to provide assistance for refugees and displaced persons from Iraq and Syria.

We are also going to support Turkey and Lebanon. All that, we shall do to help curb the threat ISIL poses. I will pledge assistance of a total of about 200 million U.S. dollars for those countries contending with ISIL, to help build their human capacities, infrastructure, and so on."

http://www.mofa.go.jp/me_a/me1/eg/page24e_000067.html



日本語のスピーチの方でも相当踏み込んでいるという印象はあるが、英語の方は、人道的支援、難民支援という要素と敢えて切り離し、直訳すれば


「ISILと戦う国々に、人的能力・インフラ支援のために2億ドルを供与する」


となっていれば、直接的にISと対峙するイラクやレバノンなどの国々にISと戦う兵力や施設を整えるためのお金を提供すると読むのが当然である。




     

 

2015/01/20(Tue)

それはアカンやろう!三連発。(CatWalkより転載)

朝から家を出て昼に三菱一号館美術館の高橋(館長)君と丸の内でランチ。


彼はかねてより私の展覧会をやりたいと言っていて、そのすり合わせもあるが、こういった美術館のローテーションは長丁場で、彼の心づもりでは2020年をめどにしているらしい。


後、久しぶりに丸の内方面に来たので、銀座に向かおうとすると、香港からやって来たというコスプレイヤーが東京駅の前で踊りながら記念撮影をしている。


150120-1.jpg


船長的には「これはアカンやろう」ではない(スマホで)。


香港コスプレイヤーと少し香港デモの話をし、その先を歩いていると珍しく街頭の二人の靴磨きに出くわす。


150120-2.jpg(スマホ)


昨今、街頭の靴磨きに出会うことは希で、60代とおぼしき靴磨きの方の磨き台につい乗せたのだが、ここが運命の分かれ目。


ここで久しぶりの怒り心頭、街頭の真ん中で大説教をたれるはめに。


靴を台に乗せた。


ところが彼はいきなり指に巻いた布でワックスを付けはじめたではないか。


150120-3.jpg

























いきなりワックス!


今日の「それはアカンやろう」のはじまりである。


「おいコラおっさん、何やってるんや。ちょっと待たんかい!」


だがこのおっさん強引な野郎で手を止めようとしない。


船長は靴台から靴を下ろす。


「お前、靴磨き何年やっとるんや」


「50年やってるからね。安心してな」


ただの素人が何か言ってると言う感じである。


「バカ野郎!手順が無茶苦茶やないか。


まずブラシやろ。


まず手ブラシで靴に付いた汚れとか土埃を綺麗に落とす。


これ基本やろうが。


それからな、お前いきなり布でワックスつけよったが、それも大違いということすらわからんのか。


指でワックスつけても小さなへこみとか皺にはワックスは入らんやろ。


まずそこの柄付きブラシでワックスを丁寧にまんべんなくへこんだ部分や襞の部分にも入るように塗り込む、それからが布や。


お前客なめてんのか!」


とまあ、相手が路上の靴磨きだから乱膜調全開になったのではなく、こいつ昨今の客の無知をいいことにいきなり手抜きに出たからである。


前に書いたエッセイの中で代々木のたこ焼き屋のたこ焼きにたこが入っていないのを見て野郎言葉が出たがあのシチュエーションと同じである。


ここで靴磨きの1から10までをたたき込むように説教したわけだが、最初は素人の駄弁と軽んじていたオヤジもしまいには、勉強になりましたと言い、金はいらないと言い始めたが700円のところ1000円渡して「自分の職業に誇りを持ちなさい。靴磨きも文化なんや。靴磨きがごまかしやるような世の中は俺も本当に哀しいんや」とその場をあとにしたのだが、この日の「それはアカンやろ」はそれに止まらなかった。




のちに銀座まで歩き、久しぶりに震災の年に「死ぬな生きろ」の個展をやった永井画廊に立ち寄った。


ダウン症の書道家金澤翔子の展覧会をやっているからである。


私は何年か前に彼女の書を見たとき、その直球勝負に感銘を受けたのだが、なんと永井画廊のそれは全部ダメだった。


書に慣れ字に慣れている。


一点も心を動かされるものがない。


というより彼女には何かが起きているのではないかと思わざるを得ない。


画廊主の永井さんに聞くと彼女はヘンに有名になって忙しいらしい。


ニューヨーク公演も控えているという。


私はふと山下清のことを思い出す。


山下の放浪の時のちぎり絵は素晴らしい。


だが有名になってパリなんかに行っていっぱしの画家きどりになった時から絵が形骸化しはじめる。


帰りしなに永井さんから一点の絵葉書を見せられる。


「これどう思います。写真の世界ではこんなこと起きるのでしょうか」


見せられたのは彼女が大筆を前に置いて正座して手を合わせている写真なのだが、彼女の周りには後光のようなフレアーがある。


そしてその下に「心」という書。


「お母さんがマネージメントをしているのですが、これは彼女を写真に撮ったら後光が写っていたというんです。そういうことって起きるのでしょうか」


私は写真を見て即座に「起きません」と言った。


というより「それはアカンやろ」と“哀しんや“が同居してしまったのである。


150120-4.jpg


画廊にあった絵葉書にはご丁寧にもこの写真の下に「心」の書。




彼女の膝元の前の床は幾分暗く、後ろの床が明るいところから、彼女の体の後ろにスッポトライトが仕込まれ、その壁の光の跳ね返りが床を明るくしている可柏ォが示唆される。


世間はダウン症というような身体的マイナスを逆に天才という言葉を結びつけ、あまり神格化するのはまずいんじゃないかと、ちょっとそんな思いも持っていたものだから、そういった世間オーラの波に応えるかのようなこの”後光写真”。


それはいくら何でもアカンやろうと、船長は思うのである。


そしてせっかくいい書を書く子が世間の期待にお上手に応えてあの山下清のように書の形骸をなぞるようなことはしてほしくない、と切に思いながら帰宅したのだが、ここでも今日第三の「それがアカンやろ」が待っていた。




帰宅してニュースではじめて知ったのだがイスラム国による日本人処刑前図のことである。


つい昨日「世界各地で散発しているイスラム関連のテロはおそらく今後さらに思わぬ場面展開を見せる可能性があり、また日本も人ごとではないという局面に立たされないとは限らないという意味において、これからは平成日本人の“見ざる言わざる聞かざる”ではこの受難世界を乗り切ることは出来ないだろう」とトークで言った舌の根も乾かぬ内のこの緊急事態。


ただし「それはアカンやろ」とはイスラム国に発した言葉ではなく。安倍首相に発した言葉である。


ニュースではちょうど記者会見をやっていて、この絵を見て私はゾッとした。


会見場壇上にイスラエルの国旗と日本国旗が並立掲揚されているではないか。


2国間の国旗の「並立掲揚」は「交叉掲揚」と同じ意味があり、お互いが手を組んだと見られてもおかしくはない図なのである。


150120-5.jpg


かりに安倍首相がイスラエルの訪問時にこの緊急事態が起きたとしても、彼は中立を浮キ意味で政治色のつかないホテルなどの会場で無色の会見を開くべきだったのである。


それがこともあろうにアメリカの一卵性双生児であるイスラエルの国旗と日本の国旗の並立掲揚のもとに会見を開くというこの危機管理の甘さ。


驚きを禁じ得ない。


今回の事件の性格から言って何もイスラエルの国旗を並立掲揚する必要はなかった、というよりイスラム国の神経を逆なでする恐ろしい図である。


そして日本国民ははなはだ迷惑である。


この国旗並立掲揚によって日本国ははっきりとイスラム国の敵であると宣言しているようなものであり(単純な彼らはそう受け取るはずだ)今後この日本国内においてもパリで起こったようなことも起こらないとも限らないわけだ。


余談だが、イスラム国のユーチューブ画像はクロマキー合成であることは首下の影によって疑いのない事実だろう。


150120-6.jpg




201502のログ 201412のログ TALK一覧ヘ