Shinya talk

     

 

2013/07/25(Thu)

失望以上の小さな希望の種(Cat Walk22日掲載分より)

●●の結果「”ねじれ国会”が解消されました」。



民放各局のみならず、NHKニュースまでが自公の民衆洗脳のための”政策造語”をまるで広辞苑に存在する単語でもあるかのように異口同音で使うこの無神経さを見ると、自公の圧勝は”言葉”を扱うマスメディアのリテラシーの低下がその一因にあると言える。



”解消”されたのではなく、参議院が機能しなくなったのであり、機能しなくなったからには必要がないわけだから1院制にすれがよいという話だ。





                 ◉





今回の結果を見て、ふと”富士オヤジ”のことを思い出した。



今月いっぱいCat Walkで期間限定配信している「世界遺産、その前に」というレポートの中に出て来る(おそらく団塊の世代あたりの)オヤジ連である。



このレポートはなかなか良く出来ていて、富士山を撮るアマチュアカメラマンの定宿のひとつ「富士の家」の居室で卓を囲む5人の”富士オヤジ”をレポート全体の狂言回しに使っている。





私は富士の撮影のおり、各地の富士撮影ポイントでこういった”富士オヤジ”の集団に出会っているが、まさにそれはニッポンの保守集団、きわめてスタンダードなニッポン人のかたまりだった。





この富士オヤジ、天下の富士を”ありがたい”モチーフとすること自体が長いものには巻かれろ的日本人気質を色濃く、レポートの中で私の「俗界富士」の意味がわからないように、ちょっと話しても適度に感覚が鈍く、そのくせ妙に自信を持って一家言ありそうなことを言う、いわゆる土鍋の中でこびりついた食えない残滓(残りかす)のような初老や老人が大変多い。





だが富士撮影ポイントに乗り込んで(5名のチーム)巨大な脚立と三脚を何本も立て、大型カメラを4台並べるとその迫力に押され「おい!そこのオヤジ!邪魔だ!どけ!」と脚立の上から見下ろして威嚇すると、三脚を担いで「すんません」と(私に場を占領する権利がないにも関わらず)そそくさと場を空け渡す、臆病な連中でもある。



地方に行けばよくわかるが、つまりこういった”富士オヤジ”こそがニッポン人のマジョリティを形成しており、そいった”人間および人生の残滓”が運悪くもニッポンの政治の生命線を握っている。



参議院選挙前に今回の選挙の投票率は低く、若者より年寄りの有権者が多いと報じられたとき、私はあれらの富士オヤジ、つまりディスイズ日本人が脳裏を過り、自公の勝ちは決まったものと思った。







                 ◉









しかし全体を見れば嘆かわしい限りだが、部分的には明るい材料もある。



山本太郎君が65万票もの票を獲得したことだ。

ご承知のように選挙に出るには比例代表で600万、小選挙区では300万の供託金が必要であり、日本では党の推薦がない限り、金がないと選挙には出馬できない仕組みになっている。



そのことが表しているように、選挙に出ること自体ハードルが目の前を阻んでいるわけだが、かりに供託金を用意して出馬出来たとしても組織も支持母体もないフリーの立場で”勝つ”ことはまず難しい。



そのジンクスを山本は破ったわけだ。

彼は電力会社をはじめとする大企業と抜き差しならぬ関係にあるマスコミも敵に回していた。

テレビ朝日以外のある民放は山本の落選を視野に置いて、彼を面白可笑しく”いじる”画像を事前用意していたくらいである。

ネットではどこをソースとするのかわからない(広告代理店の可能性もあるだろう)中傷デマが氾濫した。



3.11以前、全雑誌の中で東電の広告出稿量第二位で、なぜかいまだに原発礼賛に余念がない「週刊新潮」などは、選挙前に熱心に山本バッシングの記事を書いている(これがなぜ公職選挙法違反にならないのはおかしい)。



そういったジンクスとこもごもの抵抗を破ったのは、組織でもなく支持母体でもなく、その多くは普通の青年たちだった。



投票日前に彼が行った渋谷での演説には膨大な数の若者が集まった(共同通信はこの映像を空から撮り、それが自民党の選挙演説に集まったことを臭わすような記事を配信している)。



私は原発反対のデモに関して各マスコミにコメントし、このデモは組織的な匂いのしない、自然発生的な気持ちのよいデモだということを何度か言ったが、このたびの山本の当選は、あの原発デモに似て、いわゆる組織でも党でも支持母体がどうのこうのでもない、普通の人々が自分の意思で投票し、それが良い結果につながったという意味で戦後の数ある選挙の中でも特筆すべきことではないかと思う。



こういった愚直な青年の行動が、今後の日本の政治シーンにどのような一石を投じ、それがどのような広がりを見せるのか、見守るとともに応援したいと思う。



注記(あくまで今回のトークはCat Walk船長としてのトークではなく、藤原個人の偽らざる心境であることをお断りしておく。)



     

 

2013/07/05(Fri)

”ねじれ”という呪文にご用心。

さて、参議院選挙の月になった。

参議院選挙というとかっては衆議院選挙の”おかず”的要素があってどうでもいい感がいつも漂っているわけだが、今回の参議院選挙は戦後かつてなく重要な選挙となる。



都議選の結果の流れがそのまま参議院選挙になだれ込めば自公圧勝が濃厚となるわけだが、参議院で主導権を握れば大手を振ってなんでもやれるわけであり、おそらく安倍および安倍政権の性格からするならアベノミクスを推し進めるために日銀総裁の強引な首のすげ替え(三権分立同様、政府から独立した法人であるにも関わらす)を見てもわかるように相当強引に政策を推し進めることは確かだろう。



とくに今回の参議院選挙にあたって自公が”ねじれ””ねじれ国会”という言葉を呪文のごとく多用するのが非常に危うい。



彼らにとっては多数派になった衆議院での採決結果が参議院の審議にかけられ、そこで否決されることを”ねじれ”という言葉で表現しているわけであり、要するにひらったく言えば”自分の思い通りにならない”ことを”ねじれ”と言っているに過ぎない。



しかしあの安倍首相の妙に口のうまい詐術的と言える舌の上で”ねじれ””ねじれ”という言葉が呪文のごとく転がされると、あら不思議、”ねじれ”というものが国家の発展を阻止する悪弊のように思えて来るわけだ。



南無妙法蓮華経と100万遍唱えれば救われる、というのは日本人は言葉の呪文が身体化する民族であるということを雄弁に物語っているわけだが、その大元の呪文が怪しければ怪しい身体になり、脳内にこのような画像が定着するわけである。

nejire.jpg

とうぜん日本に限らず民主主義国家の多くが衆議院、参議院に類するの二院制を採用しているのは、同じ問題に対して2度、違う角度から、慎重に審議するためのものであるということは中高で普通に勉強をしてきた人なら百も承知していることだが、昨今の日本国民は放射能で頭がやられているせいか(つまり解決不能な問題を抱え、何も考えたくないという痛感停止状況が蔓延しているということ)呪文(言葉の魔術)をかけられるとフラフラとあっちに行ってしまうという困ったことになっている。



つまり安倍首相の言う”ねじれ”とは国家運営の大原則である二院制を否定する、つまり戦後はじめて参議院の存在というものを無用と唱える大胆な呪文なのである。

それならいっそのこと参議院を廃止し、一院制にして多数派の政策が何でもホイホイ通るようにすれば良いわけで”ねじれ”を悪弊としながら参議院を温存するというのも矛盾しているわけだ。





そういう意味では今回の参議院選挙は戦後はじめて国会が一院制となり、独裁が可能な、いわゆる北朝鮮を笑えない国家になるやも知れない危険を秘めているわけであり、思いの他重要な選挙だと考える。

     

 

2013/07/03(Wed)

根拠なき忘却の時代にこそ持続されるべき放射能養生訓。(Cat Walkより転載)


今年はクロアゲハ蝶を一頭も見ていない。

モンシロチョウは見ているがそれでも例年の3分の1程度だ。



3・11以降、植物の変異や蝉の変異(蝉の場合はどうやら気候に影響された公算が多いという”暫定的”な結論を持ったが)に関しては、持続してそれなりに注意を払って来た。



蝶に関しては、福島を訪れた折、すでに3・11の年で今年は蝶がめっきり減ったという農家の主婦の言葉を取り上げた記憶があるが、その後、房総の家周辺でもそれとなく注意を払っていたのだが、確かに蝶は減っており、去年あたりは例年の3分の1程度だった。



ところが今年はまだ一頭もクロアゲハを見ない。

クロアゲハというのは夏のみの蝶ではない。

早い蝶はすでに4月に飛びはじめ、9月〜10月あたりまでその姿を見る。

3・11前は4〜5月以降にはほとんど毎日クロアゲハを見た。

多い時にはひとつの視界に10数頭のクロアゲハが飛んでいるという光景も珍しくなかった。

そういう意味ではすでに7月になるというのに一頭も見ないというのはあきらかに異常である。



この状態を即、放射能の影響と断ずることはできないだろう。

去年だったか一昨年だったかこのトークので蝉が鳴かないという異変を取り上げ、全国から同様の情報が寄せられた。

しかし、その後蝉は発生し、房総の山でもワンテンポ遅れて鳴きはじめた。

確かに数は減ったものの、どうやらそれは気候変動の結果ではないかという見方に落ち着いた。

したがって今回クロアゲハを見ないことも、何か別の要因がある可能性も視野に入れておく必要があるだろう。



しかし。かりに気候の変動、その他の要因があったとしても、4月から3ヶ月間一頭もクロアゲハを見ないというのは異常ではないか。

因みにモンシロチョウの他に私が見たのはアオスジアゲハであり、それも1頭のみだ。



これは私の家周辺のみのことなのか、日本全土に起きている現象なのか、今回も蝉の一件と同じように、全国の会員にクロアゲハの情報を募りたい。













アベノミクスという空歌で浮かれている世の中では放射能問題はすでに終わっているかのような空気が漂っているが、放射能問題は終わったわけではない。



私の住む渋谷の一角、そして私の部屋は3・11以降、線量計は0、12マイクロシーベルト/hを指針したまま今でもまったく変わらない。



環境における放射能の積算量も一向に変わったわけではなく、山から川へ、川から海へ、環境から動植物の体内へと移染しているに過ぎない。

というよりむしろ、運動係数(カロリー摂取+カロリー消費)の大きい動物や、とくに食物連鎖の頂点に位置するヒトの体内には他に増して年々蓄積し、安心(忘却)と危機(放射能物質の体内蓄積)とが比例しれしまうという皮肉な事が起こる。



私も定期的に福島に通い、現状を把握しているように、好むと好まざるとに関わらず私たち日本人はこの放射能問題から逃れることは出来ないのであり、急くことなく淡々と現状を把握し、対処できることはするという行動を持ち続けることが肝要である。



「ゆっくり歩く者は遠くまで行ける」



という諺のような生活態度を求められているということだろう。















先日福島を訪れた時、南相馬の若い漁師の話を聞いて、いささか驚くとともに、さもありなんと、昨今なしくずしになりつつある放射能問題の片鱗を見る思いがした。



M君はまだ20代の若い漁師だが、震災の折にちょうど船に乗っていて、父親とともの必死で沖に向かい、第三波までの波を乗り越え、洋上で3日間を過ごし、帰港した。

陸地を見たとき言葉を失った。

すべてが消え失せていた。

当然、着岸する港もなく、水深計を見ながらなんとか陸につけた。

その後の原発が爆発し、海は汚染され、魚からも高濃度の放射能が検出され、船は温存されたものの、漁は事実上禁止された。



今でも漁があるのは月に1〜2回程度。

それも沖に出て刺し網を入れ、各種の魚を獲り、船上で検体を確保した上で他の魚は全部廃棄する(彼は”投げる”という言い方をした)。

つまり汚染された海洋に面した漁師は魚を”獲る”漁師ではなく”捨てる(投げる)”漁師なのだ。



「そりゃ、すごい獲れますよ、ぜんぜん漁やってないですから」



ひと網で3・11前の5〜10倍も獲れるという。



「それをごっそり海に投げる。

ほとんど死んでます。海の上をゴミの帯みたいになって、ずっと流れて行く」



それを見ていると自分が一体何をやっているのだろうとわからなくなるという。



この検体確保の魚は放射能検査に回されるわけだが、漁師は検体の名目で値のいい魚は余分に確保し、地元の消費に回している。

といっても売るわけではなく、知り合いに配るのだ。

とくに南相馬沖のヒラメは全国でもっとも良い値のつくブランド品であり、美味しい。



ある日、南相馬の山間の村で一人の中年の主婦が軽ワゴンに積んだクーラーから1尾の型のよいヒラメを取り出し、横付けした家の前で「○○さーん」と名を呼んでいるのに出くわした。

このようにして汚染ヒラメは地元で消費されているわけだ。



「もう、わたしたちは年じゃからね、何十年生きられるわけでもなし、気にせんことにしとる」



当然汚染魚はタダであれ流通させることは規則違反だが、それは自己責任の覚悟の上での消費であり、お役所も見てみぬふりをしている。



しかしこの放射能がらみの不穏な話というのは、他の分野で除染ビジネスなどの違法が跋扈していることを見てもわかるように、海の上においても同様である。



近年の日本における魚の漁獲量の激減は海の汚染によるものと言われて来たが(かりにその要素があったとしても)人間が魚を獲りすぎた結果であることが、はからずも放射能問題で証明されることとなった。



南相馬の海ではわずか2年半漁を辞めただけで魚の量が5〜10倍増えたわけである。

人が海から消えて、海は宝の山となった。

いや正確に言えば人が消えたわけではない。

震災、原発の混乱に乗じて様々な者が悪知恵を駆使しているように、この海の異常現象に目をつける姑息な人間が現れるのは時間の問題だった。



そこに地元の漁船がいないことを幸いに宮城など他県の漁師がかなりおおっぴらに”盗漁”をしているのである。

あの高価な相馬ヒラメをばかばか獲って、地元で水揚げし、流通に乗せている。



この手口はよくあることで、房総においても羽田沖に大繁殖しているスズキ(海が汚いので臭う)を一網打尽に獲って来て、地元で水揚げして大もうけしている輩がいる。



この高級ヒラメは仙台などの東北の都市だけで消費されるとは限らない。

巡り巡って、東京人の口に入る公算も当然ある。















”忘れる”ということはこういうことなのだ。

つまり危険は忘却に比例しているということ。

そのことは相馬ヒラメが象徴的にもの語っている。



私は今でもコチ、カレイ、ヒラメ、ホウボウ、アイナメ、キスなどの底もの(遠海の深海に生息するキンキやキンメなどは別)、メバル、カサゴなどの根魚などは魚の店では注文しない。

スズキやイシモチなどの吃水域(河口)などに多い魚も敬遠する。

アユ、コイ、フナ、ヤマメ、イワナなどの川(湖)魚はなおさらのことである。



獲られたのに食べられない魚には申しわけないと思う。



しかし「ゆっくり歩く者は遠くまで行ける」諺を実践するには日々の自衛の持続こそが、10年後には大きな健康の差異をもたらす(ベラルーシの小児科医、スモルニコワ・バレンチナの言葉)ことはあきらかなことだ。



まあ私個人はいい加減遠くまで行っているので、これ以上遠くまで行く必要もないと思うが、私の命は私のみのものでもないわけだから「放射能養生訓」と言うべきものは持続して実践するとする。



     

 

2013/07/03(Wed)

根拠なき忘却の時代にこそ持続されるべき放射能養生訓。(Cat Walkより転載)



今年はクロアゲハ蝶を一頭も見ていない。

モンシロチョウは見ているがそれでも例年の3分の1程度だ。



3・11以降、植物の変異や蝉の変異(蝉の場合はどうやら気候に影響された公算が多いという”暫定的”な結論を持ったが)に関しては、持続してそれなりに注意を払って来た。



蝶に関しては、福島を訪れた折、すでに3・11の年で今年は蝶がめっきり減ったという農家の主婦の言葉を取り上げた記憶があるが、その後、房総の家周辺でもそれとなく注意を払っていたのだが、確かに蝶は減っており、去年あたりは例年の3分の1程度だった。



ところが今年はまだ一頭もクロアゲハを見ない。

クロアゲハというのは夏のみの蝶ではない。

早い蝶はすでに4月に飛びはじめ、9月〜10月あたりまでその姿を見る。

3・11前は4〜5月以降にはほとんど毎日クロアゲハを見た。

多い時にはひとつの視界に10数頭のクロアゲハが飛んでいるという光景も珍しくなかった。

そういう意味ではすでに7月になるというのに一頭も見ないというのはあきらかに異常である。



この状態を即、放射能の影響と断ずることはできないだろう。

去年だったか一昨年だったかこのトークので蝉が鳴かないという異変を取り上げ、全国から同様の情報が寄せられた。

しかし、その後蝉は発生し、房総の山でもワンテンポ遅れて鳴きはじめた。

確かに数は減ったものの、どうやらそれは気候変動の結果ではないかという見方に落ち着いた。

したがって今回クロアゲハを見ないことも、何か別の要因がある可能性も視野に入れておく必要があるだろう。



しかし。かりに気候の変動、その他の要因があったとしても、4月から3ヶ月間一頭もクロアゲハを見ないというのは異常ではないか。

因みにモンシロチョウの他に私が見たのはアオスジアゲハであり、それも1頭のみだ。



これは私の家周辺のみのことなのか、日本全土に起きている現象なのか、今回も蝉の一件と同じように、全国の会員にクロアゲハの情報を募りたい。













アベノミクスという空歌で浮かれている世の中では放射能問題はすでに終わっているかのような空気が漂っているが、放射能問題は終わったわけではない。



私の住む渋谷の一角、そして私の部屋は3・11以降、線量計は0、12マイクロシーベルト/hを指針したまま今でもまったく変わらない。



環境における放射能の積算量も一向に変わったわけではなく、山から川へ、川から海へ、環境から動植物の体内へと移染しているに過ぎない。

というよりむしろ、運動係数(カロリー摂取+カロリー消費)の大きい動物や、とくに食物連鎖の頂点に位置するヒトの体内には他に増して年々蓄積し、安心(忘却)と危機(放射能物質の体内蓄積)とが比例しれしまうという皮肉な事が起こる。



私も定期的に福島に通い、現状を把握しているように、好むと好まざるとに関わらず私たち日本人はこの放射能問題から逃れることは出来ないのであり、急くことなく淡々と現状を把握し、対処できることはするという行動を持ち続けることが肝要である。



「ゆっくり歩く者は遠くまで行ける」



という諺のような生活態度を求められているということだろう。















先日福島を訪れた時、南相馬の若い漁師の話を聞いて、いささか驚くとともに、さもありなんと、昨今なしくずしになりつつある放射能問題の片鱗を見る思いがした。



M君はまだ20代の若い漁師だが、震災の折にちょうど船に乗っていて、父親とともの必死で沖に向かい、第三波までの波を乗り越え、洋上で3日間を過ごし、帰港した。

陸地を見たとき言葉を失った。

すべてが消え失せていた。

当然、着岸する港もなく、水深計を見ながらなんとか陸につけた。

その後の原発が爆発し、海は汚染され、魚からも高濃度の放射能が検出され、船は温存されたものの、漁は事実上禁止された。



今でも漁があるのは月に1〜2回程度。

それも沖に出て刺し網を入れ、各種の魚を獲り、船上で検体を確保した上で他の魚は全部廃棄する(彼は”投げる”という言い方をした)。

つまり汚染された海洋に面した漁師は魚を”獲る”漁師ではなく”捨てる(投げる)”漁師なのだ。



「そりゃ、すごい獲れますよ、ぜんぜん漁やってないですから」



ひと網で3・11前の5〜10倍も獲れるという。



「それをごっそり海に投げる。

ほとんど死んでます。海の上をゴミの帯みたいになって、ずっと流れて行く」



それを見ていると自分が一体何をやっているのだろうとわからなくなるという。



この検体確保の魚は放射能検査に回されるわけだが、漁師は検体の名目で値のいい魚は余分に確保し、地元の消費に回している。

といっても売るわけではなく、知り合いに配るのだ。

とくに南相馬沖のヒラメは全国でもっとも良い値のつくブランド品であり、美味しい。



ある日、南相馬の山間の村で一人の中年の主婦が軽ワゴンに積んだクーラーから1尾の型のよいヒラメを取り出し、横付けした家の前で「○○さーん」と名を呼んでいるのに出くわした。

このようにして汚染ヒラメは地元で消費されているわけだ。



「もう、わたしたちは年じゃからね、何十年生きられるわけでもなし、気にせんことにしとる」



当然汚染魚はタダであれ流通させることは規則違反だが、それは自己責任の覚悟の上での消費であり、お役所も見てみぬふりをしている。



しかしこの放射能がらみの不穏な話というのは、他の分野で除染ビジネスなどの違法が跋扈していることを見てもわかるように、海の上においても同様である。



近年の日本における魚の漁獲量の激減は海の汚染によるものと言われて来たが(かりにその要素があったとしても)人間が魚を獲りすぎた結果であることが、はからずも放射能問題で証明されることとなった。



南相馬の海ではわずか2年半漁を辞めただけで魚の量が5〜10倍増えたわけである。

人が海から消えて、海は宝の山となった。

いや正確に言えば人が消えたわけではない。

震災、原発の混乱に乗じて様々な者が悪知恵を駆使しているように、この海の異常現象に目をつける姑息な人間が現れるのは時間の問題だった。



そこに地元の漁船がいないことを幸いに宮城など他県の漁師がかなりおおっぴらに”盗漁”をしているのである。

あの高価な相馬ヒラメをばかばか獲って、地元で水揚げし、流通に乗せている。



この手口はよくあることで、房総においても羽田沖に大繁殖しているスズキ(海が汚いので臭う)を一網打尽に獲って来て、地元で水揚げして大もうけしている輩がいる。



この高級ヒラメは仙台などの東北の都市だけで消費されるとは限らない。

巡り巡って、東京人の口に入る公算も当然ある。















”忘れる”ということはこういうことなのだ。

つまり危険は忘却に比例しているということ。

そのことは相馬ヒラメが象徴的にもの語っている。



私は今でもコチ、カレイ、ヒラメ、ホウボウ、アイナメ、キスなどの底もの(遠海の深海に生息するキンキやキンメなどは別)、メバル、カサゴなどの根魚などは魚の店では注文しない。

スズキやイシモチなどの吃水域(河口)などに多い魚も敬遠する。

アユ、コイ、フナ、ヤマメ、イワナなどの川(湖)魚はなおさらのことである。



獲られたのに食べられない魚には申しわけないと思う。



しかし「ゆっくり歩く者は遠くまで行ける」諺を実践するには日々の自衛の持続こそが、10年後には大きな健康の差異をもたらす(ベラルーシの小児科医、スモルニコワ・バレンチナの言葉)ことはあきらかなことだ。



まあ私個人はいい加減遠くまで行っているので、これ以上遠くまで行く(長生きをする)必要もないと思うが、私の命は私のみのものでもないわけだから「放射能養生訓」と言うべきものは持続して実践するとする。



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