Shinya talk

     

 

2013/05/28(Tue)

従軍慰安婦に関する覚え書き。(CATWALKより転載)

従軍慰安婦の問題が取りざたされているが、安部首相、橋下大阪市長、その他さまざまな人の言説が飛び交っているが、こういった人身に関する問題が思惑と風評によっていかようにも解釈されうる昨今のアノミー(無規範)な状況というのは非常に危ういと感じる。

解釈というものが頭の中のみにぐるぐると空虚に回り巡り、それがおのずと自己弁護と自己擁護(あるいは国家擁護)に向って行くのは、言説を振り回す人間に”体験”がすっぽり抜け落ちているからに他ならない。

安部首相は言うに及ばず、ましてや橋下大阪市長などは戦争のカケラ体験もなく、二次情報、三次情報などにのめり込んで自分の論理を構築しているわけであり、それはネットにおける風評と大差があるわけではない。

かろうじて戦争体験の端っこに引っかかっている私のような者にはこの空論の堂々巡りが虚しい。

それはたまたま私個人が自分の血肉にかかわることとして、日本が占領していたころの朝鮮半島にまつわるあの忌まわしい臭いを嗅いでしまっているからである。

その臭いについて少し話してみよう。



私の母の姉は早死にをしたが、不幸な嫁入りと言わざるをえなかった。

嫁いだ男、Mは占領時の朝鮮半島で手広く建設業を営み、敗戦後、引き上げ、私の門司港の旅館の横で飲食業を営み、終戦後は進駐軍の若い兵士のたまり場となっていた。

Mは私が子供のころ50代後半くらいだったが、今思い出してもよくしゃべる男だったにもかかわらず笑顔の印象が薄い。

というより自分の近しい親戚であるにもかかわらず子供心に”怖い”という感情のみがあった。

彼は朝鮮半島で建設業を営んでいたおりの話を周囲の者によくした。

現地で雇った人夫を棒で殴りつけながら働かせていたという話を自慢げに話すのである。

牛馬と同じという言い方を彼はよくした。

その大人たちの間で交わされる話をそばで聞いていて彼が現地の人を奴隷のように扱ってるという想像を私はしていたものだ。

そして実際彼は暴力をふるった。

自分の子供にも可愛がる子供とそうでない子供がいて、虫の居所がわるいと鉄の大火箸で力任せに殴った。

恐ろしかった。

むこう(朝鮮半島)できっとこのようなことをやっていたんだろうと思った。

そのように恐れを感じていたMのことに一層おそれを感じるようになったのは、ある日、父が母との談話の中で「Mはひどいことを言うもんじゃのう。いったい向こうで何しとったんじゃ」ということを小耳に挟んだからだ。

「籠屋にするぞい!!」

ある日、客とのいさかいがあった時、Mは激昂してそのような言葉を吐いたらしい。

たまたまその場にいた父はその意味がわからず、のちに問うたところ、籠屋とは手足を切って、同体だけにし、籠に入れて見せ物として売りさばくぞ、という意味らしいことがわかったという。

実際に半島でそのような残酷なことが行われたのか、あるいはそれは人を脅す時の最大級の脅し言葉なのかはわかならないが、そのような残酷な言葉が半島占領時下における日本人の口から出ていたことはMの言動から想像に難くない。

あるいは占領時において現地の人々の暗黙の反感を押さえ込むために行動や言葉がより過激になったということも考えられる。

Mはやくざの話もよくした。

Mはその類の話が佳境に入ると口角泡を飛ばし、得意げに恐ろしい話を平気でした。

植民地では荒稼ぎしょうと日本で食い逸れた半端者がこぞって渡朝し、徘徊しているという。

とうぜんやくざも徘徊していて、軍の手先になって強引な徴兵をやったという。

それは男性に限らなかった。

現地の人はなかなか働き口のない当時、仕事があるとウソをついて十代や二十代の女性を連れ出し、売春業者に売り渡すということは珍しいことではなかったという。

さらに私が子供心に震え上がったのは、ある朝鮮の家庭で夕餉の団らん時、とつぜんやくざが土足で上がり込んで行って、まえもって目星をつけておいた若い女性をさらって行ったという彼の話である。

ひとさらい、という言葉そのものは当時の日本でもあったが、実際にMの口からそのような話が飛び出すと、私も自分がひとさらいにさらわれるのではないかと、夜寝るときは気が気でなく、母親の布団の方ににじり寄ったものだ。

そういったひどいめにあった女性達が、従軍慰安婦として働かされたかどうかという点については私の記憶の中では彼の口からそういう話は出ていない。

いやというよりそもそも従軍慰安婦という言葉を当時の一般の人々が使っていたのかどうかは調べる必要があるだろう。

しかしここで銘記しておくべきことは、かりに日本人やくざらの手によって強制的に売春宿で働かされ、その女性たちの何人かが選ばれて従軍させられたとするなら、誰の手にかかろうと結果的にはそれは強制収容された従軍慰安婦と見なすべきということである。

それが国策としてやったことかどうかということに力点が置かれているが、かりにやくざが騙すなり、拉致するなりし、その女性達が巡り巡って従軍慰安婦として働かせられていたとするなら、それは軍(国家)が容認をしていたわけだから、国策かどうかというような論議をすること自体に意味がない。

というよりいずこの国に、買春行為を国策として明文化する馬鹿がいるかということである。

明文化しなかったからそれは国策ではなかった、という言い方があるとするならそれはメニューにない料理を提供するレストランでは、そのような料理は存在しないというに等しい。



血のつながりはないものの、かねがね親族にMのような者が居たというのは、私自身居心地が悪いというか、後ろめたさのようなものがあった。

そしてそういう残酷極まりない話を近しい親族から聞いたこと自体、自分の人生の汚点という風に感じてもいた。

しかしこういった体験なき空論ばかりが跋扈する平成の世の危うさに鑑み、その汚点はあきらかにしておくべきだろうと考える。

だからどうだ、と結論を急ぐわけではない。

ここにたまたま半島に近い港町という地の利を得た空疎な二次情報ではない、生々しい人間を介してのひとつの情報がかつて存在し、私はそれを私自身の耳で聞いたということだ。

Mの話の真偽のほどを含め、それをたたき台として私たちが何を考え、何を判断するかということだ。

     

 

2013/05/10(Thu)

十センチ未満の一大事。

夜遅く家に帰って来て、飲んでいることもあり、頭がどうも回らない。

ということで、今日経験したショートショートストーリーをちょっとしたため、寝ることとする。

今日は東京駅の方に用事があり、夕方の帰りに久しぶりにJRの山手線に乗った。

だが目的地の恵比寿駅に電車が着いたのだが、なぜかドアが開かない。
3〜40秒くらいだっただろうか。
ドアが開かずに30秒というのはえらく長く感じるものだ。
そのうちに恵比寿駅で降りる構えの人も含め、乗客は何事かとあたりをうかがいはじめる。
飛び込みでもあったのか?
そんな空気も流れたように感じる。
そうすると、やっと車内アナウンスがあった。


「停車位置を直しますので、お気をつけください」


なーんだオーバーランか。
ほっとした空気とともに日常がまた平凡なものに戻った退屈じみた空気も流れる。
だがアナウンスがあってもなかなか電車は動こうとしない。
どうしたのだ?
車内にイラついた空気が流れる。
また車内放送が流れた。


「停車位置を直しますので、お気をつけください」


まったく同じ文言。
早くしろ。
気持ちの中でみなそう独りごちている。
私もまたそのように独りごちた。


そしてまた同じ文言のアナウンスとともに、その直後やっと電車が動く気配。
おそらく1ドア分か2ドア分をオーバーランしたのだろう。


そう思って電車の動きに身をゆだねる。
ついに動く。
そして停まる。


えっ。
これだけ?


電車は確かに動いた。
たったの10センチ。
本当に10センチだ。
いや5センチくらいだったかも知れない。
つまり後ろ側におそろしく微動して止まる。
また失敗か。
ぐずぐずしてるな、早くしろ。
そう思っている刹那、
……ドアが開く。


あっけに取られる。
無表情のまま乗客がぞろぞろ下車して行く。
私も下車した。
ドアが閉まる。
何事もなかったように駅のチャイムが鳴り、電車は動きはじめる。
私だけが電車を見送っていた。
最後尾の若い車掌の無表情がちらちと見え、電車は遠ざかる。


これは決してあんたの責任じゃない。
あんたも被害者だよな。
あのバカ中年以降のバカマニュアルを作る管理職連の被害者。


……この日本という国家。
つまり35キロ分の10センチの誤差を失敗として軌道修正しつつ動いているこの極東の不思議な社会。

もしあの炎天下でケツを出して踊りまくるブラジル人がこの電車に乗っていたとするなら、おそらくそこで一体どのようなことが展開していたのか、それすらも分からないだろう。

もしその事情がわかれば胸に十字を切って電車を見送るかも知れない。

アナタご臨終です。

……ごきげんよう。

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