Shinya talk

     

 

2013/03/23(Sat)

明日からの夢つづれ展。

明日3月23日から「代々木ヴィレッジ」で開かれる「夢つづれ」展は私がこれまで開いた展覧会ではもっともコンパクトなものとなる。



前にも書いたようにコンテナを改造して作ったという非常に変わった小ギャラリーで、当初「代々木にコンテナを改造して作ったギャラリーで小品展をやらないか」との打診があった折、私はてっきり工事現場かなにかの雑然としたところに据え置かれているコンテナをギャラリーに転用しているものとばかり思っていた。



まあそういうワイルドなものもありかなと思っていたが、どうも興が乗らず、返事をしないまま2ヶ月が経った。

主催側としてはギャラリーの日程は押さえている関係上焦って、とにかく見に来てくれとの電話が何度かあり、重い腰を上げたわけだが、現場に言ってイメージが一変した。

私は知らなかったのだがこのコンテナギャラリーのある「代々木ヴィレッジ」というのは、昨今話題になっている、たとえば代官山の「蔦屋書店」のように環境デザインに力を入れたなかなかシャレた(シャレたというのは胡散臭さも含めた話だが)一角で、以前に会ったこともある音楽プロデューサーの小林武史さんがプロデュースしたとのことである。



さてこのヴィレッジの一角にあるコンテナギャラリーはコンテナは11メートル、幅4メートルほどの長方形でギャラリーとしては小さいがコンテナとしては大きい。

とうぜんこのスペースでは大きな写真は飾ることは出来ないから、写真のひとつのオーソドックスなサイズである8×10インチに統一し、34点くらいの展示となるわけだ。



今日の夕刻からその仕込みだが、今回は前回の「書行無常展」のように大がかりなものではないから、主催側にまかせ、私は立ち会うという程度のこととなる。



そうは言うものの、今回のの展示では特筆すべきことがある。

それはプリントのすべてが正統な銀塩プリントということだ。

銀塩プリントというのはつい20年前まで普通のメディアだった。

だがデジタル全盛時代となり、今では風前の灯火だ。



ご承知のように写真プリントのメディアには2つの方法がある。

いわゆる昨今の「インクジェットプリント」と昔からの「銀塩プリント」である。

しかし正統な銀塩プリントというのは10年ほど前から希少なものになりつつある。

つまり銀塩プリントとうたっても一般のラボではデジタルデータ化された画像素子を印画紙に照射する、いわゆるラムダ形式の銀塩プリントがほとんどなのである。

つまり銀塩プリントとうたっていてもそれは厳密に言えばアナログではなく、デジタルプリントなのである。



それでは正統な銀塩プリントとは何かと言うと、引き延ばし機によってカラーネガから手作業によって印画紙に焼き付ける方法である。

ただし、撮影されたフィルムがネガでなくポジ(スライド)の場合は、たとえばオリジナルが35ミリフイルムであればそれを6×7センチか4×5インチのインターネガに焼き付けてネガフイルムを作り、それを引き延ばし機にかけてプリントするという二重工程になる(この方法は値段が張るが今回の「夢つづれ」はその方法を取っている)。



またポジからのダイレクトという方法もあるがこの場合はダイナミックレンジ(諧調)が単調になるために私はこの方法を取ったことはない。



つまり正統な銀塩プリントというのはそういうことなのだが、実はこの正統な銀塩プリントというのはまさに風前の灯火なのである。

デジタル全盛時代にあって写真のラボの多くはデジタルに切り替え、ラムダプリントさえするところも希少になった。

ましてや正統な銀塩などやるところはないと言っていいが、実は東京(ということは日本に一件)に一件だけ生き残っているのである。



それは生き残っているというより、かつて銀塩全盛時代に活躍したプリントマンの最後の志と言ってよいだろう。

営業マン一人、プリントマン一人、現像助手2人という小人数で、現地に赴いてみると、赤坂のとあるビルの地下のボイラー室(家賃が安そうだ)を改造して食いつないでいる。

その中年のプリントマンはかつて二十年ほど前に銀座で個展をしたおりに私の写真を焼いてくれた人である。



私はここで残酷なことを言わねばならなかった。

すでに34点焼いているものを全部やり直してくれと言ったのだ。

この「夢つづれ」の写真は私の写真としては珍しくストロボを多用している。

その関係で明部と暗部の落差が大きく、普通にプリントをすると暗部が潰れてしまう。

主催側にポジを渡す時そのことには十分留意してほしいむねを伝えたのだが、仕上がりは満足するものではなかった。

それで現場に乗り込みやり直しの辛い決断をせざるを得なかった。



この辛いという言葉にはふたつ意味がある。

とうぜん二倍の労力をかけるということもあるが、それ以上に以下の理由がある。

今回のプリントはインターネガをとってそれをプリントするという方法だが、こういう正統な銀塩の感剤やフイルム(インターネガ)や現像液はもう生産しておらず、数量に限りがあるのだ。

感剤とフイルムと現像液のどれかひとつ欠品しても、正統な銀塩写真はできないということだ。



そしてこの最後の小さな生き残りラボではそれらの材料があと2年か3年分しかストックがないのである。

そういう貴重な材料をもういちど消費してくれというのが私の申し出でもあったわけだ。

辛い理由がおわかりだろう。

ひょっとしたら私のこの行為はこのラボの命を1ヶ月分くらい短くしたかも知れない。そういう意味では販売にあたっても数量は制限しなければならないということもある。



「材料がなくなったらラボは閉鎖しゃけりゃならないでしょ。あとはどうするんですか?」



との私の問いに、まだ正直なところ考えていいないということだった。

そういう意味では写真家としての私もまた正統な銀塩写真で個展をするというのがこれが最後となるはずだ。

正統な銀塩写真だからと言ってデジタルより良いとは限らない部分もある。

暗部再現はおそらくデジタルの方が数段に上だ。

だが色の乗りの立体感は銀塩の勝ちだろう。



そのようなわけで展示としては小さい写真展だが、そこには大きな意味も含まれる。

ひょっとすると正統な銀塩写真の個展を見るというのも来場者にとって最後かもしれない。

写真の世界にはこういった隠れたドラマがあるわけだ。



なお明日の16時以降は私は会場にいる。

以降の予定はまだ決まっていないので、決まり次第トークに反映したい。

     

 

2013/03/18(Mon)

あほらしいWBT、醜悪な日米地位協定、成果主義や規制緩和が日本にもたらした息苦しさ。すでにTPPの行く末は見えているような気がする。

むかし羽振りの良かったころのオヤジは「青龍倶楽部」という野球チームを持っていて、当時の南海ホークスの鶴岡監督とも親しかった。

その影響を受けて小学校のころにはわけもなくプロ野球放送に夢中になったものだ。

だが大人になってから野球にはまったく興味がないのだが、今日の新聞で敗戦の報がデカデカと載っているWBCは異なった意味で興味がなくはない。

このWBCというのは沖縄の地位協定同様、アメリカと準植民地国家日本との不平等な力関係が象徴的に現れている、ある意味で醜悪な催しものだからだ。



消費税金やゴルフ場利用税など数々の税金の免除。

パスポートやビザが必要なく日本を自由に出入り可能。

軍人として働いている最中の犯罪・事件はアメリカに裁判権がある。

アメリカの運転免許証で国内を走行可能。

日本の警察が身柄の確保をしなければ捜査が出来ない。

日本への身柄の引き渡しは検察による起訴が行われた後のみ。

外国人登録の義務が無く、誰がどこに住んでいるのか把握出来ない。

有料道路料金は任務以外のレジャー等で使ったとしても日本負担。

刑務所の中でも日本人より優遇。



というのが日本とアメリカの間に交わされた地位協定らしいが、このWBCにもそのわけのわからぬ地位協定が履行される。



大会スポンサー収入の約半分以上は日本企業が占めているにも関わらず日本への分配金は総収益の13%。これに対し、メジャーリーグ機構と選手会の分配金は66%。しかも日本チームと異なり、アメリカチームにはメジャーリーグの主立った選手は参加せず、くだらない二流選手ばかり。



日本では毎年優勝して鬼のクビを取ったような騒ぎになるが、こういった搾取の権化のようなWBCに一喜一憂する日本人とマスコミには吐き気すら覚える。

つまりこの催しはWBCならぬWBTなのである。

いわゆるそのTとはTPPのTのことだ。



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とうとう追い込まれて安倍首相はTPPへの参加を表明したが、日米地位協定、WBCと政治から娯楽まで日米不平等に甘んじている日本人がTPPに限ってだけは対等の渡り合いをするとは考えずらい。



というより昔から異民族のぶつかり合いや、植民地抗争など血で血を洗うような百戦錬磨の交渉術を労して来た”歴史ある”西欧の詐術に、難局を鎖国政策という内向きな政策で凌いで来たような民族とは”仕込み”が違う。



例えば旅は毎日がその異民族との交渉なわけだが、私の経験値によるとその交渉術には3つの様式がある。



和をもって尊しとする農耕系の交渉術は温かく柔(やわ)である。



かりにひとつの商品を挟んで値段交渉が行われる場合、その”和”というコンセンサスに向って互いが譲歩するというメンタルが重んじられるわけだ。



これがイスラムやアラブの遊牧系になると、確かに値段交渉によって譲歩を引き出すことは出来るが、そもそも最初に設定した価格帯に農耕系にはある”基準”というものがない。

彼らはたとえば一粒の麦に1万ドルもの値をつけるということを平気でやるのだ。



西洋人とはこれとは異なって、確かに価格に彼らなりの基準というものは存在するが、そこには”譲歩”というものが存在しない。

彼らにとって譲歩とは”和”に近づくことではなく”負け”であり”プライドの放棄”なのである。



このことは一時期プロ野球の選手会が誰が見てもおかしいWBCの不平等を訴え、WBCボイコットも辞さぬという騒動を起こしたが、メジャーリーグ機構は半歩たりとも譲歩の姿勢を示さなかったことによく現れている。

そして一切の譲歩を示さず、WBCをつつがなく運営することに成功した。



黒船に乗ってやってきたペリーが大砲で脅かしながら開国を迫ったように、おそらくその水面下では相当の詐術や脅しが労されたであろうが、残念ながらそれは表に出ていない。

私がアメリカ側のコミッショナーだったら野茂以降日本人選手がメジャーリーグでいくら稼いだか、そのアマウントを提示し、WBCをボイコットするなら今後日本人選手のメジャーリーグ移籍の受け入れを行わないという爆弾を選手会にぶつけるだろう。選手会としてはグーの音もでないだろう。

いや選手会の覇気が急にトーンダウンしているところを見ると実際にその程度のことはやっているかも知れない。

ウン、さすがにWBTだ。

仕込みが違う。






そういう意味ではTPP交渉というのは和の国日本が非譲歩の国アメリカと戦う経済の太平洋戦争のようなものであり、他人事であればまことに興味深い”見もの”でもあるわけだ。



件の”単純な軍人”であるペリーの砲艦外交の交渉の席に座ったもの静かな儒学者の林復斎は、開港というカードでペリーにいい気にさせ、開国というカードは切らなかったわけだが、この平成の軟弱な政治屋に復斎のような人相がすこぶる良さそうに見えながら手練手管に長けた剛者がいるのかどうか、そのあたりはどうも疑わしいと言わざるをえない。

     

 

2013/03/01(Fri)

誤認目の誤認逮捕はシャレにもならぬ。

確実な証拠もなしに普通の人間を逮捕する。



恐ろしい時代になったものだ。

パソコン遠隔操作事件で5人目の容疑者として逮捕された片山祐輔の件である。

この逮捕はどうやらまたもやきな臭い。



2月12日のトークで彼のことに触れたおり、私は逮捕時にマスコミに彼の素顔を写させるような大々的な捕り物劇を公開した神奈川県警は、確実な証拠を握っているものとばかり思っていた。

そういう憶測をもとに”容疑者”と書いたマスコミも、そして私自身も襟を正さなければならない。



「やっぱり猫男」



あるマスコミにはこんな見出しが踊っているという。



だが片山の逮捕は確実な”証拠”に基づいたものではなく、どうやら”脆弱”な状況証拠をもとにした逮捕ではないのかということが見え隠れしはじめている。

その状況証拠とは@問題の猫にチップ装着の首輪が着いたと”推測される”1月3日に片山がその江ノ島の現場に居たこと(私はてっきり防犯カメラの映像に彼が猫に首輪を装着する場面が写っており、それを証拠としたのかと思っていたが、今のところ、そういった決定的な映像はないようだ)。



Aそして別のチップが埋めたとされる雲取山方面に彼が車で向ったこと。



そしてこれは今回の事件に直接関わる状況証拠ではないが、彼が23歳のときネットでアイドルだった「のまネコ」に酷似したキャラクターをエイベックスが無断で使い「社長を殺す」と彼が脅迫し(たとされ)逮捕された事件の前歴のゆえに、おそらく今回のB状況証拠の補強となった(彼自身はその逮捕も誤認逮捕であり、それによって自分の人生の修正を余儀なくされたと言っている)。



どうもこれまでの情報を拾い集めてもその三点以外の状況証拠は見当たらない。

押収された3台のパソコンからも証拠にあたるようなデータは出ていないようだ(小沢がらみの検察のようにそのパソコンを操作して証拠を創作することは可能なのだろうか。私はパソコンに詳しくないのでその点はわからない)。



片山祐輔はたったそれだけの、ネコが聞いてもアクビをするような状況証拠で大々的に逮捕されたのである。





1月3日の午後2時半から3時半まで片山は江ノ島の猫のいる広場におり(片山の言)、猫好きの彼は猫を触り、猫の写真も撮ったという。

その中に問題の猫も居たかもしれない、と問題の猫人に関する記憶は曖昧だ。



のちにその問題の猫を2時50分ごろ写真に撮った人がいてネットで公開しているが、その時点ではその猫には首輪はついていない。

片山の記憶の中の時間が正しければ、片山がその場を立ち去ったときには猫には首輪がついていないということになる。

ということで担当弁護士はその後にその問題のネコが写った写真を撮った人を探しているとのこと。



それ以上におかしなことは片山が取り調べの可視化を要求し、白日のもと堂々と取り調べを受けたいと言っているにも関わらず、県警がそれを拒んでいることだ。

もし県警に確実な証拠があればその可視化された画面で証拠を突きつければ一件落着ではないか。

にも関わらずそれを拒み、いまだに取り調べが行われておらず、片山はおそろしく退屈な日々を送っているらしい。



可視化を拒んでいるのは”誤認目”の誤認逮捕というシャレにもならない、そして目も当てられない失態を国民の前に曝したくないということであろうか。



そればかりか神奈川県警は容疑者を”落とす”ために異常行動に出ている。



片山の母親の家に連日マスコミが押しかけ、家の外に出られなくなった母親のもとに県警の人間が取り入り、郵便物の回収、そして買い物まで引き受け、家の鍵まで預かり、母親の心証を良くした上で、ある書類のサインを求めた。

そこには今回の事件に関与していれば親子の縁を切ると書かれていたらしい。

この書類を県警が被疑者を”落とす”材料に使おうとしたことは明白である。



聞くところによると何人目かの誤認逮捕の青年の父親に県警は「自分の子供が今回の事件を起した」という何らかの言質を取り、青年に自白を強要したという。

その後この親子の間には取り返しのつかない亀裂が生じたらしい。




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以下、誤認逮捕され、家裁が保護観察処分を取り消した男子大学生(19)少年の父親の声明。



マスコミの皆様へ



今回の誤認逮捕の件につきまして、一言述べさせていただきます。

大学生の息子は、学業半ばにして深夜突然、連行・逮捕されました。

当人の強い否認にもかかわらず、十分なパソコンデータの解析も行われないまま取り調べが続きました。

警察・検察双方からの不当な圧力を受け、理不尽な質問で繰り返し問い詰められ続けました。

勾留期限が迫り、また家族への配慮と自分の将来を考え、絶望の中で事実を曲げ「自分がやった」という自供をし、保護観察処分となりました。

無実である証拠が出てくることを切望し待ち続けながらも、諦めざるを得なかった息子の心情を思うと、やりきれないものがあります。

そして、真実を封印しながら生きていくことを選んだ息子の胸中を察すると、親としては、断腸の思いです。



こうして警察・検察が誤認逮捕を認め、家庭裁判所が保護処分取り消しを行うという結果にはなりましたが、逮捕されてからの息子本人と家族の苦悩と心の痛みは決して癒えることはありません。

最も悲しいのは、親が息子の無実を疑ってしまったことです。



この件は、警察の構造的な問題、体質的な問題であり、本来国民を守るべき警察が、捜査の怠慢によって無実の国民、しかも少年を誤認逮捕し、冤罪に至らしめるという最もあってはならない事態です。

真犯人の方が遙かに警察当局よりも優れたコンピュータの技量をもっているのを指をくわえて見ている情けない状況です。

このようなことが二度と起きないように徹底的な検証と意識改革をするべきだと思います。



保護観察処分取り消しとなった息子には、心と体をゆっくりと休め、落ち着いた生活をさせたいと思います。

マスコミの皆さんには、過日のような加熱した取材を厳に謹んでいただきたいと思います。

この書面が私と息子、および家族の今回の件に関するすべての意見です。

今後の取材にはいかなる形でも一切応じませんので悪しからずお願いいたします。」





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家族から外堀を埋める。

またぞろ県警は同じ手口を使っているわけだ。



片山祐輔が100パーセント”犯人ではない”という確実な証拠があるわけではないが、それ以上に神奈川県警の大失態の焦りから生じたかのようななりふり構わない逮捕劇と、それに関連する”異常行動”は異様としか言いようがない。



それにしても猫に関連したこの事件、気候も良くなったことだし、一度件の猫に会いに江ノ島に行って来ようと思う。


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