Shinya talk

     

 

2012/09/26(Wed)

ゾンビの生き返るがごとき秋の夕映え。

今日の夕焼けは実に秋らしい。

外に出てみると鈴虫があちこりで鳴いており、おそらく今日突然鳴きはじめたのでもなかろうが、秋の気配になってはじめて耳に届いたということかも知れない。



今日の昼はいつもより遅く、1時過ぎに近くのドライブインでミックスフライ定食をとったのだが、ちょうど目の前のテレビで自民党総裁選をやっていた。

昨今は政党や政治のことに目を向けると、書く方も読む方も砂を噛むような殺伐とした気分にしかなれず、このトークでもなるべく触れないように避けているのだが、目の前でいやおうなく見せつけられる(自民党の総裁選はそのような趣がある)とちょっと触れないわけにもいかないだろう。



食事が終わりかけ、最後のアジフライに手をつけるころに石破と安倍の決選投票があり、空疎な総裁選はどうでもよいという思もがあるが、将来この決選投票に勝った者が日本国総理大臣になる可能性があるわけだから無視することも出来ず、とりあえずその結果を見て店を出ようと思った。



その際、ちらりと頭に過ったのは安倍に勝ってほしいということだった。



ゾンビとは生ける屍のことだが、安倍は過去に一度死んでおり、臨終数年後にまたぞろ棺桶からヌクッと起き上がったまさに足のないゾンビそのものである。

こういった気味悪さが国民の頭に植え付けられる方が、なまじ石破のようなちょっと新鮮感のある者が勝つより、自民党という政党がかつても今も腐敗の巣窟であるということが(党員投票で勝った者が派閥力学が働き、議員投票で負けることがまさに自民党の変わらぬ姿を現している)より明瞭になるからである。



安倍は自分が過去に死んだのは病のせいだとエクスキューズしているが、あの時は選挙に負けたのをはじめ内外のさまざまなプレッシャーに耐えきれず、脆くも崩れ落ちたのではなかったか。かりに病が高じたとすればそのストレスによるものだろう。

その数年後に新しい薬が出来たからといって出て来てもらっても同じ轍を踏み国民に迷惑をかけないとも限らない。

というより私は安倍という男の小心者であるがゆえに高飛車に出る極右的体質が前から気になっており、とくに昨今の様に近隣諸国との軋轢が増している時期に総理大臣になるということの危うさを思う。



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安倍が小心者であることは10数年前に新幹線に乗っている時に観想したことだ。

京都から新幹線に乗り、浜松を過ぎたあたりで私は用を足すために席を立ち、トイレにあるドアの方に歩いて行った。

乗客はまばらだったが、ドアに近い方の席に四人の男が向かい合わせでなにやらヒソヒソ話しをしていた。

3人は書生っぽい若い男でその話の中心になっているらしいうつむき加減の男に見覚えがあり私は一瞬歩をゆるめ、男の顔を確認した。

その通路に立つ男(私)の空気を感じたのか、男は一瞬ドキリとしたように体を起こし、私の方を見た。



安倍晋三だった。



まわりを気にする気の細かい男なんだな。



その挙動を見て思った。

そのオドオドしたような挙動と彼の生い立ちが重なった。



母方の祖父である岸信介の孫として、そして佐藤栄作に大叔父を持ち、父に晋太郎(元外務大臣)とそうそうたる政治家一家にうまれた安倍は、その挙動のように周りの顔色を伺いながら育ったのだろうことは想像に難くない。



その小心は彼の舌足らずのあの早口にも現れており、新幹線で期せずして人物観想の機会に恵まれた私は、将来こういう人が日本を牽引するような者になるのは困るなという思いを抱いた。

しかし彼はその毛並みの良さだけが買われたような格好で総理大臣になったが、胆力のかけらもなく脆かった。

彼がオドオドしながら総理辞任の会見をしているのを見て、ああ、あの時の印象は間違っていなかったなと思ったものだ。



その彼がまたゾンビのごとく棺桶から起き上がるのは自民党にとってはあまり得策とは言えない。

私は自民党は酸性腐敗からアルカリ性腐敗を経て腑肉が腐り、やがて臭いすらしなくなったただの躯だと思っているから、その躯体相応の生ける屍、安倍が勝ったことを一応ここで歓迎したいのだ。



かくのように総裁選は終わったがしかし私の気持ちの中に終わらないものもある。



今回、自民党総裁選候補はこぞって被災地に行って被災地のことを思ってます風な歯の浮くような演説をぶった。

だが自民党はこの未曾有の国難にあって3・11以降率先して正面から向き合うこともなく、わずかな机上の提案を出しただけでほとんど何もして来なかった。

この五人の候補が被災地に足を運んだという形跡もない。

というより彼らは国難にあって政権与党の民主党の被災対応をせせら笑うかのように冷ややかに眺めていた。



その彼らがいざ与党に返り咲く可能性が出て来たところでこぞって被災地に馳せ参じ、これまで何かやって来たかのような面をするこの姑息さには悪寒が走り、その悪寒はいまだに消えない。



だがこのような自民党という生ける屍(ゾンビ)、あるいは落ちこぼれ無脳国会議員の受け皿となって、チャラチャラした烏合の衆を全国から掻き集めてまくっている日本維新の会という”劇画集団”以外に選択肢がないという日本という国の不幸を思うとき、私はあの三宅島の風景のことがふと思い出される。



いまだ火山灰に覆われ、枯れるところまで枯れ尽くした灰色の山岳地帯にも、それが不毛であるがゆえに肥沃な土地の脆弱な植物とは異なった非常に強靭な最初の草花が芽を出すのだ。



あの風景を頭に思い起こしながら”枯れるところまで枯れるがいい”とひとりごちるのである。

     

 

2012/09/17(Mon)

落としどころ展望なき、内向き権限闘争の愚。

今回中国全土で起こっている反日デモを見て思い起こすのは2年前に中国に行った折りに出会った青年のことだ。



彼は桂林のある旅行代理店に勤める30代半ばの青年だが、日本語が堪能なこともあり、桂林で行われた書行に同行してもらった。

書行に向く場所を探しながら船で川を下って行ったのだが、桂林の町はずれにさしかかると、川岸にはそれまでとは異なった風情の家々が林の間に間に見えた。

一見別荘風。

しかしそんなに豪華というようなものでもない。

中国の地方でもやっとそのように生活をエンジョイする余裕のある層が現れたということだろうが、むしろ別荘としては民家とあまりかわらない普通の家だった。土地の広さは100坪程度、建坪は100平米というところか。

ただし、面前に川があるので風景はそれなりに風情があり、こういうところに住んで桂林の事務所まで通う生活もいいのではないかと、青年に問うた。



その話を差し向けると青年の顔に笑みが浮かんだ。



力なく、自嘲しているかのような複雑な笑みだった。



「それはぜんぜん無理ですよ」



「なぜ?」



「そんなの手が出ません」



「手が出ないって、たとえばあの家、いくらくらいするの」



「日本円で1億くらいじゃないでしょうか」



驚愕である。



地方でもあり、この立地条件や土地や家の広さ、グレードなどを考えると7〜800万程度だろうと考えていたからだ。

それであれば30代の青年でもローンを組めば買える価格帯だ。



「僕が20代のころだとあれくらいの家はおそらくその程度かもう少し安かったと思います。だから20代後半で結婚した時女房とふたりで共働きして家を買おうと約束していたんです。しかし今は一生懸命働いてもアパートすら手に入りません。」



青年は奥さんと子供との3人暮らしだが、いまだに賃貸アパート暮らしだと言う。



「この分だと一生家なんて買えませんよ。金持ちは家を10軒も20軒も持っている人はいますが」



自嘲の笑みの訳はあっけなく解けた。



「日本もそういうことあったんだよ。バブルで家の価格が跳ね上がって若い人が家やマンションを買えなくなった。3〜4倍程度だったかな。2倍になることもすごいことだけど3〜4倍というのは異常です。

しかし10倍というともう気違い沙汰だね」



都市部ではなく中国の地方の中程度の町においても中国バブルの波は容赦なく襲いかかり、生真面目に働いている青年の希望をぐちゃぐちゃに打ち砕いているわけだ。



「君たち若い人は、そういう大変な格差社会に対してものは言わないのかな」



「やってますよ」



「えっ、どこで?」



「いまあちこちで反日デモが行われているじゃありませんか」



確かに私が中国を訪れたとき、尖閣列島における巡視艇と漁船の衝突を機に中国各地で反日デモが行われていた。



「あれは反日ですよね」



「いや、僕は反政府デモでもあると思っています。中国の社会に対して不満を言うようなデモは許可がおりませんから」











今回尖閣列島国有化に際して中国各地で燃え上がってるデモの映像を見ると、竹島問題での韓国の反日の構成員が主に中年以上から老年にかけてが多いのに比して、そのほとんどが私をエスコートした青年の年齢層以下によって構成されているのがわかる。



そのことをもって青年の言うように、それは反政府的な心情を内包していると短絡することは出来ないが、あれだけの怒りが渦巻くというのはこの層の生活圏内に、そういう熱狂を誘発するトラウマが内在すると考える方が順等なのではないか。



そして今回、その熱狂に火をつけた格好の尖閣国有化だが、いったい政権はどのような”落としどころ”を目算としてそういう行動に出たのかまったくもってさっぱりわからない。

というより、この国有化問題はむしろ対外的視野に立ったものというより、石原都知事と政権の沽券をかけた綱引きという、きわめて愚劣な対内的”権限闘争”の色彩が濃い。



巷間言われているところの尖閣の所有者が極めて頑固な国粋主義者という化けの皮も剥がれて、関東在住の実業家。

それも借金に困って尖閣を売りに出し、石原がそれに乗ったが、あまりにもぐずぐずしているために政府の方に話を持ちかけたというのが実情らしい。



不動産の鑑定では1000万でも買い手がつくかどうかわからぬ島を20億もの血税を使った大盤振る舞い。石原は赤っ恥をかき、おかげで件の実業家は首が繋がったらしいが、この内部権限闘争というきわめて内向き為政の結果が大規模な反日デモというわけだ。



私は旅をしていて国境と国境の間のグレーゾーンとおぼしき土地や島に足を踏み入れることがあるが、国と国との関係はそのグレーゾーンという不分明な時空によってお互いの沽券をなんとか保っているということがある。

というよりグレーゾーンというのは摩擦を引き起こすゾーンでもありながら互いの為政の方法によっては国境間の摩擦を避けるための潤滑ゾーンになっているとも言えるわけだ。



だが昨今、マルかバツかという二者択一的な気分が普通の人々の中にも横行し、その中庸というものが失われつつある。

それではまったくあの”過激中国人”とまったく変わらないではないか。

もしマルバツ日本人をとりあえず納得させるには中国人にとってただの”お尋ね者”に過ぎない石原に尖閣を買わせておけばよかったのだ。



そうであれば日本国の所有物件という体裁も保て、中国が騒いだとしてもあれほどの騒ぎになならなかったはずだ。



そういう方法もひとつの落としどころということだろう。



     

 

2012/09/12(Wed)

支援金の使い道についてのこもごも。(転載)


今日は先日NHKBSの番組で対話をした綾野剛君の出ている「サイケデリックペイン」というロックオペラというものを見に行った。



私は招待というのはあまり好きではなく、自分が見たいものは自分でチケットを手に入れることにしているが、今回はチケットぴあその他当ったが、全部売り切れということでやむなく綾野君にお世話になった。



この演劇はいわゆるミュージカルであり、音楽がロック仕立てになっており、私はこういうロックオペラというものをはじめて見たが、ミュージカルとロックがこれほど相性がいいとは思わなかった。



若者が命を燃やし尽くす激しい演技は圧巻でもあった。



しかし少々観客層が気にならないでもなかった。

若い層が非常に少なく、30代から50代までの主婦層が圧倒的に多いのである。



ある意味、こういうロックオペラを主婦層が見ているというのは決して悪いことではないが、現場の空気からこれはある意味でヨンさま現象の日本版のように見えなくもない。

本劇には綾野君や福士誠治、北乃きい、というイケメン若手俳優(私はこの方面に暗く他の二人は知らないのだが)が出ている。

それぞれにファンがいるらしく、フィナーレにはそれぞれに対する★色い声援が華々しい。



大音響の中でペンライトを振り回す主婦層恐るべしである。





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さて日常の茶話はこれくらいにして、今日は昨日のトークに関連してCat Walkの皆さんにお伺いを立てたい一件がある。



それは支援金の使い道についてだ。

トークに触れている被災地支援金は2011年3月に催された「死ぬな生きろ」展において私の作品を売ったもの、そして会場に置いた支援金箱に寄付していただいたものの合計で、約800万のうち寄付金は約60万(今手元に内訳がないので後に提示)である。

60万というのは一人一人の気持ちの集まりと考えるなら大変な額だと思う。



今回の災害は長期戦になるとの思いからこれらの支援金は温存し、震災から一年半その間さまざまなアイデアが浮かんだが、踏ん切りに至らなかった。

そんな中、今回のアイデアは私の中で前々からあったものだが、昨今仮設住宅を終の住処にしなければならない人々が多くいるとの情報を受けて、私の職業を生かした支援として現実味を帯びたわけだ。



ただし昨日のトークに(すごい)違和感を持ったという意見も一件ある。



この方は「立派な額」という言葉にもこだわっていらっしゃるようだ。



言葉足らずで真意が伝わらないのであれば私の落ち度だが、絵や写真というものにはその着物に等しい額をつける。

この額というのは安物は夜店で売っているようなまがいものから長年使用してもソリなどの来ない本物までピンからキリまである。



一般に素人の方はその額の善し悪しの判断は正確にできないから、見栄えだけよくて経年に耐えない額でごまかす作家もいないわけではない。

たとえば同じデザインの額でもその素材である木材を何年寝かせたか(乾燥させたか)ということはきちんと調べない限り外見では見えないのだ。

一見同じように見えながらまったく異なるというのが額の懐の深さと言える。

私が作品を提供する場合、額に関してはかなりナーバスで予算内で作りうる最高のものを求めたいと考えている。

普通の方はそのことにあまり留意しないが名のある古今東西の画家や写真家の展覧会に行ったとき、私は職業柄作品を見る前に額を見てしまうことがある。

額を見ればその作者の人格や美学すら見えるのだ。

額は人なりである。



”立派な額”というのは何も”ごてごて飾り立てた”という意味ではなく、そういった長年の使用に耐えうる信用に足る額という意味である。

そして仮設住宅だからお手軽に安物の額で済ませるというのは、失礼千万なことであり、そういう意味で(経年に耐える)立派な額と言ったわけだ。

終の住処に飾るものであればなおさらのことだ。



そしてもう一点今回の企画の利点は私が作者自身だから作品は無料で提供できるということがある。

必要な経費は額代だけということで、その結果かなりの数量のちゃんとした立派な額に入った作品を仮設住宅に飾らせていただくことが出来る。



かりに支援金総額800万として額が1万5000円(私が額屋さんに交渉する時は恐ろしく厳しく大体半額くらいに値切る)なら交通費人件費その他諸経費を差し引いても単純計算で400名以上の方々に作品を提供することが可能だ。

これはかなりの数だと思うがどうだろう。



しかし昨日のトークにも触れたように果たしてそういった写真や絵画作品というものが仮設住宅に暮らす人々が本当に望まれるのか、そして潤いをもたらすかどうかということはリサーチしてみなければわからない。

件の方は他にも援助の仕方があるだろうと書かれていたが、仮設住宅のことを知る人は、これはいかにも日本的だと思うのだが、公私ともどもの支援活動によって家電その他、ある意味で”モノ”は十分すぎるほど提供されているというのが実情だ。

以前行った仮設では赤十字が家電7点セットを2セットも送って来て困っているという方もいた。



そういう意味でモノはものでも心に関わるモノが欠けているように思うのだ。





さて仮設住宅にマッチする表現方法に関してだがたとえば「死ぬな生きろ」のように言葉(書)と写真を一体化した作品のようなものがいいかも知れないと思っている。

あるいは書(言葉)だけでもいいのかも知れない。

あるいはまたバリの雫のように”意味を越えて”ただそこにあるだけで美しいというものがいいのかも知れない。



そのようにこういった支援企画は”人間という相手”がいるかぎりその人の意思をどこまで汲み取ることができるかという難しい面もある。

また一方これらの支援金は私の作品の販売代金であったとしてもそれを買っていただいた方たちの意思でもあり、そして支援金は支援金としての意思のこもったものだから、独断や思い込みで走るのもよくないと思っている。



そういうわけで、この企画に関するご意見をいただき、参考として行きたいと思っている。

また、今回の企画以外の支援金の使い道のアイデアがあればどしどし投稿願いたいと思うのである。







     

 

2012/09/03(Mon)

シリアの現場から(Cat Walkより転載)


9月は年度の節目ということで表紙を新しくした。

これはA4サイズくらいの小品で画材はパステルと色鉛筆。



これまでの中では幻想的な絵かもしれない。

パステルはカメラで言えば紗をかけたようなボカシがきく画材である。

絵に厚みを持たせるには油絵の場合はたとえばアンリ・ルソーなんかがやっているように空色の下には土色などの反対色を下塗りをするという手法がとられるが、パステルの場合は下塗りがきかないので私の場合は擦筆(フェルと紙を鉛筆状に巻いたもの)で薄い色を刷り込み、その上にものの形を柔らかいタッチで描く。



こうすると下には強固に薄い色があるため、軽いたっちの色も厚みがもたらされるとともに”定着”する。

このパステルという画材はクレオンやクレパスから油を抜いたものと思えばよく、誰にも馴染むことのできる画材なので一度試されるといい。



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安田純平さんとの対談録画は多少編集に少し手間取り、今日のアップとなったが、この二時間あまりのインタビューによってこれまでブラックボックスだったシリアで何が起こっているのかということが、かなり明らかになったと思う。



安田さんのように本格的に長期に現地に入り込んで取材した人は稀だが、昨今の内向きの日本では発表の場がないという。

報道特集で20分の時間を裂いたのは安田さんも今回言っているように、きわめて特例でラッキーなことだったらしい。



イラクで人質に合った折は、あれだけの騒ぎになったということで帰国後講演依頼が相当あったらしいが、このシリアに関しては講演依頼もなく、報道特集は特別な例として雑誌関係もそんなにページを割くわけではない。



そういう意味ではウエブ雑誌であるCat Walkでこのように長時間のインタビューが出来たことは本邦はじめての貴重な情報開示だったと考えている。このCat Walkも多少取材費のプールが出来てきたので、これからもこういう企画をやっていきたいと考えている。



今回のインタビューの中で着目するひとつは巷間噂の絶えないアメリカおよび自由主義諸国が自由シリア軍に関与しているかどうかという点だ。そのひとつの目安として「地対空ミサイルが自由シリア軍には入っているかどうかだ」という彼の証言は貴重だと思う。



近代戦争では空を制する者が圧倒的優位に立つわけで、今の自由シリア軍の持つ対空機関砲はまったく役に立たず、政府軍側は見えないような上空からミサイルや爆弾をどんどん打ち込んでいるわけだ。

イラクでアメリカがやったように狙い撃ちではないから、無辜の民の犠牲が出るのは当然のことだ。



この航空機からの攻撃の阻止は唯一熱誘導の地対空ミサイルであり、それが入ることによって戦況ががらりと変わる。

しかしアメリカおよび欧米諸国は、政府軍の人権や民衆抑圧ということを声高に喧伝しながらも肝心要の支援をしていないということが現場ではわかるわけだ。

そのヒントは自由シリア軍にはパレスチナの義勇兵が来ているという安田さんのインタビューの中に散見する。

つまり自由シリア軍が勝利した場合。

矛先がイスラエルに向わないとも限らないのだ。

イラクのように石油資源もないシリアにあっては、解放はうま味もなくリスクが伴うということだろう。

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