Shinya talk

     

 

2020/04/17(Fri)

太平洋戦争時の大本営のあの読みの甘さが蘇る今日(CATWALKより転載)

ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に着岸したのが2月3日。

乗客が全員下船したのが3月1日。

ほぼ1ヶ月間、新型コロナウイルスの汚染問題は陸から切り離された対岸の火事として私たちはそれを眺めていた。



だが今や海洋に浮かぶ島国この日本国そのものがダイヤモンドプリンセス号と化し、以降今日までめまぐるしい日々が続くが、今日やっと首相は緊急事態宣言を全国区に広げた。



東京に緊急事態宣言が発令されたのは7日だから10日後ということになる。

政治というものが事態の予期予測の上に立って政策が履行されるものであるとき、これは政治と呼ぶ代物ではない。











房総の私が住む周辺の人々にもマスクが欠品していて、朝早くから薬局に並ぶのだが、いまだに手に入らないというような近隣の人の話を聞き、今月に入って私は自分のルートで通常のマスクが手に入るたびに現地に赴き、とくに人と接する職業の人に配っているわけだが、東京に緊急事態宣言が発令されてのち、それまでガラガラで時には見渡す限り前を走る車が見当たらないという閑散状態の続く房総方面の高速道路が、東京に緊急事態宣言が発令された途端、通常状態より車が増え、ああこれは武漢やニューヨークに緊急事態宣言が出された時の光景そっくりだなと思った。



武漢の場合、都市封鎖がなされるということで、その前に膨大な数の離郷者が武漢以外の土地に逃げ出し、それがまた感染クラスターを生むという現象が起きたわけだが、この東京でも緊急事態宣言が発令されたとき、そこに”ミニ武漢”が展開されていたわけである。











今回政府が緊急事態宣言を全国区に広げたひとつの大きな要因が、緊急事態宣言の出された東京や大阪などの大都市から人々が地方に流入し、そこで感染が広がる現象が起きたことにあるわけだが、政治というものが事態の予期予測の上に立って政策を立てる事業である時、このように起こったありさまを見て、慌てて後追いで政策を変更するようなやり方は政治と呼べる代物ではなく、私はこの政府にこの世紀の緊急事態を任せて大丈夫かとの思いを強くするわけだが、私の知る限りそのような当然あるべき批判論調が出てこないところを見ると、その緊急事態を受ける側、報道する側も俯瞰的視点で今回の一件を眺めていないということだろう。



まったく前例のないことならともかく、武漢にしてもニューヨークにしてもケーススタディとしての前例があったがゆえになおさらこの思いが強くなるわけだ。



武漢のことが念頭にあれば東京に緊急事態宣言が出されてのち、それに続いて直ちに人々の動静を把握するということをやっておれば、それから10日間(急速に事態が進展するコロナウイルス問題に関する限り10日間はあまりにも長い)もうすらぼんやりとはできなかったはずだ。



そんなことは例えば東京から各地方に向かう高速道路の料金所やインターチェンジでの交通量の変化をウォッチし記録すれば簡単にわかることである。

私ですら気づいていたそんな簡単なことをおそらくやっていなかった公算が大きい。



あるひとは今回のコロナウイルス問題を戦争になぞらえるが、これが戦争であるとするなら、あの太平洋戦争時に方々で起きた稚拙な作戦のゆえに兵士が見殺しにされた事例が既視感のように蘇る。



というより大本営の総指揮官の読みの甘さとそれを取り繕う虚偽が事態を悪化させたわけだが、何やらあれと瓜二つでなければ良いがとの思いを強く抱かせる今日の出来事ではあった。