Shinya talk

     

 

2018/07/06(Fri)

麻原彰晃の死刑執行について(Catwalkより転載)。


突然の麻原彰晃をはじめオウム真理教死刑囚13名の内7名の死刑執行である。



私は現今上天皇が退位されることが決まって以降、オウム真理教の死刑囚の死刑執行が秒読みになったのではないかと思っていた。



この憶測には天皇と神道との関係を念頭に置かねばならない。

ヤマト言葉では普通の日常生活をケ(褻)と呼び、その日常生活が枯渇することケガレ(褻枯れ)と呼ぶ。

いわゆる穢れの語源である。



この穢れから脱出するには新たな神を迎える「祭」を必要とする。

この新たな神を迎える忌みの期間に私が沖ノ島で行ったような、悪を払拭し、身を清め、新たな生命力を復活させる禊(みそぎ)の儀式もある。



そしてこの忌みの期間が終わるといよいよ祭(ハレ)の世界に向かうわけである。

今も神道と深く結びつく、宮中儀礼の天皇即位の祭祀、大嘗祭もこのケガレからハレの世界に移行する象徴的な儀式である。



私が何を言っているかはすでにおわかりだろう。

日常生活が枯渇したケガレ世界の象徴であるオウム真理教の死刑囚たちはハレ(祭)である天皇即位の儀式、大嘗祭の前に精算する必要があるわけだ。

神道には死刑そのものがケガレという考え方もある。



そのケガレを新たな天皇のもとに成してはならない。



つまり今回の死刑執行は今上天皇の退位決定と新たな天皇の即位のその間隙においてなされたということである。



もともとこの野蛮な死刑制度は日本古来からある制度ではなく、中国から律令制度が輸入された時から制度化された(だが日本ではしばらく実行されなかった)ものであり、それが今の死刑制度に至るわけだ。



先進国ではアメリカのいくつかの州と日本しか行われていない死刑制度は特に先進国から非難を浴びており(大量に死刑執行が行われている中国は従って先進国ではない)、今回のように大量殺戮が行われたタイミングとワールドサッカーとは無縁ではないだろう。

というのはワールドサッカーは全世界的に炎上するイベントであり、この野蛮な行いを覆い隠すには恰好のスピンコントロール(逸らし)となるからだ。



当然この重要な決定には官邸も関わる。

ワールドサッカーにぶつけるとはいかにも策士安倍らしい。