仏陀の死後、荼毘に付された遺骨はその所有を巡って争いが起こった。
釈迦が入滅した地であるクシナガラ(ネパールに近い)はその遺骨の占有を主張し、仏教徒の多い地域との遺骨所有争いが起こったのである。
その結果、遺骨は8等分され、残った灰を含めて10等分され、仏教のゆかりのある地域に分配され仏舎利塔が建てられることになる。
さらにその200年後、仏教徒のマウリヤ王朝のアショーカ王は7カ所の仏舎利を発掘し、細かく粉砕して8万余の寺院に配った。
日本書紀によると日本の法興寺にこの折の粉砕骨があるという。
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以上の仏陀の遺骨の扱いは何を意味するかというとインドにおいて聖者とは、その死後インドの最高の世界であるアートマン(宇宙)と一体化した不変の神の領域に至るということだ。
つまり麻原彰晃の遺骨は、インドの習俗に習えば生体の麻原をさらに超えたご神体となるわけだ。
麻原の処刑後、麻原の遺骨を巡って4女松本聡香(ペンネーム)と妻松本知子側の3女松本麗華(アーチャリー)がその所有権を巡って争っているのは、単なる家族間の争いではなく、この神格化された遺骨の取り扱いを巡る争いでもある。
ご承知のように4女の松本聡香はオウム的なるものと決別し、妻知子と3女麗華はいまだ信仰を持つ。
麻原が処刑前に担当官に自分の遺骨は4女に引き渡すことを望んだというのは私の観測ではおそらく作り話である。
麻原は生前まったく精神浮揚状態にあり、死刑執行の時だけ正気に戻ったというのはあまりにも出来すぎた話である。
この出来すぎた話は何を意味するかというと、神格化される可柏ォのある麻原の遺骨は法務省(つまり政府)としては妻知子と3女麗華には渡すべきではないとアンダーコントロールしているということである。
4女側の立つ滝本弁護士が口角泡を飛ばして4女側の所有権を主張し、その骨を「パウダー化」し、海に散骨するので国は協力してほしいと訴えているのは、かねてよりオウムと争った彼は、オウム事件の最終収束を麻原の遺骨の神格化を食い止めるこのパウダー化の散骨にあると考えているからだ。
私は数回海に散骨をしているが、散骨は骨の形状を壊し、パウダーにしなくとも細かく裁断しなければならないことになっている。
滝本弁護士が「パウダー化」とことさら強調するのは、それは「無化」の意味が込められている。
かつて自身もオウムに命を狙われた彼は自身においても切実な問題でもあるわけだ。
かりにこの遺骨所有の争いが法廷に持ち込まれた場合、おそらく4女側が勝つ公算が大きいと見る。
昨今の日本においては強権を持つ現政権下において、三権分立というものは正常に機狽オていないように私には思われるからだ。