Shinya talk

     

 

2018/07/11(Wed)

麻原の遺骨を巡る争いの内実。(Catwalkより転載)

仏陀の死後、荼毘に付された遺骨はその所有を巡って争いが起こった。



釈迦が入滅した地であるクシナガラ(ネパールに近い)はその遺骨の占有を主張し、仏教徒の多い地域との遺骨所有争いが起こったのである。



その結果、遺骨は8等分され、残った灰を含めて10等分され、仏教のゆかりのある地域に分配され仏舎利塔が建てられることになる。



さらにその200年後、仏教徒のマウリヤ王朝のアショーカ王は7カ所の仏舎利を発掘し、細かく粉砕して8万余の寺院に配った。

日本書紀によると日本の法興寺にこの折の粉砕骨があるという。











以上の仏陀の遺骨の扱いは何を意味するかというとインドにおいて聖者とは、その死後インドの最高の世界であるアートマン(宇宙)と一体化した不変の神の領域に至るということだ。



つまり麻原彰晃の遺骨は、インドの習俗に習えば生体の麻原をさらに超えたご神体となるわけだ。



麻原の処刑後、麻原の遺骨を巡って4女松本聡香(ペンネーム)と妻松本知子側の3女松本麗華(アーチャリー)がその所有権を巡って争っているのは、単なる家族間の争いではなく、この神格化された遺骨の取り扱いを巡る争いでもある。

ご承知のように4女の松本聡香はオウム的なるものと決別し、妻知子と3女麗華はいまだ信仰を持つ。



麻原が処刑前に担当官に自分の遺骨は4女に引き渡すことを望んだというのは私の観測ではおそらく作り話である。

麻原は生前まったく精神浮揚状態にあり、死刑執行の時だけ正気に戻ったというのはあまりにも出来すぎた話である。



この出来すぎた話は何を意味するかというと、神格化される可柏ォのある麻原の遺骨は法務省(つまり政府)としては妻知子と3女麗華には渡すべきではないとアンダーコントロールしているということである。



4女側の立つ滝本弁護士が口角泡を飛ばして4女側の所有権を主張し、その骨を「パウダー化」し、海に散骨するので国は協力してほしいと訴えているのは、かねてよりオウムと争った彼は、オウム事件の最終収束を麻原の遺骨の神格化を食い止めるこのパウダー化の散骨にあると考えているからだ。



私は数回海に散骨をしているが、散骨は骨の形状を壊し、パウダーにしなくとも細かく裁断しなければならないことになっている。

滝本弁護士が「パウダー化」とことさら強調するのは、それは「無化」の意味が込められている。

かつて自身もオウムに命を狙われた彼は自身においても切実な問題でもあるわけだ。



かりにこの遺骨所有の争いが法廷に持ち込まれた場合、おそらく4女側が勝つ公算が大きいと見る。



昨今の日本においては強権を持つ現政権下において、三権分立というものは正常に機狽オていないように私には思われるからだ。



     

 

2018/07/11(Wed)

麻原の遺骨を巡る争いの内実。


仏陀の死後、荼毘に付された遺骨はその所有を巡って争いが起こった。



釈迦が入滅した地であるクシナガラ(ネパールに近い)はその遺骨の占有を主張し、仏教徒の多い地域との遺骨所有争いが起こったのである。



その結果、遺骨は8等分され、残った灰を含めて10等分され、仏教のゆかりのある地域に分配され仏舎利塔が建てられることになる。



さらにその200年後、仏教徒のマウリヤ王朝のアショーカ王は7カ所の仏舎利を発掘し、細かく粉砕して8万余の寺院に配った。

日本書紀によると日本の法興寺にこの折の粉砕骨があるという。











以上の仏陀の遺骨の扱いは何を意味するかというとインドにおいて聖者とは、その死後インドの最高の世界であるアートマン(宇宙)と一体化した不変の神の領域に至るということだ。



つまり麻原彰晃の遺骨は、インドの習俗に習えば生体の麻原をさらに超えたご神体となるわけだ。



麻原の処刑後、麻原の遺骨を巡って4女松本聡香(ペンネーム)と妻松本知子側の3女松本麗華(アーチャリー)がその所有権を巡って争っているのは、単なる家族間の争いではなく、この神格化された遺骨の取り扱いを巡る争いでもある。

ご承知のように4女の松本聡香はオウム的なるものと決別し、妻知子と3女麗華はいまだ信仰を持つ。



麻原が処刑前に担当官に自分の遺骨は4女に引き渡すことを望んだというのは私の観測ではおそらく作り話である。

麻原は生前まったく精神浮揚状態にあり、死刑執行の時だけ正気に戻ったというのはあまりにも出来すぎた話である。



この出来すぎた話は何を意味するかというと、神格化される可能性のある麻原の遺骨は法務省(つまり政府)としては妻知子と3女麗華には渡すべきではないとアンダーコントロールしているということである。



4女側の立つ滝本弁護士が口角泡を飛ばして4女側の所有権を主張し、その骨を「パウダー化」し、海に散骨するので国は協力してほしいと訴えているのは、かねてよりオウムと争った彼は、オウム事件の最終収束を麻原の遺骨の神格化を食い止めるこのパウダー化の散骨にあると考えているからだ。



私は数回海に散骨をしているが、散骨は骨の形状を壊し、パウダーにしなくとも細かく裁断しなければならないことになっている。

滝本弁護士が「パウダー化」とことさら強調するのは、それは「無化」の意味が込められている。

かつて自身もオウムに命を狙われた彼は自身においても切実な問題でもあるわけだ。



かりにこの遺骨所有の争いが法廷に持ち込まれた場合、おそらく4女側が勝つ公算が大きいと見る。



昨今の日本においては強権を持つ現政権下において、三権分立というものは正常に機能していないように私には思われるからだ。



     

 

2018/07/06(Fri)

麻原彰晃の死刑執行について(Catwalkより転載)。


突然の麻原彰晃をはじめオウム真理教死刑囚13名の内7名の死刑執行である。



私は現今上天皇が退位されることが決まって以降、オウム真理教の死刑囚の死刑執行が秒読みになったのではないかと思っていた。



この憶測には天皇と神道との関係を念頭に置かねばならない。

ヤマト言葉では普通の日常生活をケ(褻)と呼び、その日常生活が枯渇することケガレ(褻枯れ)と呼ぶ。

いわゆる穢れの語源である。



この穢れから脱出するには新たな神を迎える「祭」を必要とする。

この新たな神を迎える忌みの期間に私が沖ノ島で行ったような、悪を払拭し、身を清め、新たな生命力を復活させる禊(みそぎ)の儀式もある。



そしてこの忌みの期間が終わるといよいよ祭(ハレ)の世界に向かうわけである。

今も神道と深く結びつく、宮中儀礼の天皇即位の祭祀、大嘗祭もこのケガレからハレの世界に移行する象徴的な儀式である。



私が何を言っているかはすでにおわかりだろう。

日常生活が枯渇したケガレ世界の象徴であるオウム真理教の死刑囚たちはハレ(祭)である天皇即位の儀式、大嘗祭の前に精算する必要があるわけだ。

神道には死刑そのものがケガレという考え方もある。



そのケガレを新たな天皇のもとに成してはならない。



つまり今回の死刑執行は今上天皇の退位決定と新たな天皇の即位のその間隙においてなされたということである。



もともとこの野蛮な死刑制度は日本古来からある制度ではなく、中国から律令制度が輸入された時から制度化された(だが日本ではしばらく実行されなかった)ものであり、それが今の死刑制度に至るわけだ。



先進国ではアメリカのいくつかの州と日本しか行われていない死刑制度は特に先進国から非難を浴びており(大量に死刑執行が行われている中国は従って先進国ではない)、今回のように大量殺戮が行われたタイミングとワールドサッカーとは無縁ではないだろう。

というのはワールドサッカーは全世界的に炎上するイベントであり、この野蛮な行いを覆い隠すには恰好のスピンコントロール(逸らし)となるからだ。



当然この重要な決定には官邸も関わる。

ワールドサッカーにぶつけるとはいかにも策士安倍らしい。


     

 

2018/07/02(Mon)

ふたたび日本サッカーに触れる(Catwalkより転載)


昼時にはじまって先ほどまで月刊「ことば」という雑誌のインタビューがあった。

話の終わりの方で、インタビューの内容とは関係ないことですが、今回のワールドカップでの日本×ポルトガル戦の一件で藤原さんが写真を撮られるとするなら、どう言う場面を撮られますか、という質問があった。



私が即座に答えたのは(渋谷のスクランブル交差点でガキどもが騒いでいる場面はどうでもいいことで)換金がなされているスタジアム内のとくに日本がパス回しをしている最中に席を立ってゾロゾロと出口に向かっている観客(すでにこの場面では観客であることを辞めているわけだが)の表情を撮りたいな、と答えた。



私が何を言いたいかというと、今回のパス回し騒ぎにおいてはあるべき肝腎の視点が欠けているということである。



つまりこの試合はたとえばボクシングの試合と同じようにれっきとした興行(入場料をとって芸能、スポーツなどを見せること「大辞林」)であるということだ。

つまり開幕戦を省く(開幕戦は割高)グループリーグ戦が9、000円、決勝戦が99、000円となっており、人気の試合ではプレミアが付くからその10倍というチケット代も生まれると聞く。

さらに、たとえば日本から開催地のロシアまで行く(ほとんどの観客が海外から来ている)旅費などを加えると、実質数十万円のチケット代となるわけだ。



命を張った熱血試合を見ようとそんな高い興行代を支払い、目の前で八百長が展開された場合、怒りを覚えない方がかなり奇跡的にレア−な人間と言えるだろう。

スタジアムのほとんどの観客がブーインを発する中、その奇跡的レア−な人間が日本の応援団に多数いたということである。



このことが何を表しているかというと、今回の日本チームの振る舞いも日本人観客の振るまいも自分が金をもらって興行を行っている、金を払って試合を見ている、という意識が乏しいということである。



私を含め、ネットで事に言及している人間も、渋谷のスクランブル交差点で雄叫びを上げているガキども、あくまで外野席の住人であり、リアルな存在ではないのだ。



私はそういう意味では高いチケット代を払って試合を観戦し、親指を下に下げブーイングを行っていた日本の応援団の中の少数の若者(わざわざロシアまで行くのだから相当熱心な応援者なのだろう)こそ、いかなる海外メディアの批判を凌駕して今回の八百長試合のもっとも良き(ニュートラルな視点を持った信頼できる)判定者だと考えている。











さらに言うなら、世界数億人の観客の中のおそらく数十人に満たない極めてレアな彼らがブーイングをしたのは、日本選手に向かってだけではないと、試合の様子を見ながら思っていたことである。

相手側のポーランドもまたこのパス回しに加担していた。



私がこの試合を”八百長”とするのは、八百長というものは八百長相撲が表すように一人だけでは成立しないからだ。かりにパス回しの際、ポーランドが攻めに入っていたならこれは八百長ではなく、ひいき目に見て日本の試合引き延ばし戦術と言っても良いだろうが、相手側の(すでに2敗している)ポーランドもまた勝ちがこのまま温存できるならという態度でフラフラと夢遊病者のようにグランドをさまようばかりなのである。

驚くべきことに中には終わりの方で芝生の上に座って休む選手も居た。



こういう見苦しい状況をもっとも俯瞰的視点で眺めることが出来たのは、おそらく金を払ってスタジアムに居た観客ではないかと思う。

あのスタジアム内に響いたブーイングの嵐は、試合後半のもっとも盛り上がるべき場面で(とつぜん試合をしなくなった)日本選手のみならずポーランド選手にも向けられたものと考えるべきだろう。



因みにこの日本の行為に理解を示した海外メディアは投稿にあったように砂中に砂金を拾うがごとき(投稿はよくそういうのを見つけてきたと感心する)ものだったが、面白いことに日本のメディアに登場したサッカー関係者はおしなべて日本の戦術を褒め、私の知る限りこれを痛烈に批判する人間は見当たらなかった(いたら教えてほしい)。

それは多くのその種の人間がサッカー興行集団の中でお裾分けをあずかりながら口を濁しているからだろうし、今回の日本の試合を批判するということは自己否定にも繋がりかねないからだろう。

木村太郎(その昔ラジオ対談をしたことがある)などは今回の件を人種差別などと言っているが、かりにもそういった人種差別があるのならなおさらのこと後ろ指を指されないよう正々堂々と試合をすべきだったのである。











ところで大学までサッカー生活を送り、サッカーに詳しい甥に今回の件を訊くと、起こるべきして起こったことではないかという。

というのは今回のワールドサッカーから試合の差配に即時的演算の可能なコンピューターシステムを駆使してもよい、ということになったらしい。

今回のワールドサッカーの試合でかつてではありえない下克上のような大波乱が起きているのは、それにも一因があるとの見方だ。いかにも東大の法科を出ている彼らしい冷静な分析である。

つまり試合後半にボール回しをせよと判断を下したのは監督の西野朗以上にコンピューターシステムではないかというのだ。



同時試合を行っているコロンビア×セネガル戦の流れをこと細かにコンピューターにインプットし、後半の10分間にセネガルがゴールを割る率がかりに0,5パーセントとコンピューターがはじき出したとする。

おそらくそれはボール回しゴーサインとなるだろうということである。



これはすでにバレーボールにも応用されているコンピューターシステムだが、熱血サッカーにもコンピューターの冷血が注がれはじめたということである。



苦渋の決断。

英断。



日本びいきの日本では監督の西野朗を讃える声が多かったが、その”英断”の指導をした陰の監督がコンピューターシステムであったとするならこんなに淋しいことはない。



ひょっとするとあの試合後半に展開された芝生のグランド上の秋風がそよぐかのようなとりとめもない寂しさは、無異質なコンピューターの冷静な分析が反映した結果であるのかも知れないと思うわけである。



やはり写真(映像)はウソがつけない。



いずれにしてもこういった無機質な勝ち上がりかたをした日本がベルギーに勝とうと負けようと、何となくどうでもよくなったというのが船長の偽らざる心境である。





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