Shinya talk

     

 

2020/04/23(Thu)

真実や事実は、時に妄想より生まれることもある。(Cat Walkより転載)

いつのトークだったか忘れたが、コロナウイルス問題が立ち上がった早い段階から対策として一気に外出禁止令を出し、短期勝負に出ることを提案していた。



短期であるならあらゆる分野で収入が途絶えたとしてもなんとか持ちこたえることは可能だろうし、余力を温存できるからだ。



日本の場合は法制上諸外国が取るようなドラスティックなやり方は難しいというのが評論家などの口癖だが、安倍政権はこれまで東京高検検事長の定年延長など都合の良い時には超法規措置を弄してしてきたわけであり、こういった強権的な超法規措置をこのコロナウイルス問題にこそ取ってもらいたかったのである。



だがいわば戦争と言えるような命がけの局面ではこの国はオロオロと態度が定まらず、今やこの日本のコロナウイルス問題は何やら”生殺し”の様相を呈しはじめている。











だがこの生殺し状態は、それが意識的でないとしても、何やらあの中国メソッド(方策)に似か寄りはじめているのではないかとの思いを最近もちはじめている。



これはあくまで個人のひとつの妄想と受け取ってもらっても構わないが、私は4月8日に武漢の都市封鎖が解除され、新たな感染者をゼロと発表し、あの一列に並ぶ看護婦が満面の笑顔で次々にマスクを取る中国式コマーシャルを見たとき、あるマスコミ関係の人間に「いよいよ中国も腹を括ったな」と冗談まぎれに言った。



その腹を括ったと言うのは一定数の犠牲者(死者)が出ることを容認し、集団免疫方策に切り替えたのではないかと言うことである。



つまり新型コロナウイルスによる死者は中国全体の人口からするときわめて微々たるものに過ぎない、



ご承知のように中国では人口抑制を目指し79年より2015年まで一人っ子政策をとり、4億人の人口が抑制された。

だがこの人口抑制によって逆に社会の高齢化問題が生じた。

この日本でもそうだが、高齢者というのは一般的には生産性に寄与せず、医療保険や年金授受など、国家財政の負担になるわけだ。

そのようなことを勘案しながらつまり船長の妄想するところのものは生産性に寄与しない老いの世代の犠牲の上に立った「適者生存」の道を中国は選択したのではないかと言うことである。











この適者生存は地球上の生物の歴史におけるいわゆる自然淘汰という名の間引きであるわけだが、人間は適者生存の勝者として地球に君臨した。



だが他の動物の領域を収奪し、あるいは飼育化したことによって人間と動物の閾値が狭まり、他の動物生存内に幽閉されていた未知のウイルスに人類が感染しはじめたというのが疫病というものの歴史である。

これは私の住む房総の例でもよくわかることで、30年前からは猿と人間社会の距離が縮まり、猿害(これは人間側の言い方だが)が状態化し、ここ6〜7年のスパンで猪、鹿という種目が人間と急激に近接状態になり、先日も夜大きな鹿が車の前をよぎり左ヘッドライトを破損させたというように、すでに多くの動物と人間との閾値はゼロベースと言っても過言ではない。



今回の新型コロナウイルスはコウモリの媒介と言われているが、ご承知のように何やら結果的には人間が生み出したと言えるこの新しい疫病をもたらすウイルスは人間と同じくどんどん巧妙になっている。

例えばエボラ出血熱のエボラウイルスの場合、頭が良いとは言えず、感染するやすぐに人を殺し、心中するがごとく自らも絶えたわけだが、この新型コロナウイルスの場合は自分が生き延び、繁殖するために無症状の感染者を宿主として世間を徘徊させるという作戦に出ているわけだ。











私が「中国は腹を括ったのではないか」と言ったのはこの健康な若年者が軽傷、無症状のままやがては免疫を獲得し、老年、特に基礎疾患のある老年代が亡くなるという得意な特質を持つ新型コロナウイルスと極めて冷酷に、そして巧妙に中国共産党は手を結んだのではないかということである。



いわば「適者生存」による社会の再編成、あるいは人工淘汰である。



あの折「とうとう腹を括ったな」と冗談めいて私は電話口でそう言ったわけだが、実は自分でそう言いながらも半信半疑なところがないわけだはなかった。



だがそれから数日後に私の妄想の海に真実の水滴が垂らされるかのような報道が何かと中国の嘘を暴く香港メディアによってもたらされる。

香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストがまだ武漢には無症状の感染者が4万3千人以上いながら公表していなかった」との告発記事を出したのである。



私は自分の妄想が真実味を帯びてきたことにゾッとした。











ひるがえって、いまだにPCR検査をせず(あるいはできない)正確な感染者数すら把握できないこの日本にあって”放置策”でこの難局を乗り切ろうとする無意識の力学が働いているとするなら、それは冷徹な試算の上に成り立った中国メソッドとその場しのぎの無計画で事態を野放しにしているこの日本とが異なりながらも似る結果をもたらしつつあるということかも知れない。



そんな中、今日ある大学病院において興味深いデータが発表された。

今月、慶応大学病院は新型コロナウイルス以外の患者67人に対して、新型コロナウイルス感染の検査を行ったところ、およそ6%の人が陽性だったことがわかったと発表したのだ。

当然このサンプリングは話題になりNHKのニュース9でも司会者が専門家会議の尾身茂副座長に質問をしたが、その答えは口ごもって何を言っているのかさっぱりわからなかたた。



仮に慶応大学のサンプリングを一つの尺度とするなら東京の人口1300万の6パーセントとすると70万人が感染していることになるわけだ。

仮にその試算がオーバーであるとしたとして、その半分でも35万人となり、オリンピックが延期されたにもかかわらず昨今ずっと都が発表してきている毎日百数十人台の感染者という今や誰も信用していないこの数字との乖離が激しい。



この乖離が無能無策のゆえに結果的には巧妙な中国共産党と同じ適者生存の道を無意識に選んでいる一つの現れとするなら別の意味で怖い話となるわけだ。