いま世界のニュースはアフガニスタン情勢で埋め尽くされている。
だが日本のメディアは朝から晩までコロナ一色。
内向き国家日本の有様がさらけ出されている。
そしてまたコロナ政策の失敗、ワクチン政策の失敗に続く政府の失策がまたこのアフガン問題においても浮かび上がっていると言える。
ご承知のように、今アフガンではアメリカ軍撤退期間である今月の末までアフガン在自国民やその使用人たちをタリバンの手から逃れさせ、いかに帰国保護させるかと言うミッションが世界各国で競われているわけだが、日本はこの場においてもコロナ政策やワクチン政策と同様に世界の国から遅れを取っている。
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ちょうど隣国の韓国ではすでに昨日、韓国軍の派遣した軍用機によって無事に国民とその関係者をソウル空港に迎え入れている。
そして韓国と関係を持った亡命者であるアフガニスタン家族らに韓国籍を与え、言語教育、就職のあっせんまではやばやと取り決めている。
韓国のこの救出のミッションの成功の裏には計画性を持った根回しと、韓国在住の事務次官の自己犠牲の上に立った行動が功を奏したと言える。
つまり韓国では自国民とその関係者を極めて困難とされる市中からカブール空港までの誘導をアメリカ軍を通し、その関連のバス会社に懸命に働きかけ(おそらく莫大な金を積んだはずだ)た。
そして10台の大型バスを確保し、人々を一箇所に集め一気にカブール空港まで走り抜け、そこに待機する韓国軍軍用機に向かい入れ、半ば戦場と化しつつある空港を一気に飛び立ったわけだ。
そのミッションを成功させるために命がけで一人の若い事務次官がアフガニスタンのカブールに乗り込んだということを聞くに及んで、この日本に自らの命を懸け国民のために働こうとするような官僚がいるだろうかと言う思いにとらわれざるを得ない。
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ひるがえってこの日本国においてアフガンから自国民を救出させるためのミッションがどのようにとられたかと言うと、そこにミッションなるものは無いに等しいと言えた。
いや全くないとは言えないだろう。
アフガニスタン日本大使館員12名は今月の17日に友好国の軍用機を借りてアラブ首長国連邦のドバイにはやばやと退避しているのだ。
そしてこの際今後危険にさらされるかもしれない大使館の従業員たちを置き去りにしている。
日頃交流のあった日本人達が大使館を去る時の従業員達の見捨てられた思いはいかばかりのものであっただろう。
さらに言えばこの時、そして今現在も、各種国際機関で働く日本人数十名やそれに関係するアフガニスタン人が行き場を失ったままの状態だ。
本来なら現地の事情に詳しい大使館員が最後まで居残り、救済に当たらならないはずだがはやばやと逃走。
救済ミッションのために自国からわざわざ現地に飛んだ韓国の事務次官とは大違いである。
この一連の出来事を目で追うにつけ、かつての日本敗戦の折、あの満州に自国民を置き去りにしていち早く逃走した日本軍人の姿を浮かべる。
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そして今、日本から派遣された2機の自衛隊軍用機はなすべもなくカブール空港に待機中である。
日本の軍用機がカブール空港に降り立った時、誰もいなかったと言うゾッとするような話が伝わっているが、それもそのはずカブール在住の日本人に対しては自力で空港に行くように(自己責任?)との通達だけがあったとのこと。
群衆と化したの難民が押し寄せ、IS、タリバン入り乱れた修羅場の中、どうやって例えば非力な若い女性職員などが自力で自衛隊機に到達できのるのか。
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アフガンにおけるこの菅内閣のミッションの不在は、もうひとつの戦争であるコロナ問題に対する菅内閣のミッションの不在となんと似通っていることか。
つまりありていに言えば戦時においては人々はやむなく自己責任論の中に生きなければならないということをアフガン事象は教えてくれているのであり、アフガンに置き去りにされた人々の姿を想像しながら、コロナ下に生きる自らの姿をそこに映し、日々自助の力を養う。
そのことに尽きる。
「死ぬな生きろ」である。