今日アップしたPodcastはスエーデン在住の久山葉子さんの談話に私のコメントを付したものだが、久山さんは翻訳家でもあり、今ベストセラーとなっている「スマホ脳」も翻訳されている。
今回久山さんの話を受けて、ヒトのDNAの中に居残っている可能性のあるウィルスに対するパニック障害に言及している。
コロナに対するこういった視点はおそらくはじめてのことだと思われ、そういう意味で興味深いコメントとなっているのでお聴き願いたい。
藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.49「スエーデンからの便りその1」
Podcast 藤原新也「新東京漂流」
森元首相は、台湾の国父、日本にも親交があった台湾の李登輝元総統が心臓の病を患い、日本の高度な治療を受けたいとの申し出を(外務省のチャイナスクールや当時の外務大臣河野洋平などが阻止しょうとしたが)「そうではないだろう。私人が病気治療で来たい、と言っているのに、ビザを出さなかったら人権問題だ」と真っ当な考えで反対を押し切って李登輝を日本に招き入れているというような一面を持ち合わせている。
当時、河野洋平などは李登輝を危険人物などととんでもないことを言っていたと記憶する。
台湾の国父を日本に招き入れることは台湾を国家として認めることであり当然中国は猛反発した。
そしてその後、森は昨年8月の李登輝追悼式にも病を押して出席している。
森は根回し上手と言われるが、恩を受けた者にはいかなる反対があろうと返すという、そう言った人間としての基本姿勢も持っている男だ。
だから根回しも効くということだろう。
昨日のトークで「妖怪から妖怪へ」などと揶揄しがが、私個人はあの李登輝と台湾に対し、歴代首相の誰もできなかったことを実行した森元首相の浪花節的体質においては評価している。
その人情に篤い森の「女性は話が長い」との発言を見ると人格面でアンバランスなところがある。
当然、このひとことは女性を上から目線で見下す蔑視的発言であり、さらには世界のme toムーブメントにいかにも鈍感すぎ、この世界標準に鈍感というその一点においてそれは老害と言え、世界標準を遵守しなければならない日本オリンピック委員会の会長を辞して当然とすべきだろう。
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だが思うにこのコロナ時代は一面、恐ろしくもある。
一年余続くコロナ禍によって日本のみならず全ての国の人々が被害者意識と不安と多大なストレスを抱えつつある。
そんな中、オリンピックという大きな事業、そして大きな体、大きな態度、つまり格好の”大きなターゲット”である森は恐ろしいほどの怒りの艦砲射撃を受け撃沈したと言えるだろう。
まさかあの委員会の講演の中で「女性は話が長い」と人の言葉を引用した冗談まぎれの一言が日本のみならず世界に怒りの竜巻を巻き起こすと、その場に居合わせた誰が想像しただろう。
おそらく船長の私がその現場に居合わせたとしても、その言葉に不快を感じ、これまでもあったように一部のマスコミで問題視されるされるかもしれないとの思いを抱いたかも知れないが、その後に世界規模の怒りの竜巻が巻き起こるとは想像できなかったはずだ。
現在の自民政権には特に安倍元首相においてだが醜悪な成功体験というものがある。
森加計問題に始まり、桜を見る会まで、彼は枚挙に遑がないがないほど不正を働いて来たのだが、マスコミや世間の批判が巻き起ころうと、それを燃えるに任せておけばいつか事態は鎮静化するということであり、森とその関係者もそのように流れを予測していつものように居座るつもりだったのではないか。
だが今回の問題が国内問題にとどまらなかったことは予想外だった。
というのは問題を起こした場所が国内行事の場ではなく国際行事に関連する場だったからだ。
それは海外に飛び火し、ついには有力スポンサーまで森の首に縄をかける動きまで出てきた。
おそらくこの決定打がなければ現政権の誰もがやって来たように森は嵐の過ぎ去るのを待っていた可能性があるだろう。
オリンピックはご承知のように巨大な利権行事でもある。
教襟や道徳でもなく、金の力が森を動かしたという意味において森の退任はただ後味が悪い。
コロナ禍で溜まった熱した心のマグマと、そう言った諸条件が重なったがゆえにこの日本に蔓延る「居座り”文化”」と呼べるものが粉砕されたわけだ。
つまり私たちは今ある意味でそのような予測不能な情動が巻き起こる時代の真っ只中に生きているということである。
藤原新也Podcast「新東京漂流」Vol.46からはイギリスのロンドン、スエーデン、ニューヨーク、北京、に在住の主にジャーナリストの方へのインタビューである。
今回その四元コンタクトは通常のインタビューと方式を変え、リモートでのやり取りの際、問う側の声はカットし、答える側の話を通しで流し、藤原がそれに対してきちんとモノローグでコメントを出すというこれまでにはない方式を編み出した。
というのは電話やリモートでのやり取りというのは聴く側も他人の会話を聴いているように雰囲気だけが右から左へと通過してしまい、あとに問題点が残らないということを私個人は感じていたからだ。
そこで編集ディレクターと相談をして、まず前振りで藤原のコメント、先方の話を編集し通しで流す。その後に先方の話の中でそこが要点だということを藤原が掴み、その要点に対し藤原がじっくり自分の考えを述べる、というインタビューとしてはおそらくこれまでにはない方式を作ったわけだ。
このような試みはおそらく本邦初めてのことで基本的には聴く側に評価を預けるわけだが、私自身は成功したと考えている。
こうした方式をとったのはネットではなく、紙媒体における活字化した対談とその後書きの記憶があったからだ。
とかくネットでは人の言葉は軽くなり、さらにはリモートや電話対談のようなものになると言葉というものが活字のように定着しない。
そういう意味では今回のPodcastはネット言語の活字化の試みであるとも言える。
今回インタビューさせていただいたのはロンドンに20年ほどお住まいのジャーナリストの森園ユウさんである。
この方は編集サイドの方から探してコンタクトをしたのだが、奇遇というべきか私と過去に縁があった方というのが以下のようにわかった。
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ロンドンの森園ユウさんは、20代の頃、J-WAVEで番組制作の仕事に携わっていました。
そして、彼女がロンドンに移住する前の数年間にやっていた番組が、(僕の友人である)ロバート・ハリスがパーソナリティを務める夜の番組で、藤原さんが一度、その番組のゲストとして出演されたのですが、そのときに、藤原さんにご連絡し、番組出演をお願いしたのが、森園さんなんです。
今回も、僕のインタビューに応える前に、彼女は藤原さんのPODCASTをほとんど全部聴いていて、その彼女が僕に、「藤原さんは、誰かにインタビューしても、もちろん面白いけれど、でも、ひとりで喋っているのが、一番面白いし、きっと聴いている人たちの多くは、藤原さんの独り語りが聴きたいんじゃないか」
と僕に言っていました。
編集ディレクター今井談
Podcast 藤原新也「新東京漂流」