2020/04/23(Thu)
真実や事実は、時に妄想より生まれることもある。(Cat Walkより転載)
いつのトークだったか忘れたが、コロナウイルス問題が立ち上がった早い段階から対策として一気に外出禁止令を出し、短期勝負に出ることを提案していた。
短期であるならあらゆる分野で収入が途絶えたとしてもなんとか持ちこたえることは可能だろうし、余力を温存できるからだ。
日本の場合は法制上諸外国が取るようなドラスティックなやり方は難しいというのが評論家などの口癖だが、安倍政権はこれまで東京高検検事長の定年延長など都合の良い時には超法規措置を弄してしてきたわけであり、こういった強権的な超法規措置をこのコロナウイルス問題にこそ取ってもらいたかったのである。
だがいわば戦争と言えるような命がけの局面ではこの国はオロオロと態度が定まらず、今やこの日本のコロナウイルス問題は何やら”生殺し”の様相を呈しはじめている。
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だがこの生殺し状態は、それが意識的でないとしても、何やらあの中国メソッド(方策)に似か寄りはじめているのではないかとの思いを最近もちはじめている。
これはあくまで個人のひとつの妄想と受け取ってもらっても構わないが、私は4月8日に武漢の都市封鎖が解除され、新たな感染者をゼロと発表し、あの一列に並ぶ看護婦が満面の笑顔で次々にマスクを取る中国式コマーシャルを見たとき、あるマスコミ関係の人間に「いよいよ中国も腹を括ったな」と冗談まぎれに言った。
その腹を括ったと言うのは一定数の犠牲者(死者)が出ることを容認し、集団免疫方策に切り替えたのではないかと言うことである。
つまり新型コロナウイルスによる死者は中国全体の人口からするときわめて微々たるものに過ぎない、
ご承知のように中国では人口抑制を目指し79年より2015年まで一人っ子政策をとり、4億人の人口が抑制された。
だがこの人口抑制によって逆に社会の高齢化問題が生じた。
この日本でもそうだが、高齢者というのは一般的には生産性に寄与せず、医療保険や年金授受など、国家財政の負担になるわけだ。
そのようなことを勘案しながらつまり船長の妄想するところのものは生産性に寄与しない老いの世代の犠牲の上に立った「適者生存」の道を中国は選択したのではないかと言うことである。
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この適者生存は地球上の生物の歴史におけるいわゆる自然淘汰という名の間引きであるわけだが、人間は適者生存の勝者として地球に君臨した。
だが他の動物の領域を収奪し、あるいは飼育化したことによって人間と動物の閾値が狭まり、他の動物生存内に幽閉されていた未知のウイルスに人類が感染しはじめたというのが疫病というものの歴史である。
これは私の住む房総の例でもよくわかることで、30年前からは猿と人間社会の距離が縮まり、猿害(これは人間側の言い方だが)が状態化し、ここ6〜7年のスパンで猪、鹿という種目が人間と急激に近接状態になり、先日も夜大きな鹿が車の前をよぎり左ヘッドライトを破損させたというように、すでに多くの動物と人間との閾値はゼロベースと言っても過言ではない。
今回の新型コロナウイルスはコウモリの媒介と言われているが、ご承知のように何やら結果的には人間が生み出したと言えるこの新しい疫病をもたらすウイルスは人間と同じくどんどん巧妙になっている。
例えばエボラ出血熱のエボラウイルスの場合、頭が良いとは言えず、感染するやすぐに人を殺し、心中するがごとく自らも絶えたわけだが、この新型コロナウイルスの場合は自分が生き延び、繁殖するために無症状の感染者を宿主として世間を徘徊させるという作戦に出ているわけだ。
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私が「中国は腹を括ったのではないか」と言ったのはこの健康な若年者が軽傷、無症状のままやがては免疫を獲得し、老年、特に基礎疾患のある老年代が亡くなるという得意な特質を持つ新型コロナウイルスと極めて冷酷に、そして巧妙に中国共産党は手を結んだのではないかということである。
いわば「適者生存」による社会の再編成、あるいは人工淘汰である。
あの折「とうとう腹を括ったな」と冗談めいて私は電話口でそう言ったわけだが、実は自分でそう言いながらも半信半疑なところがないわけだはなかった。
だがそれから数日後に私の妄想の海に真実の水滴が垂らされるかのような報道が何かと中国の嘘を暴く香港メディアによってもたらされる。
香港英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストがまだ武漢には無症状の感染者が4万3千人以上いながら公表していなかった」との告発記事を出したのである。
私は自分の妄想が真実味を帯びてきたことにゾッとした。
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ひるがえって、いまだにPCR検査をせず(あるいはできない)正確な感染者数すら把握できないこの日本にあって”放置策”でこの難局を乗り切ろうとする無意識の力学が働いているとするなら、それは冷徹な試算の上に成り立った中国メソッドとその場しのぎの無計画で事態を野放しにしているこの日本とが異なりながらも似る結果をもたらしつつあるということかも知れない。
そんな中、今日ある大学病院において興味深いデータが発表された。
今月、慶応大学病院は新型コロナウイルス以外の患者67人に対して、新型コロナウイルス感染の検査を行ったところ、およそ6%の人が陽性だったことがわかったと発表したのだ。
当然このサンプリングは話題になりNHKのニュース9でも司会者が専門家会議の尾身茂副座長に質問をしたが、その答えは口ごもって何を言っているのかさっぱりわからなかたた。
仮に慶応大学のサンプリングを一つの尺度とするなら東京の人口1300万の6パーセントとすると70万人が感染していることになるわけだ。
仮にその試算がオーバーであるとしたとして、その半分でも35万人となり、オリンピックが延期されたにもかかわらず昨今ずっと都が発表してきている毎日百数十人台の感染者という今や誰も信用していないこの数字との乖離が激しい。
この乖離が無能無策のゆえに結果的には巧妙な中国共産党と同じ適者生存の道を無意識に選んでいる一つの現れとするなら別の意味で怖い話となるわけだ。
2020/04/20(Mon)
「一灯照隅・万灯照国」それに尽きる。(CATWALKより転載)
このコロナウイルス禍の時勢において前後左右さまざまな問題が私たちを取り囲んでいるが、その細部は置くとして大きく分けると以下のようになる。
@感染、そして感染爆発(アウトブレイク)をいかに防ぐか。
A医療崩壊をいかに防ぐか。
B対社会(国家や他者)に対する意識をどのように維持すべきか。
C日常長期化する禁断(自制)生活への対処(医療崩壊と同時に懸念される家庭崩壊)。
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今日は@に関して述べるなら、定期的に情報を提供していただいている医療関係のN.Y.君の後記の投稿にもあるように早急の問題は指数関数的に上昇する感染者数が感染爆発(アウトブレイク)に至ることをいかに食い止めるかということにある。
そんな中、何か神のようなものの降臨を頼むというような他力を期待することは禁物で、私たち個人個人がその鍵を握っているという自覚を持って出来ることは、ことわざの「一灯照隅・万灯照国」的行動をすることに尽きる。
つまり自身の足元を照らすに過ぎない小さなともし火も、それも万集まれば国をも照らす力となりうると言うことである。
今ほどこの言葉が実践的側面を持って迫っている時はない。
専門知識の持たない私たち個人個人にできることは当初からこのトークでも述べているように単純に「うつさない・うつらない」を日常の中で各々が努力することに尽きるわけだ。
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私個人のことで言うなら人との接触を完全に100%にシャットアウトできないものの、たとえば本当に残念だが、この5月に予定していたPhoto Award授賞式の会場をキャンセルし、Parisの写真展のクローズに合意し、また近々行われる新聞のインタビューを電話インタビューに切り替えてもらい、いま現在進行中のラジオに関しても番組の軸と考えていた他者との対面のインタビューはこのコロナウイルス問題が収束するまで一旦据え置き、人との接触のないそれに変わる新しい企画を考えたりとさまざまな方策を練っている。
ラジオではこの22日に私が東京を歩いて実況をすると言う企画を立てていたが、それもとりやめてもらった。
屋外でもあるし、確かにそのことによって即他者にうつしたりうつされたりと言う状況は生まれない可能性の方が高いが、それ以上にこういったメディアというものが特別な存在で、市井の人々と異なった行動を取っても許されると考えるのは思い上がりで間違いだからである。
というよりむしろメディアこそ、逆に人々の範を示さなければならないと私は考えており、相手側そのことを伝え、納得してもらったわけだ。
仮にラジオの場合、私のモノローグ(語り)のみの場合であってもスタジオに赴いて人の接触が生じるわけであり、その接触機会を軽減するべく、自分単独でレコーディング出来るようにミニスタジオ的なレコーディングシステムの構築をはじめている。
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N.Y.君から提供していただいた世界の政治、経済、人口、などさまざまな分野をリアルタイムで数値化する「Worldometer」では世界の国々と比べ、感染者の指数関数的伸長率が、特に同質のウイルスに感染していると見られるアジア諸国と比してこの日本が”置き去り”に近い状況であることが知れる。
安倍政権下で、特に311以降完全に内向きになったメディアや国民意識は、今こそ世界の側から自分を見つめる視点を持たねばならないことがWorldometerのデータであからさまになるわけだ。
当初からPCR検査を徹底的に行った韓国はすでに感染者数1日あたり1桁台となり、街は元どおりの賑わいを見せ、頭脳的作戦を講じた台湾に至っては新型コロナウイルスの封じ込めに成功し、すでに感染者数ゼロを達成している。
この結果は韓国や台湾の場合はサーズ時の教訓が生きているという決まり文句の言い訳は通らず、日本の新型コロナウイルス対策(対策をして来なかったこと)があきらかに失敗であったことが浮き彫りとなっていることを示している。
この分だと隣の国々では市民が焼肉店や中華店で開襟し、ワイワイと宴会をやっている最中、ニューヨークやマドリッドなどに続いて遅れた感染爆発(アウトブレイク)がこの日本を襲い、世界の注視を一身に浴びないとも限らないわけだ。
そして政府と国民がそれくらいの危機感を持っているかどうかだが、この政府にしてこの国民ありというべきか、巣鴨のとげ抜き地蔵通りや普段より人通りの多い戸越銀座のにぎわいを見ると言葉は悪いがバカがぞろぞろ闊歩して家族や国を滅ぼそうとしているという以外の何か適当な言葉が見つからず、実際に国が滅びてしまった戦前の街を闊歩する提灯行列を彷彿とさせる。
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そういう意味でせめてこのCATWALK船内だけは自覚を持っていただくために世界で2千5百万回以上ものアクセスがあった、アメリカのミシガン州の一人の家庭医が「家庭でも応用してもらいたい」とアップした「医療の現場で行われている物による感染防止方法」の動画を以下に貼り付ける。
https://www.youtube.com/watch?v=sjDuwc9KBps&feature=youtu.be私もこのトーク内で宅急便などの箱や内容物の熱消毒を提唱したが、動画を見ながらここまでやるか、との思いが生じないでもない。
だがすでに新型コロナウイルスが蔓延している以上、医療の現場で行われているモノからの感染防止方法を取り入れなければならないような現実に私たちが直面しているということである。
どこやらのテレビで若い小ぎれいな医療関係のゲストが司会者が「物からの感染はないのか」との質問に対し、諸外国ではそういった報告はないからその心配はない、と妙に流暢に自信を持って答えていたが、ドアノブやエレベーターのプッシュボタンからの感染は早くから言われているところのものであり、そういった専門職風の人間でさえつい無自覚なウソをついてしまうような日本のご時世への警鐘としてもこの動画は機能しているとも言える。
2020/04/17(Fri)
太平洋戦争時の大本営のあの読みの甘さが蘇る今日(CATWALKより転載)
ダイヤモンドプリンセス号が横浜港に着岸したのが2月3日。
乗客が全員下船したのが3月1日。
ほぼ1ヶ月間、新型コロナウイルスの汚染問題は陸から切り離された対岸の火事として私たちはそれを眺めていた。
だが今や海洋に浮かぶ島国この日本国そのものがダイヤモンドプリンセス号と化し、以降今日までめまぐるしい日々が続くが、今日やっと首相は緊急事態宣言を全国区に広げた。
東京に緊急事態宣言が発令されたのは7日だから10日後ということになる。
政治というものが事態の予期予測の上に立って政策が履行されるものであるとき、これは政治と呼ぶ代物ではない。
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房総の私が住む周辺の人々にもマスクが欠品していて、朝早くから薬局に並ぶのだが、いまだに手に入らないというような近隣の人の話を聞き、今月に入って私は自分のルートで通常のマスクが手に入るたびに現地に赴き、とくに人と接する職業の人に配っているわけだが、東京に緊急事態宣言が発令されてのち、それまでガラガラで時には見渡す限り前を走る車が見当たらないという閑散状態の続く房総方面の高速道路が、東京に緊急事態宣言が発令された途端、通常状態より車が増え、ああこれは武漢やニューヨークに緊急事態宣言が出された時の光景そっくりだなと思った。
武漢の場合、都市封鎖がなされるということで、その前に膨大な数の離郷者が武漢以外の土地に逃げ出し、それがまた感染クラスターを生むという現象が起きたわけだが、この東京でも緊急事態宣言が発令されたとき、そこに”ミニ武漢”が展開されていたわけである。
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今回政府が緊急事態宣言を全国区に広げたひとつの大きな要因が、緊急事態宣言の出された東京や大阪などの大都市から人々が地方に流入し、そこで感染が広がる現象が起きたことにあるわけだが、政治というものが事態の予期予測の上に立って政策を立てる事業である時、このように起こったありさまを見て、慌てて後追いで政策を変更するようなやり方は政治と呼べる代物ではなく、私はこの政府にこの世紀の緊急事態を任せて大丈夫かとの思いを強くするわけだが、私の知る限りそのような当然あるべき批判論調が出てこないところを見ると、その緊急事態を受ける側、報道する側も俯瞰的視点で今回の一件を眺めていないということだろう。
まったく前例のないことならともかく、武漢にしてもニューヨークにしてもケーススタディとしての前例があったがゆえになおさらこの思いが強くなるわけだ。
武漢のことが念頭にあれば東京に緊急事態宣言が出されてのち、それに続いて直ちに人々の動静を把握するということをやっておれば、それから10日間(急速に事態が進展するコロナウイルス問題に関する限り10日間はあまりにも長い)もうすらぼんやりとはできなかったはずだ。
そんなことは例えば東京から各地方に向かう高速道路の料金所やインターチェンジでの交通量の変化をウォッチし記録すれば簡単にわかることである。
私ですら気づいていたそんな簡単なことをおそらくやっていなかった公算が大きい。
あるひとは今回のコロナウイルス問題を戦争になぞらえるが、これが戦争であるとするなら、あの太平洋戦争時に方々で起きた稚拙な作戦のゆえに兵士が見殺しにされた事例が既視感のように蘇る。
というより大本営の総指揮官の読みの甘さとそれを取り繕う虚偽が事態を悪化させたわけだが、何やらあれと瓜二つでなければ良いがとの思いを強く抱かせる今日の出来事ではあった。
2020/04/11(Sat)
藤原新也J-WAVEラジオ「新東京漂流」放送開始!!
2020/04/09(Thu)
オードリー・タンIT担当大臣の電気釜と安倍首相の高価な給食マスク間に横たわる知能を分け隔てる深い川。(CatWalkより転載)
7日の緊急事態宣言の視聴率は70パーセントというから国民の大部分が固唾を飲んで成り行きに注視していたわけだ。
だが蓋を開けてみれば何一つ方策と呼べるような案もなく、ただ政権の自信喪失とふらつきばかりが目立ち、さらに国民の不安を増幅させてしまった
この自信のないふらつきは安倍首相が装着している布マスクに象徴される。
◉
466億円もの大金を使い、全家庭に2枚の布マスク(これは戦後給食おばさんが唾を飛ばさないよう口元につけた布マスクに同じ)を配るという信じがたい堕策を発表するやいなや、各方面から非難の嵐にさらされ、さらに布マスクは不織布マスクに比べ使い物にならず、首相の装着しているマスクの小ささを指摘されると、慌てて彼は通常の不織布マスクに付け替えたところ、今度は、では国民に配った布マスクを安倍首相はなぜ装着しないのかという真っ当な批判が飛び出た。
そうすると安倍首相はまた不織布マスクを辞め、再びあの隙間だらけのちょんちょこりんな布マスクを再装着しはじめた。
今現在彼がテレビ画面に出てくるときはいつも案外安倍にお似合いの給食おばさんになっているのだが、ここで注目したいのは奇妙なことに背後に居並ぶ厚労省の役人もまた一律給食マスクに切り替えていることである。
マスク評論家としての私は議員や役人がどういうマスクをしているのかよく見ているから知っているのだが、以前は厚労省の役人は思い思いの不織布マスクを装着していた。
だが会見で前面に立つ安倍一人が給食マスクで背後の役人が不織布マスクでは格好がつかず、どうやら役人にもテレビに映るときは自分と同じ布マスクをしてくれと要請したことがその画面からアリアリと読み取れるわけだ。
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一国の首相でありながら、一国の国難時に自分の立場を擁護すべくこまごまと小細工をするこの人間の器の小ささがそこに見て取れるわけだが、私がすでに終息しているマスク問題にこだわるのはこれは単にマスクにとどまる問題ではなく、そう言った細部にこの緊急時に政権の「ふらつき」というものが如実に見て取れるということに他ならない。
ちなみにこの天下の愚策に使った金が4百66億円とあるから試算してみると、困窮に陥る1万軒の何らかの店舗に一店舗あたり466万円、10万軒の店舗ではそれぞれ一店舗あたり46万6千円もの救済金を配ることのできる大変な額である。
そう言った大変な資金をみすみすドブに捨てたということだ。
さらに付け加えるなら緊急事態宣言で何一つ緊急に対策を打たなかったにも関わらず、この天下の愚策の無駄使いだけは超スピードで挙行しているところをみると安倍のこれまでやってきた過去の仕業からするとそこに何らかの利権が絡んでいたのではないかとの疑いすら抱く。
そんな現自民党は過去の民主党の為政を「悪夢」と揶揄したが、すでに現政権もまたすでに自らの悪夢にうなされていると言って良いだろう。
◉
ただし、ここまで政権の底が割れたことは逆に私たちに一定の覚悟を与えたという意味でよかったことかも知れない。
この緊急事態宣言前、そして後に私たちとって変わるべきことがより明確化したからだ。
それは単純に自分の身は自分で守るということである、
「うつさない、うつらない」に日常の行動を収斂させるということだ。
そのことがよりはっきりしたわけだ。
その「守る」の中の最も重要なアイテムの一つがマスクということである。
そんな中、台湾のデジタルミニスターことオードリー・タンIT担当大臣がなかなかハッピーな動画をアップした
品薄のマスクの使い回しとして船長はどこの家庭にもあるドライヤー消毒を推奨したが、タンさんは電気釜を推奨しているのである(8〜10分間空の電気釜にマスクを入れ熱で殺す)。
一本取られた感がなくもないが、60度で死滅するコロナウイルスを熱で殺すという案は同じなので彼と船長は兄弟とみなしてもよいだろう。
予算ほぼ0円、国民の誰もが等しくその恩恵を受ける。
これこそ政治というものである。
クルーのみんなもさっそく明日からやってみると良い。
このCATWALK号ではもう安倍は相手する意味はないと思っている。
これまでもクルーの中から身を守る方策がいくつか飛び出しているが、荒海航海に向けて、このオードリー・タン君のように色々な案を出してもらいたいと思う次第だ。
追記
全家庭に布マスクを配った厚労省は以下のようにとうとう白旗を上げ、N95マスクの再利用についての情報をかき集めているようだ。
https://www.mhlw.go.jp/content/000619969.pdf?fbclid=IwAR1SGtFBXqd5Pw_vvxyItA6elvp22f4QnRBeXS_jsp4c-6U34ieJdiVf4NI
IQ180のオードリー・タン君に聞け。
2020/04/02(Thu)
金曜爆弾、1日前倒しで木曜爆弾!!。(CatWalkより転載)
今日は終日外出していたので自宅に帰って知ったのだが、政府は一世帯に二枚のマスクを配るという案(決定?)を出しているという。
気は確かかと唖然とした。
こう言った大口の予算を使うに当たっては当然首相が決定しているのだろうが、この準戦争時にまるで小学生がママゴトをやっているかのような思いつきを国民に押し付ける総理を持つ「愚鈍」というものの空恐ろしさをつくづく感じる。
マスク不足が言われる中、こういう挙に出ると国民は拍手喝采するのではないか、といういかにも受け狙いであり、これは政策と呼ぶべき代物ではなく単なる寝起きの思いつきである。
◉
私は3月27日の段階でいち早く首都を封鎖すべきと提言している。
フランスのようにいち早く封鎖し(強権発動をすることは救済のための莫大な予算を計上するということでもある)就労者や店舗や中小企業への金銭的保証をすべきなのである。
以下極論(それくらいの覚悟が必要ということ)。
どこから出すか。
借金すればよい。
日本政府は今1,100兆円の借金がある。
この借金を1,200兆円にして、100兆円を困窮する中小企業や個人に充て、まず労働力と日本の生産性を温存しなければならない。
医療崩壊のみが叫ばれているがこのままでは「就労崩壊」「店舗運営崩壊」そして日本の生産性を下支えする「中小企業崩壊」が起きかねない。
労働環境の崩壊を食い止めれば、コロナウイルス問題が過ぎ去ってのち恩返しとして国民こぞって勤労に励み、国家に寄与する。
大企業には補助は無用だ。
こういう時のために莫大な内部留保を確保しているわけだから、それで食いつなげばよい。
それくらいの思い切った荒技はひょっとしたら田中角栄あたりはやったかも知れない。
それが何だ、マスクを一世帯2枚だと。
ケチバカドジにもほどがある。
私はこれまでことあるごとに安倍を批判してきたが、さすがにここまで真性のバカだとは思わなかった。
私はコロナウイルス問題ではメンタル不調とは無縁だが、国家の頂上にこんな愚鈍な人間が鎮座していることに対し、少なからぬメンタル不調を感じるものである。
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私はすでに3月27日の段階で以下のように述べている。
あくまで私個人の見解だが、感染者の実数が日に40人レベルで勇気ある為政者が責任を取って、なるべく速やかに都市封鎖(ロックダウン)を発令すべきだと考える。 この荒治療は当然多大な犠牲を伴うわけだが、ダラダラと長引く曖昧な擬似ロックダウンはやがてコントロールも収集もつかない局面を私たちに突きつけかねない。抗生物質をダラダラと曖昧な飲み方をして、菌に耐性が出来、ついには治療不能に陥るのと同じだ。例えば店に例を取るなら半年持ち堪えればなんとか復活できるものが、ダラダラと今のまま生殺し状態が1年2年と続くと本当に息の根をとめることになる。 手術は早いに越したことはない。そんな中、ノーベル賞科学者の山中伸弥教授も同様の見解に立って昨日「山中伸弥教授による新型コロナウイルスに関する5つの提言」を発表し
「ウイルスの特性や世界の状況を調べれば調べるほど、新型ウイルスが日本にだけ優しくしてくれる理由を見つけることが出来ません。検査数が世界の中でも特異的に少ないことを考えると、感染者の急増はすでに始まっていると考えるべきです。対策は先手必勝です。中国は都市封鎖をはじめとする強硬な対策をとりましたが、第1波の収束に2か月を要しました。アメリカの予想では、厳密な自宅待機、一斉休校、非必須の経済活動停止、厳格な旅行出張制限を続けたとして、第1波の収束に3か月かかると予測しています。わが国でも、特に東京や大阪など大都市では、強力な対策を今すぐに始めるべきです。」と今すぐ強力な対策を開始することを訴えている。
https://www.awaji-doctor.com/2020/04/02/山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信/この一学者が正鵠を得た政治的発言をするその様を見ていると、このような人物が国を牽引する総理に成り代わるべきである。
国会では急に議員がマスクをつけ始めている。
今回配るマスクが布製マスクというのも馬鹿げている。
布マスクは織目穴が大きく、喉の湿け保護以外スカスカで何の役にも立たない。
サージカルマスクに代表される不織布という近年発明された技術は大したもので0、1マイクロメートルのコロナウイルスに対しても多少の効果は認められる。
安倍首相が国会演説で布マスクをしているのを見ると、やはり世代だなぁと思う。
何度も洗えるあの懐かしい布マスクがエコでいいというこの感覚こそが時代遅れなのだ。
北海道知事はその点若い世代でサージカルマスクをしておりこの世代感覚の差が歴然と出ている。
議員の中にもサージカルマスクをしているものも見かけるが、私が見るところ多くの議員が付け方を知らず、裏表反対につけている。
折り山の隙間が下向きに来るようにつけるというこういう初歩的なことも知らないのだ。
このようにマスクに無知な連中がマスクを国民に配ると言ってもリアリティがないのである。
それに莫大な送料。
そして気の遠くなるような膨大な手作業。
この金と労働力はクラスター追跡の人海戦術など別の形で使うべきなのだが、そう言った地味な努力は国民の目には見えなず、マスク配布の方が点数を取れるというポピュリズム感覚が今回のマスク配布に出ているように思う。
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