せっかくクリスマスソング「スマイル」で2019年のさまざまな汚濁を洗い流したところだが、この年末はやはり最後の汚濁の締めくくりと言うべきものが再発生しているようだ。
例の秋元司自民党衆議院議員の収賄容疑の逮捕のことである。
この案件は一見カジノ誘致に絡む単純な収賄事件のように見える。
だがこの安倍政権の極めて高度な政治手法と言うべきか、と言うよりこの案件は安倍政権お得意の保身のための極めて込み入ったひとつの政治詐術のように船長の目には映るのだ。
というのは11月末あたりから小泉進次郎にまつわる大きなスキャンダルが出るぞ出るぞという噂がメディアの水面下でささやかれていたのが船長の耳に入っていたが、そのスキャンダルが今週の週刊文春のトップ記事、つまり政党交付金による政治資金を知り合いの訳もわからぬ幽霊会社に4千300万円もの発注をかけ、その大半をキックバックさせたと言う税金収奪スキャンダル、と言うより犯罪と言うべき案件だったわけだ。
だがこの週刊文春の記事が出る直前に秋元議員がまさに超特急と言えるべき速さで東京地検によって逮捕された。
船長にはこの両者の関係がタコが自分の足を敵に差し出して自分の身を守ると言うタコサバイバルと言うふうに見えてしまうのである。
つまり秋元議員の逮捕は確実に小泉進次郎の事件を打ち消すべきスピンコントロールとして機能しているわけであり、週刊文春の記事が出た直後の今日のテレビのワイドショーは秋元議員逮捕一色である。
ではなぜ小泉進次郎のスピンコントロール役として人身御供のごとく自分の党の議員の首を差し出したのか。
そこには桜を見る会のみならず自民党のさまざまな不祥事に対して地検が一切動かないと言う世間の批判によって地検は大きなストレスを抱え込んでいるという背景がある。
つまり地検は自民党の本丸へさえ手を突っ込んだのだと言う、この実績を与え、ガス抜きをすることが必要と判断されても決しておかしくはない時期に来ているのだ。
船長の憶測が当たっているとするならこの人身御供となった秋元議員は小物であり、彼の逮捕は自民党本体に大きなダメージを負わせるものではない。
つまり差し当たって生きるには必要ではないタコの足なのである。
だがその能力はあるか無いかは別として次期総裁候補として名前の上がっている小泉進次郎の政治生命を奪うやもしれないスキャンダルは、自民本体に大きなダメージを与えてしまうわけだ。
この自民党と言う政党は懐が深いと言うべきか、自身の身を切り落とすタコのサバイバルもどきの行動さえ手法のひとつとして消化する巧みを弄する。
そんなことを考えていると今の今、秋元議員のカジノ疑獄を仕掛けたのは安倍側近という記事がネットに出た。
船長、ちょっとニヤリとしたがどうもほろ苦いニヤリではある。
私の知り合いに事件事故などの死体を処理するTという葬儀屋が居る。
警察などが実況検分を行った後に死体を処理するそういう職業があるということを人はあまり知らない。
彼は15年ほど前、房総において物置となる借家を世話してくれた不動産屋だったが、倒産し、家族を養うためにそういった仕事についた。
その彼が面白いことを言った。
腐臭を発する数々の死体を処理する過程で最初は耐えられなかった腐臭に徐々に慣れ、死体を見ただけで嗅覚が麻痺したようになり、強い腐臭にさいなまれる苦痛がなくなったというのである。
腐臭慣れ、ということであろうが人間の脳というのはそういう防御にも働くのかと驚いたものだ。
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今日その話をなぜ思い出したかというと、情報操作によって国民を騙し続けたことにより戦後在任最長の総理大臣となった安倍首相がここのところに来てさらに腐臭を発しているからである。
ご承知のようにこの「桜を見る会」に首相枠で招待されたジャパンライフ(山口元会長)は主に老人を巻き込んだマルチ商法詐欺によって幾度も消費者庁から行政指導を受けている。
札付きのワルだが、官邸は足がつかぬよう招待名簿は速攻破棄した。
だが悪いことに山口は「桜を見る会」に出席せず(招待状を渡すと手元になくなるからだ)その招待状を詐欺行為の勧誘宣伝として使ったために、戦後最大とも言えるマルチ商法のジャパンライフと安倍首相との関係が明らかになった。
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思うに今「桜を見る会」の招待名簿が速攻シュレッダーにかけられたことを野党が問題視し、追求しているが、船長個人の観測としてはこの速攻シュレッダーはジャパンライフ隠しではなかったかと思われる。
この案件はそれほど表に出てはいけない大物だった(おそらく名簿が復元されてもジャパンライフ以上の大物は出てこないのではないか)。
要はなぜ安倍首相がジャパンライフの山口を招待名簿のトップに上げているかということだが、テレビ新聞では証拠を持たないが故に(あるいは忖度)このことは伏されているが、2千億もの利益を上げ(消費者庁からの天下りが功を奏して)逃げ切った山口はおそらく各方面に巨額の献金を施しているはずである。
ということは老人から金を巻き上げているオレオレ詐欺など足元にも及ばない莫大な金を老人らから騙し、取った金の一部を一国の国を運勢する政治家が受け取っているとすれば、これはれっきとした「事件」なのである。
安倍首相は何が何でもこの案件をうやむやにしなければならない。
要するにまたぞろ森友・加計に続く、というよりそれをはるかに凌駕する腐臭を安倍首相は発しているのだが、ここで前段のエピソードに戻ることになる。
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この長期政権の中、安倍首相は折々に腐臭を撒き続けてきた。
だがそれがまさに政策であるかのごとく、国民に件の死体処理業Tと同じように”腐臭慣れ”という嗅覚麻痺を起こさせていると言える。
さらに由々しいことにこの事件発覚の最中安倍首相は各マスコミ官邸キャップと会食し懐柔策を弄し、毎日以外のマスコミはノコノコと会食に出かける始末。
さらにはことほど重要な事件であるにも関わらず、自民の息のかかったコメンテーターや識者はこれは一国を左右する問題ではなく他にもっとやるべきことがあると火消し役に回っている。
その代表格が元NHKキャスターの木村太郎だろう。
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私は生え抜きの彼がアメリカ支局の局長を経てNHKのニュースキャスターをしていた頃はその冷静で硬派な印象に好感を抱いていた。
そして彼とは過去に一度会っているが、その折の彼の言動には興醒めした覚えがある。
私が「アメリカ」を上梓した折のことである。
彼がホストをつとめる民放のラジオ番組から出演のオファーがあり、アメリカ滞在の長い彼とアメリカの話ができるのは面白いと二つ返事で出演を快諾した。
だが収録の当日のスタジオでの彼の第一声には???となった。
「あー、とうとういらしてくれたんですね。なかなかこういうところに出てくれない方でスタッフも度重なる交渉の末、やっと出演の快諾をいただきました」
私がその時感じたのは彼がオーバーな表現で自分の番組を盛り上げる、いかにも民放的なスタンスになったのだなということだった。
そんな彼は最近歳を取るとともに自制心を失い、オーバーアクションが過剰になりネットニュースでは木村が野党が「桜を見る会」に拘泥することに”激怒”とある。
批判批評ではなく、この”激怒”はジャーナリストの持つべきスタンスではない。
いや怒りの感情を持つことは悪いことではないが、その感情に溺れて表に垂れ流すことは慎むべきものである。
木村はジャーナリストでありながらどうも事件としての桜を見る会を見失っているのか、何らかの忖度があるのかは釈然としないが、この”激怒”というスタンスには独特のエリート(特権)意識が老いによって歯止めがかからなくなった老残の一風景という風に私には見える。
老境に入る者は反面教師とすべきだろう。