Shinya talk

     

 

2019/08/14(Wed)

無責任な憶測の飛び交う「愛知トリエンナーレ」における実情。(Catwalkより転載)

愛知トリエンナーレの問題は表現者としての私にとっても簡単にスルーできない問題であり、お盆休みではあるが、近々に収集した情報を元にまず外部に出ていない内部事情を掲載する。





今回の愛知トリエンナーレ「表現の不自由」展の開催中止に関し、芸術監督を務めた津田大介に対する非難は大きくわけて二つに仕分けができるだろう。



ひとつは従軍慰安婦像の展示に対する非難と攻撃であり、今日のこじれた日韓関係と長引く従軍慰安婦問題と徴用工の問題を考えれば非難攻撃は当初から予想されることであり、当然主催者側も津田大介もそれは織り込み済みでの開催と私は考える。



その意味でこの件に関しては展覧会の中止に追い込まれる問題ではない。



問題は今回の展覧会開催中止の局面にあって、中止すべきでないとの立場を取る有識者の発言が中止を決めた芸術監督である津田大介に対して欠席裁判の様相を呈していることである。

特に私にとって気分が悪いのは右派が左派的なものを攻撃対象とすることは普通のことだが今回は左派的なものが左派的なものを非難攻撃するという左派政治集団によくありがちなタコが自分の足を食っているような状況を呈していることだ。



その代表的な発言のひとつが8月10日の朝日新聞の宮台真司のインタビュー記事だろう。

彼は芸術監督を務めた津田大介およびトリエンナーレ実行委員会を“未熟”すぎると以下のように一刀両断している。



「今回の中止は脅迫による困難が理由で言語道断です。毅然とした態度を貫かないと脅かしたもの勝ちとなる。フランスのシャルリー・エブド紙襲撃事件では、マスコミも政治家も識者も「テロに屈するな」と叫んだはずです。警察と連携、別会場でボデイチェックなど対処法を編み出すべきなのに、それをせず三日間で中止したトリエンナーレ実行委員会や津田大介芸術監督は未熟すぎます」



正論である。



問題はこの種のまっとうな正論がフランス市民革命によって自由の権利を勝ち取ったフランスではなく、未だにアメリカの植民地国家として己の主体性を失っているこの日本において通用するかということである。



というより宮台真司は他者を未熟と名指しする前に主催者側及び津田大介が今回のテロ脅しに関してどのように対処したかという事実関係を把握した上で発言をすべきであり、そうでなければ欠席裁判の様相を呈してしまい、これは昨今ネットにありがちな相手側の情報を収集することなく一方的に他者を攻撃する様に似て怖いことだ。







私の調べによると実行委員会及び芸術監督である津田大介はテロ予告に関し、手をこまねいていたわけではなく、むしろ敏速に動いている。



つまりガソリンテロ予告FAXが届いたその日に警察と接触し捜査依頼をしているのである。



だがここで信じがたいことが起こる。



所轄の警官が来るには来たが、FAXのヘッダーの部分の発信者番号が5桁しかなかったため「これじゃ発信元わからないから犯人わからないね」というぞんざいな対応を示し、そのまま帰ってしまったのである。

所轄はそのまま知事には「FAXの発信元が匿名化されていてわからない」という報告をしたようだ。



所轄の「発信元がわからない」から犯人は特定できないというコメントを聞いた津田はこのFAXは海外のワンタイムFAX送信サービスでも使ったのかと思ったらしい。


だが、実際にFAXを見たところ、海外のワンタイムFAXではなく、特定ができるのではないかと思い、この種の情報特定が得意な知り合いの記者と、外部の専門家に解析させた。

その結果件のFAXはコンビニのFAX送信サービスを利用したものであるということが判明し、さらに5桁の番号が店番号だということも判明。

そして一宮市にあるファミリーマートから送信されたものだということを突き止める。



私はそのこみ入った経緯を知って大変驚いた。



これって警察がやるべき仕事だろ。



つまり津田は警察がやるべきことを目出度く“代行”していたというわけだ。



コンビニの所在までわかれば監視映像も保存されているわけであり、その後津田らは犯人逮捕に向け、解析した情報を事務局経由で警察に上げた。

そうすると、それまで「発信元がわからない」といって被害届を受け取らなかった警察は一転、事務局に「被害届を出してくれ」という要請がとつぜん来た。

そして被害届けを出してのち当然のことながら速やかに犯人が逮捕されることとなる。



これが犯人逮捕に至る正確な経緯である。



つまり津田が警察まがいの捜査をして、店舗まで特定して警察まで上げなければ警察は動かなかったということだ。

この事実を聞き,一体この国は法治国家なのかとの疑いを禁じ得ない。





これは模倣犯だと思われるがコンビニ経由でのテロ予告以降、断続的に県内各所へのガソリンテロ予告メールが送られて来ているらしい。

こちらは手の込んだやり方をしていて、ある宗教団体のメールフォームを悪用して(メールフォームを送ると、その写しが自分の入力したメールアドレスまで戻ってくる)、脅迫を続けており、こちらについても対応してくれと警察に願いしているが、いまだ被害届すら出させてもらえていない状況らしい。

知事に話してようやく被害届を出させてもらう状況に至っているらしいが、こちらについても警察は「発信元わからないね」と件のコンビニFAX脅迫時と同じ対応とのことである。





ただ所轄によっては正常な動きをしているようだ。

件のコンビニFAX捜査は刑事課の担当で、トリエンナーレ関連のイベントの現場警備は警備課が担当しており、警備課は協力的で、津田が出演するイベントなどでは、必ず私服警官を出してくれるようになったという。



津田は覚悟が決まっており、自身は刺されてもいいと思っているらしいが、お客さんの安全を預かる立場でもあるので、警備の配備には安堵しているとのことである。



先のトークで宮台真司の言う「テロ予告があれば警察と連係」というもの言いを”お花畑”と書いたのは、それは忠告するまでもなく当たり前のことであり、津田らはテロ予告以前の企画の全体像が見えた2カ月前からずっと警察とは「連携」している。



だが実際にテロ予告が来てからの警察の対応が違ったということだ。

FAXという物的証拠がありながら、その発信元を特定する努力を怠った上に被害届すら出させてもらえない異様な状況が展開されたのだ。

つまりこの状況こそ問題視するべきなのである。





つまり津田は宮台の言うように未熟なのではなく、ネットリテラシーに長けた能力を生かし、警察のできないことまでやっているのである。

逆に言えば宮台が津田の立場に立った時、津田がやったようなことが出来たかどうか、それは興味深いことである。


だが今回の最大の問題はなぜ警察の動きがかくも鈍いのか、ということに尽きる。

それが単なる地方警察の能力不足なら、まあそんなものかと思うわけだが、今回の犯人「放置」が、官邸あたりから何らかのサボタージュ指示が出ているとすればこれは言論の自由問題としてきわめて深刻な事態ということになる。


余談だが個人的には津田はまだトリエンナーレ再開に向け諦めていないとの感触を抱いている。

だがそれには警察の協力は不可欠であり、前後の経緯からするなら難しい局面に立たされていると言えるだろう。




なお、この論考はあくまで事実に即した展覧会の運営上の内部事情を記述したのであり、展覧会そのものの評価をしたものではないことをお断りしておく。



     

 

2019/08/12(Mon)

法治国家でない限り、表現の自由は成り立たないという基本が守られぬ三流国家としての日本。(CatWalkより転載)

Y.T
タイトル:小泉劇場

原爆の日の間隙をぬっての小泉劇場。首相官邸を使った小泉劇場に、なんともやりきれない思いなのは私だけでしょうか?
幸い?東京新聞は、翌日か翌翌日の紙上で劇場報道を批判していましたが。
ワイドショーの時間を狙い、将来の首相候補をよいしょする安倍政権。
ここまできたか!という感じです。
でも、批判の声は聞こえてこない世の中。
いやはやです。



Catwalkは今日から18日(日)までお盆休みに入る。


休みにあたって先日催されたトーク&ライブ「旅の音色」を表紙展開としたので休み中に楽しんでいただきたい。


また近々の話題で2点ほど船長の見解を簡単に述べておきたい。


ひとつは投稿にもある官邸を使った小泉進次郎の婚約会見だが、私は当日Catwalk会員の遺骨を船に乗せ、海を回遊していたため、この話題はあとから知ったのだが、官邸とは税金で運営している公共施設であり、また安倍首相の所有物でもなく、そのようなところでテレビを呼んで婚約の記者会見をするというのは公共施設の私物化もはなはだしい。


安倍首相の官邸、そして国会議員ということで何でも自由になるという昨今の自民党の奢りがこのような場面にも出ており、こういった勘違いをロートル政治家ならまだしも若手の議員が平気で行っているのは感覚の狂いを感じる。


進次郎は親の七光りで次期首相などと持て囃されているが、演説の内容などを聞くと大した思想があるわけでもなく小泉純一郎同様小頭の働く小細工師にすぎない。


これは俳優になっている兄の小泉孝太郎も同様で、彼が純一郎の子供でなければ写真家の私から見ればルックスもまったく魅力なく、演技も実に下手くそで、本来ならうだつの上がらない大部屋のただの売れない芋役者に過ぎなかったはずであり、こういったものが世間に持て囃されるというのはいかにも日本的である。



愛知トリエンナーレの「表現の不自由展」にひとこと。


私はこれまで数々の展覧会の審査などを行っているが、表現の自由とは何でも許されるということではなく、私自身も応募作品を却下したことがある。ある大きな展覧会の審査委員長をやっていたおり、コマーシャル系の写真家の応募で次のようなものがあった。


組み写真の@は業務用のミキサーの中で100匹の小さな金魚が泳いでいる。


Aではミキサーの羽がまわりはじめ、金魚がズタズタに切り裂かれ、黒い目玉なども攪拌されている。


Bではミキサーの中で完全にジュース化されたピンク糸の液体が完成されている。


作者は人間はこのように生きものを殺して生きているということを訴えたかったのだろうが、表現のために100匹の金魚を殺すというのは表現の自由の勘違いも甚だしい。


今回の「表現の不自由展」に関しては監修を行った津田大介に避難の矛先が向けられている(この件に関し私は津田大介にひとつの質問メールを送っているが、センシティブな状況でもありいまだ返事はない)。


私が一点聞きたかったのは慰安婦像の展示に対し、ガソリン携行缶でのテロ予告がFAXであったとき、県警は動いたかということである。


のちの調べによると当初どうも県警は動いた形跡がない。


ご承知のように北海道において安倍首相の選挙演説にヤジを飛ばした一般人を道警が連行するというような官警癒着の構造が見られる昨今、こういった日本を非難するような展示に対しての脅しを県警が見て見ぬふりをするということは考えられることであり、実際に県警が動いてテロ予告者を確保したのは県警に対する非難がおきはじめたことによるものであり(コンビニからFAXをするような間抜けな犯人を確保するのは簡単なことなのだが)おそらくテロ予告を放置していたというのが実情だろう。


朝日新聞では宮台真司が「テロ予告があれば警察と連係」などとお花畑的解決策を書いているが、今回の展示では県警は敏速に動かなかったという経緯が濃厚であり、であれば法治国家としての体を成していないということになる。


かりにそうであれば主催者側および監修者は無法国家で展を開催せざるを得ないということであり、開催の中止はやむを得ないというのが私の見解である。


表現の自由を盾に当事者を非難中傷することは簡単だが、ことこの日本に関してはさきのフランスのシャルリー・エブド襲撃事件のようにメディア警察一体となった表現の自由に対する毅然とした態度のようなものは望むべくもなく、今回の一件はこの日本が三流国家であることをはからずも証明する結果となったと言える。






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