「大鮃」の海を行くCatwalk号が少々難所にさしかかっていて現在迂回中である。
この難所をなんとかクリアーできれば目的地に着くはずだが、自然というものはいつ何時異変があるかも知れないので要注意。
3月いっぱいが締め切りということは読み返しと添削修正、あるいは書き換えを考えると遅くともこの20日には脱稿しなくてはならないがギリギリの状態だ。
大きな反響を呼んでいるCatwalk内での小説「大鮃」連載の構成もあり、その間しばらくはこのトークも休眠状態となるので悪しからず。
ところで先にいち早くトークで取り上げた「日本死ね!!!」問題がひろがりを見せ、衆議院予算委員会では民主党の山尾桜里議員がこのブログを紹介しながら政府に質問し、安部首相はこのブログが匿名であることを理由に撥ねつけ、それが波紋を呼びさらなる批判の輪が広がっている。
だがここで違和感を持つのはこの日本死ね!!!という抗議は現政権に向けられたというより、戦後の日本の為政に向けられたと考えるべきであり、そういう意味では過去に政権を取った民主党にも責任があるわけだ。
野党に転落したからといって一転してこの問題に攻めの姿勢に入るのは厚顔無恥。
それでなくとも「国連子ども権利委員会」から日本は公式に児童養護施設の不足について勧告を受けているのである。
この勧告が2010年のことだから民主党が2009年に政権を取った直後のことであり、それ以降3年半の民主党政権はこの勧告を受けて何をしてきたのかということも問われねばならないわけだ。
ということでこの問題の国会の論議を見ているとまあいつもの責任のなすりあいであり、国会議員の幼児化がますます進んでいると言わざるをえない。
また今回の出来事で感じるのはネットというものの拡散力である。
かりに今回の「日本死ね!!!」という過激な言葉とともに3つもビックリ雨だれマークのついた記事が新聞の声欄などに掲載された場合ここまでの広がりを見せるかというとそうはならないだろう。
というより、言葉に対する検閲と自己規制の蔓延する新聞メディアではこの「日本死ね!!!」というタイトルはまず確実に却下となる。
なにも過激がよいというわけではないが、言葉が規制の先を飛び越えることも時には必要ということであり、ネットにおける言葉の無規範が時には効を奏すこともあるということである。