Shinya talk

     

 

2013/08/29(Thu)

藤原新也最新刊!の案内

「たとえ明日世界が滅びようと」

東京書籍 
四六判 320ページ
1300円

3、11以降書かれた3400枚ものブログから厳選。

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2013/08/27(Tue)

爆笑問題。


今日のニュースでクェートを訪問している安倍首相のメッセージが報じられているのだが、この人はブラックジョークもお得意のようだ。





「クェートの原発で何かあったときには日本におまかせください。」





                      (爆笑)





おまかせくださいのあとに「どんなに汚染水が貯まっても永遠に貯めてみせます」と続くのがよいかも知れない。

彼らは実情を知らないだろうからね。





                        ◉







その安倍首相が(戦犯を回避するがごとく)外遊している間に有識者を集めての消費税点検会議のようなものが催されているわけだが、またやっているな感(既視感)が濃厚。



例のTPP参加の是非が国民の中で論じられているおり、TPP反対派の尾辻秀久元厚生労働相と西川公也TPP対策委員長との殴り合い寸前のような睨み合いが各局で大げさに報じられたが、これはこれだけ自民党内で議論が沸騰してますとの”アリバイ作り”の演技のようだな、と思っていると案の定、その後TPP参加はさしたる紛糾もせずあっけなく参加が決まった。



件のバトル演出というものを広告代理店が仕切っているのはどうかはわからないが、今回の「点検会議」はそっち方面の仕切りが濃厚のように思える。



帯状に60名の有識者の意見を伺う。

これが消費税増税のためのアリバイ作りだとすれば単に税金の無駄遣い以外のなにものでもない。

反対論者は種馬(安倍首相)のとんだ当て馬のようなもので、ノコノコと馬場に出かけるということ自体、消費税増税という子馬を産みやすくする、という意味で結果的に消費税増税に加担することになる。



私個人は今の国の財政状況や国際関係からするなら3パーセントくらいの増税は致し方ないだろうとは思っているが、こういう”小細工”をやれば国民は簡単に懐柔できるという現政府の国民をバカにした手練手管を労したやり方には毎度のごとく苦笑いを禁じ得ない。



かりに反対意見があったとして”それではやめます”ということには120パーセントならないわけだから、アリバイ作りの長ったらしい有識者会議などせず、(そして中東に姿をくらませたりせず)安倍首相自らが堂々と意見を述べ、国民を納得させた上で増税すればよいわけだ。

どうも安倍にはそういったスケール感が足りない。

     

 

2013/08/26(Mon)

藤圭子とその時代、そして今。(Cat Walkより転載)

藤圭子の「夢は夜ひらく」がヒットした70年の春、私はインドから一時帰国していた。

女性ボーカルの空に抜けるようなインド歌謡の明るい歌を長い間耳にしてきた私は、そのどんよりと滞った沼のような歌の暗さに違和感を覚えたものである。




                  ◉




赤く咲くのは けしの花

白く咲くのは 百合の花

どう咲きゃいいのさ この私

夢は夜ひらく



十五、十六、十七と

私の人生暗かった

過去はどんなに暗くとも

夢は夜ひらく




                ◉





この歌が大ヒットした背景は70年安保の終焉と無縁ではないだろう。


69年1月に安保闘争の象徴だった東大の安田講堂が陥落し、やがて一連の闘争は終焉を迎えた。

その後は連合赤軍によるハイジャックや成田の三里塚闘争など部分的は闘争はあったが、安保闘争に熱狂した若者の多く(主に団塊の世代)は挫折の中で悶々とした煮え切らぬ時代と添い寝することとなる。

”しらけ”という言葉が生まれたのもこのころである。


そして圭子の「夢は夜ひらく」のあとには井上陽水の「傘がない」や吉田拓郎の「結婚しようよ」などがヒットする。





                  ◉







都会では自殺する若者が増えている

今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども

問題は今日の雨

傘がない

行かなくちゃ

君に逢いに行かなくちゃ



テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる

だけども問題は今日の雨

傘がない

行かなくちゃ

君に逢いに行かなくちゃ





                  ◉





僕の髪が肩までのびて

君と同じになったら

約束どおり 町の教会で

結婚しようよ





                 ◉





藤圭子の「夢は夜ひらく」はリアルタイムで聴いているが、井上陽水の「傘がない」や吉田拓郎の「結婚しようよ」がヒットしていた72年はすでに日本を離れていたので、これらの歌の小耳に挟んだのは後年のことである。


”どう咲きゃいいのさ この私 夢は夜ひらく”という安保闘争終焉直後の苦悩と逡巡から、シラケという言葉が流行った71年の翌年の、陽水の歌う”国家問題や若者の自殺のニュースより、恋人に会ひに行く傘”の方がずっと切実、という自己韜晦(とうかい)はおそらく安保闘争に関わった団塊の世代の無意識を代弁していたのだろう。


団塊の世代の上にあたり、シラケの時代に日本不在だった私は斜に構えた陽水の歌にも違和感を覚えたが、のちに聴いた吉田拓郎の”僕の髪が肩までのびて君と同じになったら町の教会で結婚しよう”という歌はただ気持ち悪い歌だった。


私はインドではサドゥ(修行僧)と同じように髪を背中の半分くらいまで伸ばしていた。
それは世の中の常軌とは一線を画するというシンボルのようなものだった。
恋人とゴールインするためのファッションとしての拓郎の歌の中の髪は同じ長い髪でもずいぶんと異なっており、それも安保闘争のひとつの行き着く先ということなのだろうと思ったものだ。


そんな70年安保挫折以降の、つまり大命題を避け、ミニマリズム(自分周辺)の中で自足するという闘争以降の団塊の世代的生き方は、その後の若者の生き方のモデルになったと言えなくもない。


そればかりかかつてゲバ棒を持って国家や企業の欺瞞に反旗を掲げた者がシラケ後は企業の販促活動に参加するという糸井重里のような者も数多く輩出した。

そういう意味で”自分はかつて若者のころは云々”という武勇伝を下の世代に自慢し、若者のミニマリズムを非難するこの態度には腐臭をすら感じる。




                 ◉




先日、フランスのジャーナリストに会う機会があった時、フランスのテレビ局で原発問題に言及する日本のアーティストや作家の特集を組みたいのだが、どういう人がいるかと問われた。


私の知識が不足しているのか、その質問を受け、名前や顔が思い浮かばないことに焦りを感じた。


原発問題に触れない知識人、作家、アーティストに表現者としての資質を問うというのは傲慢だとも思う。

だがまた思うに原発問題という国家や文明や自からの子孫の存続をも脅かす、この逼迫した”人間の問題”にまるで(放射能すらない)他の世界の空気でも吸っているかのように一切言及しない表現者が多いこの国の風景も異様だとも思う。


団塊の世代ではないが作家では浅田次郎やアーティストでは故忌野清志郎や坂本龍一、加藤登紀子、沢田研二(団塊の世代)などが正面から発言をしているが(おそらく他にもいるだろうが)たとえばノンフィクション作家の沢木耕太郎が原発問題に言及したという話は聞かないし、村上春樹が震災や原発に言及したとしてもそれは”押さえ”としてのコメントの域を出ない。


そういう意味では70年代の若者の意識を代弁した陽水の歌の歌詞に見る自己韜晦は2000年代の今においてもトラウマのようにいまだに尾をひいているということだろう。




                 ◉





藤圭子の自殺を知って走馬灯のように脳裏に去来したのは、なぜか安保以降のそんな時の流れだった。

だがきわめて70年代的であったと言える藤圭子という表現者はシラケや自己韜晦とは無縁な人だった。



彼女はずっと暗かった。



自殺という結末はさらにそのイメージを倍加してやまない。

が、私はそんな藤圭子の信じられないくらい異なった姿をこの目で見ている。



アメリカを旅した83年、ロスアンゼルスはメルローズ通りのとあるレストランに入ったおりのことである。

私のテーブルから3つ先のテーブルに偶然藤圭子が居た。

主人とおぼしき人と向かい合わせに座っていて、藤圭子は生まれたての赤子を抱いていた。

その赤子はのちの宇多田ヒカルである。

圭子は笑っていた。

日本のあらゆる場面で見た圭子のそれからは想像できないくらい明るい笑顔だった。

白い歯が眩しかった。

カメラは持っていたが、その異国というサンクチュアリでの彼女の至福を邪魔しないように、写真は撮らなかった。

当然挨拶もしなかった。


自殺の報を聞いた時、私の脳裏に浮かんだ圭子の顔は、日本人の中に固着した70年の怨歌を歌う彼女のこわばった顔ではなく、なぜかカルフォルニアの明るい陽射しが窓から降り注ぐ中の、あの笑顔だった。





                  ◉





旅の途上、一瞬袖振り合った彼女のその隠し立てのない素顔を記憶する私は、なぜか知己のヒトのようにその死を悼む。


ゆっくりお休みください。





     

 

2013/08/23(Fri)

「はだしのゲン」問題についての寸評。[CATWALKより転載]

「自衛隊にはふたつの側面があります。今回取材させていただいたUS-2のように人命を救助する役割、それと逆に攻撃、つまりひらったく言えば人命を奪うという役割にならざるを得ないということがありますね。そういう矛盾を現場で働いている方はどのようにお感じですか」

こういう質問を投げかけるのは少々酷だと思ったが、一瞬でも本音のようなものを聞きたかったのだが、パイロットは「自分がこういう仕事についているのは誇りに思う、仕事をやり終えた時の達成感は他の方よりあると思います」と答え、私はそれ以上は言葉を続けなかった。

「しかし達成感ばかりではなく、やはり当然滅入るようなこともあるんじゃないですか」

と別の言葉を続けるとパイロットはしばらく考え、絞り出すように言った。

「現場について海況が変化し、しばらくねばっても回復せず、燃料切れを予測しなければならなくなり、遭難者を眼下に見ながら、帰らなくてはならない。こういう時がいちばん辛いですね」

人命救助を本分とする、つまり殺す側ではなく、救う側という恵まれた立場の青年もまた辛酸をなめているのである。

当然それは”殺す”わけではないが、みすみす人の命を”見殺し”しなければならないような立場に追い込まれるということだ。

戦争において人を殺めなければならないような立場に追い込まれることと”見殺し”しなければならないような立場に追い込まれることはその姿さえ違え、同じ”辛酸”であることに変わりはない。

今回の岩国行においては、子供のようにすごい乗り物に巡り会えたという喜びとともに、海自のゲートを出る際、そんな矛盾した思いが去来した。



ところでこういうのをタイミングが絶妙というのか厄日というのかは知らないが、私が海自に居る前後に例の松江市教育委員会による「はだしのゲン」撤去問題が起こっていた。

表向きは、性描写などに残酷なところがあり、子供に見せるには刺激的すぎるということになっているが、この撤去問題は、自民党が政権復帰し、なかんずく極右的色彩の強い、安倍晋三が首相につき、憲法改正を持ち出していることと無縁ではなかろう。

またここのところ新大久保で極右や在特会の集団が蜂起して町をねり歩いている光景とも無縁ではない。

この松江市の教育委員会が「はだしのゲン」を撤去した背景には右翼団体(高知市から日本を考える会)の度重なる圧力があったことは次にアップするURLの中の2つの動画を見ればほぼ明らかなところだろう。

この動画では日本を考える会の中島康治氏が松江市の教育委員会に「裸足のゲン」を撤去せよとねじ込んでいる一部始終が映っているのだが、この少々うんざりするような押し問答、見るのも鬱陶しいが、ことの発端を知る上においては見ておくべきだろう。

http://zaitokuclub.blog.fc2.com/blog-entry-127.html


さてこの動画を見ていて私は2001年に起きたあのいまわしい事件を思い出す。

2001年1月30日放送のいわゆる「従軍慰安婦」問題を扱ったNHK番組「戦争をどう裁くか(2)問われる戦時性暴力」について、安倍晋三(当時・内閣官房副長官)、故・中川昭一(当時・経済産業相)両氏がNHKに圧力をかけてその内容を大きく変更させた事件である。

動画に写っている中島康治氏と安倍晋三氏は当然立場は異なるが、底流においてはどこかで繋がっているということである。

そのことを示すように今回の松江市教育委員会の処置につき、文部科学大臣の下村博文は「はだしのゲン」の描写に刺激的なところがないとは言えない、との松江市教育委員会よりの見解を示している。

つまり「過激な性描写が子供の教育上よくない」とは、子供をダシにした表向きの理由で、この松江市の一件は日本の右傾化の大きなうねりの”返し波”のようなものであるということである。

     

 

2013/08/13(Tue)

ネットで伝染中のアフラック恐怖症にひとこと。

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ネットでは今盛んにアフラックがらみの”怖い憶測”が飛び交っている。

このアフラックと言えば、次々と日本の保険会社を追い落とし、どうやら日本生命を郵貯から追い出す勢いだ。

このたびのTPPに絡んで、怖い存在になるという憶測のところに持って来て、渋谷あたりで不気味な駅貼りポスターを展開した。

黒いアヒルの絵に

「アヒルよ逃げるなら今のうちだ、その短い足でな」

「黒い時代のはじまりはじまり」

「白黒つけてやるから待ってろよ。8・19」

と不気味なコピー。

これは日本の保険会社への挑戦状だ、とかTPP攻勢を暗示するものだとか、あまり俺をさわると怖いことになるというメディアへの牽制だとか、短い足は日本人のことだとか、昨今被害妄想の中にあるニッポン人のネットで恐怖症が蔓延しているわけだ。

この件に関してはクローズドサイトCat Walkですでに解説を加えているが、お盆の休みの時期でもあり、余計な不安をとりのぞく必要があると考え、こちらのサイトでも触れておきたい。


まずこういった意味不明の広告が展開された場合、アメリカの広告が得意とするところの「ティザー広告」と見るのが順等である。

ティザー広告とは、英語のtease(じらす)の意味だが、たとえばかつてマックが写真のない商品名だけの広告を打ち、世間の目を集め、そのあとに商品の正体を出したように”じらし広告””覆面広告”とも呼ばれる。


基本的に収益を上げることが至上目的である企業イメージがマイナスになる広告を打つことはあり得ないわけだ。
つまり「白黒つけてやるから待ってろよ。8・19」と日にちを打っているということは、このティザー広告の種明かしは8・19に展開されると読むべきだろう。


そういった私個人の観測の上で、私のルートを使って取材したところ、結果ははやり私の憶測した通り、今回の不気味広告はティザー広告だった。

アフラックでは白いアヒルがマンネリ化しており、もうひとつの訴求方法として悪役を登場させ、広告効果に幅を持たせたいと考えているということである。(すでに部分的に登場しているようだが、反応を見て本格的にキャラクター化するということだろう)。

その悪役キャラクター登場のティザー広告が今回世間を騒がせている不気味広告の正体というわけである。


危機感を煽り、ネットで憶測を呼ばせるという意味ではこのティザー広告としては成功しているということだろう。


しかしかりにこれがティザー広告であったとしても、アフラックが遺伝子組み換え種子やそれに対応する農薬で日本を席巻しょうとする「モンサント」同様TPPがらみの巨大な”黒船”であることは変わりはない。

そういう意味ではこの黒いアヒルは暗示的と言えば暗示的と言える。




     

 

2013/08/13(Tue)

お盆休みの楽しみと、そしてお勉強。

今日からBSプレミアムドラマ「あなたに似た誰か」がはじまる。
http://www.nhk.or.jp/drama/anata/

第一回は大杉漣さん主演「カワタレバナ」
編集部イチオシ!


2013/08/09


「しょうもない人間が僕も大好き」

大杉漣さん、現場を語る!
〜短編ドラマシリーズ「あなたに似た誰か」〜


8月13日(火)からスタートする「あなたに似た誰か」。

藤原新也さんの短編集「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」等から、3作品をドラマ化したシリーズです。

それを記念して(?)、第1話「カハタレバナ」で主人公を演じた大杉漣さんと、番組の後藤チーフプロデューサー、無類の藤原新也ファンで、今回監督を務めた西谷Dがスペシャルな対談!!を行いました。

「しょうもないことを一生懸命にやる、しょうもない人たちが主人公のドラマ」とは、一体…!?


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(左から後藤CP、大杉漣さん、西谷D)



――今回は夢の対談企画ということで、主演の大杉漣さん、後藤CP、西谷Dのお三方にお集まりいただきました。早速、第1話「カハタレバナ」について伺っていきたいと思います。まずは大杉漣さん、今回の企画を聞いたときの印象はいかがでしたか?


大杉漣(以下、大杉):
藤原新也さんの作品は以前から拝見しておりまして、いつか機会があれば、藤原さんの作品に出させていただきたいと思っていました。西谷Dが昨年撮られた『永遠の泉』も拝見していましたので、このお話を頂いた時は、本当にうれしかったですね!


後藤チーフプロデューサー(以下、後藤):
このドラマは「この話をやりたい!」という、西谷Dの強い思いがあって実現したんです。


西谷ディレクター(以下、西谷):
原作の藤原さんは、実は僕の初演出作品でも主演してくださったんです。北九州放送局の開局30年記念ドラマで、26年前の作品。90分の作品ながら、ものすごい低予算番組で、脚本と主演の両方を藤原さんにお願いしたところ“しょうがないからやるか”と、引き受けてくださったんです。藤原さんが42歳の時でした。



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大杉:
藤原さん、今回もどこかに出演されているんですよね。


西谷:
第3話でご出演頂いていますので、ぜひ探してみてください。


大杉:
西谷さんが、藤原さんに惹かれる魅力というのは、どういったところですか。


西谷:
「東京漂流」「メメント・モリ」などを20代の頃に読みまして、こんなことを言う人はどんな人なんだろう、と。藤原さんが撮られた写真からも、今までの芸術写真とは違う圧倒的なインパクトを受けました。私自身も“死”については子供の頃から興味があって、それを美学に変換して、文章や写真を撮られている。そこに魅力を感じて今に至る…という感じです。



――藤原さんの短編から、「カハタレバナ」「記憶の海」「車窓の向こうの人生」の3編を選ばれた経緯をお聞かせください。


西谷:
「カハタレバナ」は非常にやりたいと思っていた作品でしたが、企画段階ではどの作品でも「作れたら嬉しい」という気持ちでした。北九州局にいた当時の先輩で、同じく藤原新也さんのファンでもある上司から「お前たちで責任を持つなら」と太鼓判をもらって、選ばせて頂いたのがこの3作品です。


後藤:
僕と西谷Dとでドラマを作ると今回みたいな話のチョイスになるんですよ。ちょっとダメだなあって感じの人々が主人公になるのは、自分たちがダメな人間だというのが分かってるからなんですよね。


大杉:
そんなことはないですよ(笑)


後藤:
だから“ダメなワールド”にスタッフと役者さんをどれだけ引き込めるか、というところがある(笑)


西谷:
スタッフ・キャストには、だいたいダメなひとが集まってくるんだよね(笑)


大杉:
このドラマの記者会見の後で、藤原さんが別れ際に「どうも、しょうもない人間を演じてくれてありがとう」と仰ってくれて(笑)。これ、愛情のことばですよね、すごく嬉しかったんです。そして僕も「しょうもない人間が僕も大好きです」と言ったんです。“しょうもない”ことが、きちっとすることより、いかに重要かということで。


後藤:
演じていただいた大杉さんも、自分の中のしょうもない部分をうまく出してくださって。もう、ほんと、どうしようもなく出してくださって(笑)


西谷:
ないのにね〜。


大杉:
ありますよ(笑)



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後藤:
じつは、第1話「カハタレバナ」の主人公・武藤は、西谷Dの分身みたいなものなんですよ。


大杉:
僕にもダブる部分がありましたよ。武藤さんの心根の部分…世の中に対してちょっとすねた部分というか、人と真正面に向きあわない部分。こういう部分も大事だなと思うことがあって、人として、それがエネルギーになっていることもあると思いました。



――武藤役を演じられて、心に残ったセリフやシーンはありましたか?


大杉:
土手を歩くシーンですね。本仮屋ユイカさん演じる、さと子の子どもに会うシーン。土手を一緒に歩くんですが、あの時の寒さはもう、今までに味わったことのないものでした。家に帰りたいくらい!


西谷:
“家に帰りたい”ってすごいね(笑)


大杉:
“寒い”を通り越して“痛い”と思うほどガツンときてましたね。台詞もうまく喋れなくなる状況で。そんな中なのに、本仮屋ユイカさんが抱く赤ちゃんが、素晴らしい演技をしてくれました。


後藤:
大杉さん、暖房に口を近づけて、「口が回らない!」って言ってましたよね(笑)。その寒い中でも、赤ちゃんの演技はすごかったですよね。大杉さんに抱かれて泣くシーンで、ちゃんと泣いてくれたりして。


西谷:
本当にイヤだったんですよ(笑)


大杉:
このおじさんに抱かれるのが嫌だったという(笑)。まさにシチュエーション通り、奇跡のカットですね。現場で起きた小さな奇跡というか、神様が味方してくれているような、一瞬の出来事があったりするんですよね。


後藤:
本仮屋さんが振り向いた時の、あの表情がとてもいいんです。赤ちゃんを抱いて、こちらを向くあの感じ、キュンとしました。その後に大杉さんがひとりトコトコと歩いていくバックショット。今回のカメラマンが、また素晴らしいんです、1・2話の藤田浩久カメラマン、3話の中野英世カメラマンのふたりです。


大杉:
西谷さんの演出はライブなんです。細かく指示をされることは、俳優にとっては心地いい部分と、そこに甘えてはいけないという部分がありますが、西谷さんの場合は非常にライブ感があって、僕個人としては、とても好きな現場でした。これは声を大にして言いたい。(突如、大声で)「好きな現場だぞ〜!」って。


西谷:
ここで大声で言ってもしょうがないでしょ(笑)


大杉:
大きい声で話しても文字が大きくなるわけじゃないから(笑)。本当にいい現場でしたね。今回はいろいろな場所でロケしましたが、どこも楽しかったですね。そして、現場での西谷Dのたたずまいが、またいいんですよ。見ていないようで見ていてくれている。なんというか、圧力をかけない感じ。藤田カメラマンと西谷Dの共同作業という感じがしていましたね。


そうそう、撮影前夜に雪が降ったこともありました。スタッフ総出で血眼になって雪を除けて、路面に残った水を拭って。いざ撮影となったら雪はひとつもありませんでした。重要なシーンで、雪があると台無しになるところだったので、スタッフも大変だったと思います。



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後藤:
僕はバッティングセンターのシーンが好きですね。


大杉:
あのシーンは、武藤という男の心情が表れたところでした。実はバットをひきずるというのを一度やってみたかったんです。昔、家の近所に野球好きのおじさんで、金属バットをひきずりながら歩くひとがいたんです。その姿に嫌悪感というか、バットを引きずるなよという思いを持っていて。すごく威圧感があったので、その感覚を思い出してやってみました。



――完全に余談ですが、後藤CPがこれまでスタッフブログに書かれていたネタですけれども、ついにダイエットに成功されたそうですね!


後藤:
僕が20キロのダイエットに成功した話っていうのも、HPに書いたら結構アクセスあると思うんですよ(笑)


西谷:
本で出した方が売れるよ(笑)


大杉:
炭水化物を減らしたりしたんですか?


後藤:
コンビニで食べ物を買うときに、カロリーを見るというだけなんですけどね。おにぎりが150kcalで、サラダが79kcalで…とか。摂取カロリーを計算して買うという方法です。


西谷:
たし算ができないとだめですね(笑)


大杉:
そりゃあ、引いちゃったら意味無いですからね(笑)


後藤:
お昼は300kcalと決めて、夜はもっと食べたくなっちゃうから多めに設定して…。


大杉:
なるほど。確かに見違えてますものね。


西谷:
後藤さん、意志の力が強いねぇ。


後藤:
そのへんが、今回のドラマの登場人物たちとちょっと違うところです(笑)



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――登場人物はみなさん、意思の力が弱いんですね(笑)。

さて、ここでドラマの話に戻ります。西谷D自身のお気に入りのシーンを教えてください!


西谷:
第1話で言うと、大杉さんが墓場でポロっと涙を流すところを、カメラマンがキッチリおさえていたのがうれしかったですね。あのシーンは好きです。もちろん最後の、本仮屋さんと手を振り合うところも素敵ですね。それから江波杏子さんが効いてますよね。


後藤:
素晴らしいですよね。


西谷:
2話「記憶の海」も藤田カメラマンですが、海や花など、非常に絶妙な映像を撮ってくれたと思っています。3話は中野カメラマンで、千葉の白浜海岸で、映画「バグダッドカフェ」のような映像がとても気に入っています。ハイスピードカメラ(高速度撮影用のカメラ)を使ったシーンの撮影で、4秒カメラを回すと、時間が8倍に伸びて32秒のシーンになるんですよ。宅間孝行さん(3話の主人公・山折幹夫役)が電車の窓ガラスに顔が押し付けられているシーンで、普通に芝居をしたら10秒はかかるところを、宅間さんに4秒でやってほしいとお願いしたら、見事4秒でやってくれた。あれは感動しました(笑)



――1〜3話が完成しましたが、手ごたえを感じている部分はどんなところでしょうか。


後藤:
ドラマというのは、スタッフ・キャストそれぞれに“ここを表現したい”と思って、集まっている部分があるんです。それが合わさる瞬間が、本当に面白いんです。自分では思ってもいなかったことが、こんな風に出来るのかと。各話、3〜4日という短い撮影期間でしたから、みんなが一斉に持ち寄って、ドーンとぶつかったという感じ。その瞬間を現場を見ていて、これはすごく面白くなるだろう!という感覚がありました。西谷Dが思っていないようなところにまで、内容を持っていってくれているのでは…と。たとえば1話では、大杉さんが現場の雰囲気をすごくよく作ってくれました。お芝居に入る前の段階で、スタッフや共演者をのせたりするのがうまい(笑)


西谷:
そうそう(笑)


後藤:
お芝居がどうのこうのという前の段階で、その前がすごく重要だと思いましたね。ほんと、雰囲気作りがすごいですよね!


大杉:
いやいや…(笑)


後藤:
大杉さんは、とても紳士的で柔和な方だと存じてはいましたが、皆を盛り上げて、現場をうまく進行させていく、雰囲気作りのすばらしさを感じましたね。常に声を出しているゴールキーパーのようでもあり、天才ミッドフィルダー的なすごいパスの出し方もあり、そして最後は、自分でゴールを決めちゃう(笑)


西谷:
パスが上手いですよね(笑)


後藤:
本当にパスが上手いんですよ。こんなパスを出すんだ!というのは、見ていて面白かったですね。



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大杉:
後藤さんが仰るように、その作品ごとの立ち位置、というのはあると思います。僕は脇役もやりますし、主役もやりますが、作品ごとに、現場での過ごし方が同じではないんです。作品は監督を中心に作るものだと僕は思っていますので、監督の目を意識したうえで、どういう風に現場にいるか、ということも考えています。演劇論や映画論を語る立場にはないと思いますが、現場で喋った僕の言葉は“現場の言葉”なんだぞ、と思うんです。自分が上手く出来ていればいい、ということではなくて、全体の空気が良くならないといけません。今回は後藤さんや西谷さんも現場を和ませて下さいましたし、撮影の4日間が本当に楽しかったですね。


後藤:
ありがとうございます!


大杉:
「どうだっていいんじゃないか」と思うようなことでも、それをとにかく一生懸命やる。不器用だとかそうでないとか関係なく、一生懸命やったその先に、人の姿や気持ち、そういったものが見えてくることがあると思うんです。そう、一生懸命やることが楽しくて、大事だと思うんですよ。自分は俳優というポジションですが、監督がいて、スタッフがいて、全体で現場というものがある。自分に何が出来るか考えなければいけないと思うんです。そういうことも含めて、現場って楽しいですよね(笑)


西谷:
楽しいですね。


大杉:
だから続けるんです、懲りないんですよね、懲りてないんですよ(笑)。


あ、ここ、字を大きくしておいて下さいね(笑)



――最後に、番組の見どころを紹介してください。


後藤:
決して派手なドラマではありませんが、手間がかかっています。それぞれのキャスト・スタッフが持ち寄った、ダシが利いてるドラマです。そして、ダシの利いたスープなんだけど、味わってみると案外、毒も利いています。そんな部分があるドラマです。


僕は自分の中で“救われたい”と思って、ドラマを作っている部分があります。自分はダメな人間だけれども、もしかしたら、幸せになれる瞬間を味わえるんじゃないか…そんなことを思いながら作っています。このドラマを見て、ああ、ダメな人間がいっぱい出ているなぁと思ってくださった時に、「あんな風に生きれば楽になるな」と、見つけてもらえる瞬間がきっとあると思います。日々疲れたり、自分のことが嫌いになって自信を無くしていたりする人にこそ、見て頂きたいドラマです。


西谷:
ぜひ、見てください。そして、パート2、3とまた続けていけたらなと思っています(笑)。
藤原さんが仰る“無限寛容”という言葉をキーワードに「藤原新也名作劇場」としてまた続けられたらうれしいです。


大杉:
藤原さんのメッセージ(番組HPに掲載)に、「静かな共感さえあればいい」という一節がありましたが、すごくいい言葉だなと思いました。生きていれば、様々なことがあります。僕が演じた武藤の人生にも、色々なことがあったんです。でも、それは特別なことではない。当たり前の人生の中に、悲喜こもごもがある。当たり前の人生の中に、悲喜こもごもがある。「ひょっとして、自分はあの時に、こう選択したから、こうなったのか」と後悔する時が、誰しもあると思うんですよね。


後藤さんが「これは後悔のドラマ」と言っていて、すごく面白いなと僕は思っていました(笑)。こんなに正直に言ってしまう、信頼できる人がいるんだと(笑)。

人間のダメさ加減をよく分かっている。ちょっとしたことだけれども、背中を押してもらえる。どんよりした雲の間から、ちょっとした青空が見える。ドラマの中から、それを見つけて頂けたらと思います。

このドラマから、僕は僕なりの青空を見つけました。演じている自分というよりは、出来上がったドラマを見て、そう思いましたね。それは少しほっとする瞬間であり、藤原さんが仰る“静かな共感”に結びつくのかもしれないなぁと、思っています。



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大杉漣さん、後藤CP、西谷D、本当にありがとうございました!
ざっくばらんにお話いただいて、非ッッ常〜〜〜に、和やかな対談でした。
短編ドラマシリーズ「あなたに似た誰か」は、BSプレミアムで8月13日(火)から3週連続・よる11時15分スタートです!
第1話は大杉漣さん主演の「カハタレバナ」。
どうぞ、お見逃しなく!





この対談の中で私が第三話に出演しているようなことを言っているが、それはご愛嬌で、まあヒッチコック映画のように、5〜6秒画面に映るというだけの話。私などがしゃべると台無しになる。



さて、広島原水爆禁止世界大会で、刺激的なスピーチをしたオリバー・ストーン監督のスピーチ全文である。


筋金入り。


http://www.webdice.jp/dice/detail/3946/


ちょうどそのオリバー・ストーン監督のドキュメンタリー「オリバー・ストーン監督が語る、もうひとつのアメリカ史」の第6回「J.F.ケネディ〜全面核戦争の瀬戸際〜」がNHK・BS1で24時から放映される。


http://www.nhk.or.jp/wdoc/



藤原新也およびCat Walk編集部、明日14日から17日までお盆休みに入る。


藤原は19日に予定されている岩国海自の救難飛行艇US-2に乗るために18日岩国入り。

誤解なきよう言っておくが、私は自衛隊および軍隊賛美者ではない。

船乗りとして、このUS-2のたぐい稀な救急能力に驚嘆し、純粋に、この目と体でその能力を確かめたいということである。

かつて日本から数千キロも離れた太平洋の荒海の中でボートが遭難した場合、それは死を意味していたわけだが、このUS-2はその常識を覆したわけである。

それは武器がそうであるように人を殺すためではなく、人命をいかに救うかという目的のために造られた傑作である。


現地からレポートする。


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