Shinya talk

     

 

2012/11/20(Tue)

政治と有権者をバカにしたマニュフェストの闇鍋化に非難の声の上がらぬ不思議。

15日のトークでは、得難い体験にも関わらす読通したところかなり粗雑な書き方になっているので再構成する。



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先日同窓会に参加したおり、私の本をよく読んでいる友人の口から面白い逸話が飛び出した。



かなり昔のことだが石原慎太郎の弟の俳優である石原裕次郎が何かのテレビ番組のインタビューを自宅の居間で受けているとき、その背後の本棚に私の著作の「インド放浪」の背表紙がちらりと見え驚いたという。



私の処女作(処女作という言い方は今では差別用語にあたり公には使うことは出来ない)「インド放浪」が上梓されたのは1972年のことだから、それ以降の話ということになる。



それを聞いて感慨深いものを感じた。



私が小学校から高校生にかけてのころは映画の全盛時代で、昨今のタレントや俳優などとは異なり、映画スターというものはある種神格化すらされる時代だった。

そんな中でも石原裕次郎というと、おそらく昭和の大スター長谷川一夫に匹敵するほどの大スターだった。



私の旅館には門司港が交通の要所ということもあってさまざまな歌手や俳優が泊まったが、その裕次郎も私の門司港の旅館に宿泊した。



「鷲と鷹」という映画を撮るためである。

調べてみるとその映画は1957年の作というから私が13歳の中学生の時のことである。



昨今ではテレビ時代になって大衆とスターとの距離は縮まり、テレビの有名タレントが街でロケしていたとしても黒山の人だかりが出来るということはないが、当時は映画スターというと雲上の人だった。

特に裕次郎というと神格化されたとも言えるスターであり、彼の泊まっている(多分、三国連太郎も泊まったと思う)私の旅館の前には連日何百人もの野次馬が人垣をつくり、整理の警官が出るほどだった。



そのような黒山の人を玄関の内側から眺める私は何か自分が特別な場所にいるようでちょっと優越感を覚えたものである。



そんな中、裕次郎一行がロケのために玄関に出ようものなら大歓声が上がり、警官も大わらわになった。



藤乃屋旅館の前にはすでに廃業している古びた3階建ての料亭があり、その3階の大広間をアパート代わりに使っている夜の商売女たちがいた。



朝の早い時間にその女たちが化粧を落とし、シュミーズ姿のあられもない格好で窓から乗り出し“ゆうちゃーん!”歓声を上げると、野次馬たちはご当地の恥をさらしたかのように眉間に皺をよせて振り向いたが、サングラスをした裕次郎は群衆に向って手を振ったこともないのに彼女たちに向っては面白親しげに手を振った。



映画の中では彼は弱者のために体を張って闘う役柄が多かったが、私は夜の女に向って手を振る彼の姿を見て、少なからず感極まるものがあった。この人は映画のまんまの人だと思ったのである。



私の裕次郎に対するもっとも強烈なイメージは夜の女に向って優しげに手を振る彼の後ろ姿なのだ。



私はそんな裕次郎とその一行が玄関を出るたびに、母から怒られながらも一行に金魚のフンのようについて行ったのだが、何回目かの外出時に彼は私の顔を覚えてくれたのか「ボン」といって頭を撫でてくれた。



その大きな手の感触には映画で見るような悪人をやっつける鉄拳とは異なった柔らかさがあった。



門司港でロケされた「鷲と鷹」という映画の主題歌は「錆びたナイフ」だったと思う。

映画が公開されると少年の私は似合いもしないのに裕次郎の気分になってその大人っぽい「錆びたナイフ」を粋がって口ずさんだものだ。





砂山の砂を

指で掘ってたら

まっかに錆びた

ジャックナイフが 出て来たよ

どこのどいつが 埋めたか

胸にじんとくる

小島の秋だ





この歌は石川啄木の以下の詩に酷似する。



いたく錆びしピストルいでぬ

砂山の

砂を指もて堀りてありしに







ご承知のようにその後、裕次郎は87年、52歳の若さで亡くなる。



思うに裕次郎は正面だけではなく、後ろ姿が物語を生む数少ない俳優のひとりだった。



その後ろ姿に垣間見える彼独特の哀愁は、ジェームス・ディーンや赤木圭一などの短命な俳優が期せずして備えている共通のペーソスであり、それはまた諦念を歌った石川啄木の詩に心を寄せる彼の心情の外形であるようにも私には思える。



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そのよう個人的な裕次郎体験の中でひとかたならぬシンパシーを感じている私だが、その兄慎太郎に関してはただ粗暴としか感じられないこの落差の不思議が妙に悩ましい。



弱者差別、独断、偏見、狭量、カラ威張り、敵愾心旺盛と慎太郎は不思議なくらい裕次郎の真逆なのである。



慎太郎には裕次郎に備わる“後ろ姿”が欠落しているのだ。



彼の言動の中に垣間見えるそのようなさまざまな人格構成に通底して流れる基調は「自我の肥大と他者の不在」と言えるだろう。



この他者というものの存在の希薄な彼の独善に満ちた居振る舞いには、時にふと彼はどこか発達障害というべきものを抱えているのではないかとすら感じさせるものすらある。



そういう意味では彼が書いた小説「太陽の季節」や「狂った果実」やさらに映画のために書いた「処刑の部屋」などはレイプ、リンチ、近親相姦、同性愛、輪姦後殺害など目を覆いたくなるような性暴力が満載で、このアグレッシブさは80歳になった今も変わらないばかりか小説の中に見られる抑止、抑制が年齢とともに抜け落ち、衰え、その独断の危うさだけが一人歩きをしているように思える。



そのような性暴力をテーマとした小説を書くこと自体はバツということにはならないが、ひとつ気になるのはこの性暴力という人間の行動の基調あるものは自分だけの世界を完結するために他者の存在がある、つまり他者の存在がないということである。



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大集団の記者を集めた今日の橋下大阪市長と石原元都知事の合同記者会見を見て思うのもそのことだ。



こういう言葉は慎むべきだと承知の上で喝破するなら自分だけの世界を完結するために飲料水に睡眠薬を混入し、女性をレイプするその小説の一シーンを彷彿とさせるがごとく、石原は橋下を公衆の面前でレイプしたのである。



少なくとも私にはあのシーンはそのように猥褻なものとして見えた。



いや「自我の拡大と他者の不在(敵視)」と言う意味では共通の人格を有する橋下もまた自分だけの世界を完結するために石原を逆レイプしたのかも知れぬ。



そのようにこの二者の行動が自分の世界を完結するためのレイプごっこであることは、民主党のマニュフェストのウソを非難する当の為政者がマニュフェストとしていた二大政策、原発とTPP問題をその野合のためにいとも簡単に(選挙前に!民主党のウソは少なくとも選挙後だった)闇鍋化し、世間の眼をくらましたことからも明らかである。



どうやらなんらかの発達障害の垣間見えるご両人が、今後ニッポンの舵取りの一翼を担うかも知れぬことの危うさは、睡眠薬入りの闇鍋をつつくどころではない不安を感じざるを得ないのである。



     

 

2012/11/17(Sat)

石原兄弟に関する覚え書き。


先日同窓会に参加したおりに面白い逸話があった。



かなり昔のことだが石原慎太郎の弟の俳優である石原裕次郎が何かのテレビ番組のインタビューを自宅の居間で受けているとき、その背後の本棚に私の著作の「インド放浪」の背表紙が見えてびっくりしたという。



私の処女作(処女作という言い方は今では差別用語にあたり公には使うことは出来ない)「インド放浪」が上梓されたのは1972年のことだから、それ以降ということになる。



それを聞いて感慨深いものを感じた。

私が小学校から高校生にかけて石原裕次郎というとおそらく以降彼を凌駕する者は現れないほどのビッグスターだった。



その裕次郎が私の門司港の旅館に宿泊したことがある。



「鷲と鷹」という映画を撮るためで、調べてみると1957年の作というから私が13歳の時のことである。



今ではいかにテレビの有名タレントが街でロケしょうと人山が出来るということはないが、私の旅館は連日何百人もの野次馬で包囲されていて警官が人山の整理をするほどだった。



そういう人の山を玄関の内側から眺めるというのは何か自分が特別な場所にいるようでちょっと興奮したものである。



そんな中、裕次郎一行がロケのために玄関に出ようものなら大歓声が上がり警官も大わらわになった。私にとっても当然裕次郎はスターであり、映画も見ていたから彼ら一行が玄関を出るたびに金魚のフンのようについて行ったのだが、何回目かで裕次郎は私の顔を覚えてくれたのか「ボン」といって頭を撫でてくれた。



大きな手の感触の中で天にも上る気持ちだった。



確かその「鷲と鷹」という映画の主題歌は「錆びたナイフ」という歌でよく口ずさみ歌詞の一番は今でも覚えている。





砂山の砂を

指で掘ってたら

まっかに錆びた

ジャックナイフが 出て来たよ

どこのどいつが 埋めたか

胸にじんとくる

小島の秋だ





それから11年後の私が24歳の時に世界放浪の旅に出てインドにも行き、27歳の時に「インド放浪」を上梓したわけだが、その本をひょっとしたら石原裕次郎は読んでいる可能性があるわけだ。



感慨深い時の流れだ。

ご承知のようにその後裕次郎は87年、52歳の若さで亡くなる。



子供の勘というか、私があのときに見た、そして触れられた裕次郎は、あまりにも格好良かったが、あまり偉そうぶらない気持ちの大きな温かい人という好印象がある。




ところが不思議なことに裕次郎の兄、慎太郎は独断と偏見、狭量、威張り癖、敵愾心旺盛と不思議なくらい裕次郎の真逆である。



その偏狭な立ち居振る舞いを観察するに、時に彼はどこか発達障害というべきものを抱えているのではないかとすら感じさせるものがある。



そういう意味では彼が書いた小説「太陽の季節」や「狂った果実」やさらに映画のために書いた「処刑の部屋」などはレイプ、近親相姦、同性愛、輪姦後殺害など目を覆いたくなるような性暴力が満載だ。

そのような性暴力をテーマとした小説を書くことがバツということにはならないが、この性暴力という人間の行動には自分だけがあり他者の存在がないということからすると、石原慎太郎の性格と妙にダブルものがある。


今後彼が国政の表舞台に出て来る可能性を考えるとそのあたりのことはひとつ検証してみる必要があるだろう。

     

 

2012/11/01(Wed)

家族の堰堤(えんてい)が決壊する時。

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拙著『渋谷』の映画がDVD化されるということで今日、パーッケージのデザインが送られて来た。

佐津川愛美以外の写真は助手のT君の撮影だが、送られて来た色味がちょっと気になる。

マゼンタの乗り過ぎで皆夕日のように赤い。

おそらく私が注意しなければこのまま進行していたと思われるが、この暖色基調の画像はただ単に技術的色味の問題にとどまらない。

小説および映画の内容を表すものがこの色調でよいのかという表現の本質にかかわることなのだ。

『渋谷』という映画は決して明るい内容の映画ではなく、シリアスなテーマを扱っている。

そういう意味では皆夕日に当たったような健康的な色味の顔をしていては映画の内容とそぐわない。

最近のデザイナーは、デザインするものの内容まで消化する姿勢に乏しく、それがこういったミスマッチで無神経な色味となるわけだ。

とりあえず、このようにしてちょうだいと、少し色味を調整したものが右のパッケージで、並べてみるとたったこれだけのことで映画の内容すら異なって見える。



このマイナーな映画が上映後何年も経ってDVD化されるのは、おそらく映画に出演した面々がその後活躍するようになったからだと思われる。

ご承知のように主演の綾野剛は昨今もっとも注目されている若手男優のひとりとなり、佐津川愛美も活躍しているし、大島優子は当時は知る人しか知られていなかったが今では知らぬ人はいない。その他の俳優もおしなべて『渋谷』出演後、飛躍を遂げている。

べつに『渋谷』という映画が彼らを持ち上げたわけでもないが、名もない特定の映画に出ていた無名の俳優がこぞって名を成すという、映画界にはよくこういうジンクスがあるらしい。

それはまたそういった新人を起用した監督の目でもあるように思う。

笑い話ではないが、名を上げなかったものは私くらいのものだ。

いやちょい役で出ていれば今は少しは名の売れた渋い役どころについていたかも知れないと残念である。



さて『渋谷』という小説は「お願い、わたしを探して」というコピーにもあるように小さいころからの母親の過干渉によって”わたし”を失い、ゆきずりの男との性交渉などによって満たされぬ愛情の埋め合わせをしょうとする娘の葛藤を描いたものだ。

この母の娘に対する過干渉というものはいまだ延々と続く家庭問題の永遠のテーマであり、大変はしょった言い方になるが、その母親の子供に対する過干渉というものは、ひとつには父親不在、もしくは弱体化した父性に起因していると私は考えている。

昨今草食系男子という言葉がよく飛び出すが、なにもそれは若年層に限った話ではなく、草食系中年、草食系壮年、はたまた草食系老年と、ニッポンの男性はおしなべて弱体化しており、古い世代の誰もが草食系男子を笑える状況ではないように思う。

おそらくそのことと関連している出来事のように思えるが、何年か前に知り合いに頼まれて赴いた会合で面白い経験をした。

その頼み事というのは何年かに一度開かれているらしい立教大学美術部OBの美術展を見て、その後の宴会において講演をしてくれというものだった。

そこで前もって画廊に赴き美術展を拝見したのだが、私はそれらの絵を見てなるほど立教大学の美術部というのはほとんどが女性によって構成されているのだなと理解した。

だが宴会の会場に赴いて驚いた。

その美術部員OBの大半が白髪、あるいは禿頭のいい歳をした男性だったからだ。

にもかかわらず美術展で私が見た絵画のタッチや色合いは女性のそれだったのだ。

私は講演をしながらも心ここにあらず、この人たちは一体何者?という思いが頭を巡っていた。

しかし講演を終え、帰路についているときはたと思い当たることがあった。

恰幅からすると、その老美術部員の多くは長年企業に勤め、その多くが定年退職しているものと思える。

そういう生活環境に思いをいたすなら、ひよっとすると人間の自我というものを押し殺ろさざるを得ない長年の企業勤めというものが彼らをして”女性的”メンタルに変えて行ってしまったのかも知れない。

ふとそのように思った。

つまり日本の父親の弱体化、あるいは女性が男の役割を担わざるをえないような家庭内における父性の存在感のなさというものは、この日本独特の就労様式に負うところが大きいのではないかと思うのである。



そんなことを思いながら、その”父性弱体化”のイメージが昨今世間を賑わせている兵庫県尼崎市を中心に起こってる、いわば”家族乗っ取り事件”とも言うべきあの忌まわしい事件に私の中で結びつく。

主犯格とされる角田美代子被告(64)が女性というのも意味深長だ。


一家を乗っ取られる。

この”肉弾戦”に命を張って対処するのは当然男であり父であらねばならない。

しかし事件のあらましを検証するに、弱い父親の顔ばかりがちらつく。

父という”防波堤”が脆くなっているのではないか。

そして家を囲う堰堤が脆弱になっているのではないか。

そんな予感が走る。

そのような意味において、この”家族乗っ取り”という新しいタイプの事件は”今的”であり、今後さらに広がりを見せるかも知れぬとの危惧を抱くのだ。


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